日本に鉄道文学というジャンルは確立していません。が、それらしきものは散文作品、紀行などにあることはあります。なかんずく百鬼園先生、~「ひゃっけん」の漢字が正しく出ないのでこう表記します~の鉄道紀行文は車窓批評が文学的に優れています。つまり、彩なす文章で移り行く車窓風景、車内風景、そして、土地土地のエピソードを独自の筆致で綴っているという点は他の追随を許さないと言えます。鉄道を舞台とした文芸ジャンルを切り開いていると考えられます。随行者ヒマラヤ山系とのとぼけた会話も紀行に味つけをしています。ユーモアですね。
紀行ですから山河風景が出てきます。ここからはわたしの推論です。それらの山河は今となっては失われた風景です。われわれが喪失した原風景が描かれているとも言えましょう。その文字絵を求めての旅をしたいという人が買い求めているのでしょう。また、今日われわれはひ弱になっていて一貫した考えを持てない。ところが百鬼先生は頑固一徹、その姿勢はなにがあろうとも変えない。それが魅力ともなっています。