この2つの伝説に何か接点がないかを調べています。
些細なことでも何か知っている人がいましたら教えて下さい。
七夕伝説の元ネタ
http://www.yuko.ne.jp/tanabata/linkpage1/linkpage1.html
平安時代在原業平の著と伝えられる「伊勢物語」の中で、交野ヶ原の天の川を訪れた渚院の惟喬親王(文徳天皇の皇子)は「交野を狩りて天の川のほとりに至る題して歌読みて杯はさせ」と言われたのに対し、在原業平は「狩り暮らし棚機津女に宿からむ、天の河原に我は来にけり」と歌い、これに対し惟喬親王は返歌ができずに困っているところを、義父の紀有常が
「ひととせにひとたび来ます君待てど、宿かす人もあらじとぞ思う」
と歌い助け舟を出したという有名な話は、その当時ここ交野ヶ原で天の川と七夕伝説が定着していたことを思わせます。
雪女伝説の元ネタ
http://murata35.chicappa.jp/rekisiuo-ku/kuraji06/index.htm
左に目を転じると、幾重にもなった段々畑があり、一段と高くなった台地には、昔、円通寺が建っていた。この辺りをえんず谷といい、平安時代の頃、惟喬親王(844~897)が鷹狩の時、門前に雪女が現れたという伝説が残されている。また、この寺は興福寺官務牒疎に記されている、奈良時代に創建されたと言う、津田寺にあたるといわれている。
強引ながらも惟喬親王が接点だと言えます。