-1- 言語の利点
デジタル言語を使用することで、さまざまな符号を取り入れたコミュニケーションができるようになった。代名詞、用言の活用、敬語、時制、その他数々の文法により、複雑な内容、微妙な違いを短い言葉で表現できるようになった。デジタル言語のおかげで、コミュニケーション効率が著しく向上したほか、書き言葉によって、手紙や電信・電話・インターネットなどによる遠距離とのコミュニケーションが可能になった。記録を残せるようになった。
-2- 言語の罪・不利点(つづく)
ルネッサーンス!
ルネッサーンス!
ちーん
ルネッサーンス!
ルネッサーンス!
髭男爵?
ルネッサーンス!
ルネッサーンス!
ルネッサーンス!
元の定義があいまいなので、仕方ないです。
ShinRai さんは「言語はデジタル」と言う言葉から「量子化誤差」「誤り訂正符号」の比喩を根拠にしてしまうので。
ただし、人類の住み難い方向へと変化しています。
かつて植物が二酸化炭素を固定化して地球は寒冷化したと言われています。
原始の海では藻類が鉄分を固定化して海の色は青くなり鉄鉱石の鉱脈ができたと言われています。
現在は環境に適応した人類が数を増やし、固定化された二酸化炭素などを開放しているだけです。
包丁を持てば料理をする人もいれば人を殺す人もいます。
悪いのは人間であって包丁ではないですよね?
優位に立っていると自覚することと支配することは全く別です。
逆に道具を本能的(アナログ?)に使っているから問題なんですよね。
質問者さんは「人を殺してもよい」という質問にYESと答えますか?
絶対にNOと答えるはずです。
けれども場合により「殺したほうがいい」と思うことがあるでしょう。
それは「感情的な」判断ではありませんか?
もっとよくある例を出しましょう。
食物連鎖です。食われる側が増えれば食う側も増えやがて増えすぎた食う側が
餌がなくなり減少するとかいうやつです。
何が言いたいかといえば本能的には目の前に餌があれば
将来のことなど考えず食べつくします。
何かに似ていませんか?
質問者さんが絶滅は「デジタルコミュニケーション」にあると言っているのに
インターネットという利便性を優先しネットに接続しているのと同様です。
私は何も「質問者がまず率先してネットをやめろ」と言っているのではなく
内なる声(それこそデジタルである理性)に耳を傾け、それを実行することが
解決策になりうると言いたいのです。
(何度も言うけど言語じゃなくて使い方の問題)
そして、それを実行することは質問者さんがいまネットに接続しているように
簡単なことだけど実現することは結構大変だということがいいたのです。
私がなぜこんなに長々と質問者さんに反論したがっているかといえば
質問者さんが「原点回帰」をするべきだとしている点です。
私はむしろ「進化」するべきだと言っているんです。
当たり前ですが自然なんて何もしないのが一番いいに決まっています。
けれども私は今の生活から離れたいとは思いません。
では、人間の獲得可能な「理性」という力を発揮してこそ未来が見えるのではないでしょうか?
シンボライズされている、個体差を含む、音の高低と長短のみの信号で、ゼロワン式の信号に変換できる内容でしょう。
発声器官により変化が限定される、有意信号なのは間違いありません。
複雑な内容を伝達できないからと言って、デジタルでは無いとは言い切れません。
最初に犬を例に出しましたが、鯨やイルカの通信などはデジタルとしか思えない。
発信器官によって変形されたデジタルでしょう。もちろん個体差を含みます。
類人猿の脳が、突発的にShinRaiデジタル的処理を行うように進化したって事ですかー。
しかし、中立進化説的に考えると、何がそういった遺伝子中の突然変異を促したんでしょうかねえ。
個人的には自然選択説よりもさらに自然な、段階を踏んだ進化だったような気がしますが・・・。
確か、アフリカ辺りだかどっかの少数部族で単語が数十個しかない部族が居たと思いますよ。同じ単語が何万もの意味を持ってて、後はなんとなく表情とか雰囲気でコミュニケーションするらしいです。電子工学的なデジタルはもちろん、ShinRaiデジタルにも到底当てはまらないレベルだと思いますが。僕らの言語も昔はそんなもんだったんじゃないでしょうかねえ?こればっかはタイムマシンがないと分からないけど。
最初はアナログ言語だったのではないのでしょうか?アナログ言語のあとにデジタルで言語に変わったのではないのでしょうか?
他の動物たちの住んでいた森林や草原を人間のための畑や草地にしたから、食料増産が可能になって人間は増殖しすぎたのだと思います。
思いやりや友愛があったら、200年間で60億人も人口が増加するということは、ありえなかったと思います。
人類が無知なら環境問題なんて気にしないし、家畜以外の生き物が死に絶えても気にもしません。
ついでにほとんどのアニマルは同族であっても死んでも気にしません。
人間はコミュニケーションによって思いやりや友愛をはぐくめる生き物なのですよ。
生き物としてはいい生き物っすね。繁殖力高すぎるのが難点かもしれませんが。
人間の言語は離散的なものとして生まれて発展したので、10万年前に生まれたときからデジタルだったと思いますよ。
>あと、人間が優れていると思っていると言ってますがそれは人間が勝手に思っているだけで
勝手に人間が思っているだけならいいのだけど、
その思い込みを地球上であてはめて、動物や植物の生息環境を破壊しつくしているから、
それが問題なのだと思います。
人類は、サルがデジタル言語を身に着けただけの存在なんだ
サルだって、アナログ言語は話すけど、
人類の言語だけが、デジタルコミュニケーションに発展したから
どんどんと本能のアナログ情報(大脳辺縁系や間脳・小脳に遺伝情報として伝わる)を忘れて、
生後に文明社会の中で教えられる間違った知恵を身につけて、
人類の都合でだけ、世界を理解、把握するようになって、
結局、野生動物も、植物も、人類も、みんなみんな滅んでいこうとしている
それが悲しいのです。
コミュニケーション効率がよくて遠距離通信も可能な言語
は、つい最近のものなのではないかと思います。といいますか、遠距離通信も可能な言語に発達し、文明が発展していったから技術も発展していった、相互高めあう関係にあったのではないでしょうか。
昔の人々は自然に感謝し、自然と共存する(生きる為にせざるを得なかった)生活が普通だったと思います。
2回連続ですね……ちょっとひどい。
>類人猿の脳が、突発的にShinRaiデジタル的処理を行うように進化した
これは、大脳新皮質の発達がそうさせたと考えています。
Eugene Maraisが書いた"The Soul of the Ape"という1900年代初頭に行なわれた、3年間におよぶチャクマヒヒの集団と共同生活を行なった観察によれば、霊長類の中でも、高度な霊長類は、大脳新皮質の因果脳(経験にもとづいて因果関係を観察して、その結果にしたがって自分の行動を修正する)が発達しているそうです。一方で、この因果脳を日常的に使用しているから、新皮質の下にある辺縁系や間脳・小脳などの本能(集団記憶)の部分が非活性化するそうです。
人間の場合も、大脳新皮質が損傷することによって本能が活性化したり、催眠術によって新皮質が非活性化することで方向感覚が発達したりという事例がありますが、これらは、新皮質の下で眠っていたもう一つの脳が活性化する例でしょう。
言語も、大脳新皮質の能力を向上させることで発達したと考えられます。だから人類の脳はやたら大きいのです。
フィリップ・リーバーマンによれば、言語のデジタル処理は、ブロカ野やウェルニッケ野によって行なわれているというのは誤った考えであり、一番大事な働きをしているのは、辺縁系の基底核と海馬の部分だそうです。そこがCPUの役割を果たして、新皮質はHDDのような記憶領域なのではないでしょうか。
現生人類とは、デジタル言語を操る人類といっても過言ではないと思い始めています。
この「理性」という奴がくせものです。
なにせ大脳新皮質には、善悪を判断する能力がないからです。
「理性」とは、自分がわかることだけを信じる、自分に都合のよいことだけを信じるというのと似ていませんか。
イルカの通信については、先日、油壺マリンパークの飼育係りの人に話をうかがってきました。
イルカが、4頭でジャンプするときなど、イルカは掛け声をかけているそうです。
しかし、複雑な概念を使っているようには見えないそうです。
デジタルは離散的、アナログは連続的、ともに記号でありますが、イルカの場合はアナログでは?
そもそもデジタルなコミュニケーションを行なうためには、両端に符号化器と、復号化器が必要になります。
人間の場合には、個別脳内辞書というようなものが(あるいはレキシコンが)構築されますが、イルカの場合にそのようなものが作られているとは思えませんが。
たしかアメリカの軍がイルカの言語の研究をしていたと聞いています。そのあたりはまだチェックしていないので、何かご存知でしたら教えてください。
>どっこいこれでもかっていうのびしろがあると思います。
あればいいですが、、、。
私は、1986年に世界の人口が50億人を超えたときが、成長の限界を超えたときだと思っています。
それ以降の世界は、コップの水がいっぱいであふれそうなのに、表面張力でこぼれないでいるだけのこと。
もうすぐ大変なことがおきますよ。
シベリアの寒帯林や、アマゾンの熱帯林を、根こそぎ切りつくしていることからも、カタストロフが近いことを実感しています。
コンピューター言語の発達過程と同様に、単純なものから進化したと考えられます。
もしアナログを基調としているとしても同様です。
鳥類の縄張り宣言や昆虫の誘引音など、もっと単純な微生物同士のスキンシップ言語とでも表現できるものから発生の萌芽は見て取れます。
私の感覚では両方ありそうです。
進化は何でもありの出たとこ勝負ですから、使えるものは何でも使い取り入れて、機能を増やしてきたと思います。
そして、現在は人類によって複雑化・多機能化を加速していると感じられます。
物質的環境の変化に情報系を対応させようとすればそうなるしかありません。
もっと単純な方が楽にお話できるんですけどね。
「私は猿になりたい」かな。
そう思います。
多段階にわたる、何千年か1万年以上の進化の成果だと思います。
ただ、決定的な役割を果たしたのが、子音の離散化、それと母音のフォルマント周波数の組み合わせが母音ごとに変わる(周波数ホッピング技術)で、これがデジタルな通信路符号化を可能にしたと考えられます。
「私は猿になりたい」は、同感です。
野生動物のように生きたいと、ここ数年思い続けています。
そのためには、大脳新皮質の余計な動きを止めることが大事だと思うのです。
仏教の座禅、回峰行、念仏行、読経、あるいは修験道の禊ぎなどは、どれもこれも大脳新皮質の働きを止めて、動物に戻るための行だと思います。
お釈迦様が荒行をしたのも、同じかもしれません。
声の出し方はそれでもいいのですが、脳の処理はアナログとはまったく違いそうなので、段階的には変われないと思うのですがねぇ。
それともアナログにデジタルが付け足されたと考えればいいのですか?
音声はデジタルだと思っていたのに
詩はアナログ とか、
アナログ脳、デジタル脳の両方がある とか
と新しい考えがつけ加えられたような気がするので。
音声はデジタルで間違えないのですかね?アナログの場合もある?違いは何でしょう?
そうです。
人間の脳は、爬虫類脳、哺乳類脳、霊長類脳の3つからできているという人がいます
(ポール・マクリーン 「三つの脳の進化」(Triune Brain in Evolution)
あるいは、共有記憶(=本能)を司る古い脳(脳幹、間脳、小脳、辺縁系など)と、自己の体験から因果法則をみつける新しい脳(新皮質)の2つの脳からできているという人がいます。
これらの脳は、古い旅館が、本館、旧館、新館と次々に新しい建物をたてるみたいに、それぞれがひとつの脳として機能するようです。
ただ、新皮質は、記憶容量は大きくて、デジタル処理ができるのだけど、本能を持たないタブラロサになっている。人間や高位の霊長類(ヒヒやチンパンジー)は、そして、通常この新しい脳が働いていて、古い脳は新しい脳の下で休眠している。
そのような関係だと思います。
人間の出す声をアナログと呼ぶのが通常ですが、それは正確ではない。間違いといっていいでしょう。
人間の出す肺気流は、喉頭から咽頭を経て唇にいたるまでの発声器官(声道)の中で、舌の位置の変化によって、瞬間瞬間に共鳴周波数を変えることができます。
そのため、実は母音がすでに離散的に発音されているのです。あーえーいーおーうは、それぞれ離散的です。つまりデジタルです。
また、子音も離散的です。デジタルです。
肺からの空気の流れはアナログですが、発声器官によって特定の母音の周波数が与えられ、特定の子音が頭につくことによって、人間の音声は、アナログな空気をデジタル変調させているといえます。
あるいは、音声に含まれている情報はデジタル情報であるということもできるでしょう。
はーい、ストップストップ。「デジタル変調」はShinRai流デジタルではない通信工学的な用語です。ちゃんと意味が確立しています。ShinRai流デジタルでは使っちゃだめです。聞きかじりの言葉を勝手に使っちゃだめです。
「デジタル変換」「デジタル化」くらいなら、まあ、いいんじゃないでしょうか。
なるほど、では音声の情報は空気を伝播するときにデジタル情報として伝播していると言うことですね。「あ」は誰が発言しても「あ」ですね。そうすることで間違いなく相手に届くと。
音声のアナログ情報はどう扱いましょう?デジタル化したので連続する音はカットなので、人間の音声にはもう連続的な音は無いということですね。
新皮質がデジタル処理ができる付け足された機能ならば、新しい機能であるCPUも新皮質にあるのでは?
この5.1と5.2あたりは参考にならないでしょうか
デジタル化したので連続する音はカットなので、
人間の音声にはもう連続的な音は無いということですね。
歌があるじゃないですか。
歌心、詩心は、アナログなものが伝わると思いませんか
そうかもしれないですね。
海馬や基底核は、A/D変換までかなぁ
そうかもしれないですね。
海馬や基底核は、A/D変換までかなぁ
雑音が多いときとかは、「朝日のあ」、「アルファー, A」てな具合に、フォネティック・コードを使うともっと確実に相手に届きます。
これは通信路符号化の一種といえますかね
思いません。
といいますか、ここでは「ShinRai流デジタル」では「人間の音声はデジタルである。」の話をしています。以心伝心の話なんかしていません。
音声はデジタルですから詩を朗読しようとデジタルですよね?「あ」を認識させようとして発した音声はデジタルですよね?音がデジタルなんです。心は関係ないです。他でもないShinRaiさんが音声は離散的で脳が概念参照して意味を取り出すいっているのですよ?
歌や詩は例外なんですか?同じ音声ですが?
大体「アナログなもの」ってなんです?論じるべきは音声がデジタルであることに対するアナログな音声です。またごっちゃになっていますよ?
これでは西田敏行がCMでいう「デジタリアン」と同じレベルの駄洒落でしかないですよ。
正確にいうと、人間の音声はデジタル情報を伝えている
これが基本です。
だけど、顔色、声音などを目の前にすると、記号化できない、話者の心が伝わってきます。
詩や歌が伝えるものも、心です。
心はアナログであり、記号化しえない部分がありますよね。
>これは通信路符号化の一種といえますかね
お、これはちょっと面白い。
「通信路符号化」また聞きかじった言葉を勝手に使っちゃいけません。
http://www.yobology.info/text/channel_coding/channel_coding.htm
さて、「朝日のあ」は誤り補正の一種かもしれませんが符号化の一種ではないですね。ShinRai流デジタルに符号はありませんよ?離散があるだけです。
ちゃんと
http://www.nikonet.or.jp/spring/sanae/report/joho/joho.htm
読みました?
誤り補正としては雑音によって「あ」が聞き取りにくいときに「アサヒノア」と同じ「あ」で補正しようとするのは、伝送路での補正ではないですね。聞きにくくて「タサキノタ」と聞き取ってしまったら「た」に化けてしまいます。
「朝日のあ」が発する方と受け取る方で了解されている符合(符号じゃないよ)ならば補正できますね。
まあ、それならそれでもかまいませんが、、、
また、メタファーになりますかね?「アナログ=論理的ではないあいまいなもの、感情的なもの」といったところでしょうか。
言葉は音声が伝える離散的情報ですよね?音声の話をしているのでまずは言葉の伝達の話をするべきでは?音声が離散的で明確に「あ」は「あ」であると言うのが「ShinRai流デジタル」です。これに対して連続的だというなら「音声は連続的」「音声はアナログ的」という話をしましょう。
論理的な「あ」と感情的な「あ」では伝達方法が違うというならまた別にそういう理論を打ち立ててください。
デジタルは同時に多数の処理を平行させて行う目的で分散処理が基本になると思います。
多くの処理を基礎となるパート毎に行い、融合した答えを出します。
謂わばゾーンディフェンスのようなやり方です。
対してアナログは線的な変化に随時対応する処理方法です。
マンツーマンディフェンスに近い。
優劣はケースバイケースなので、両方アリで行きたいですね。
ゾーンの数が処理能力を上回れば収拾不能になりますので個別にアナログに切り替えて適宜処理を続行するのが良さそう。
その際には、個別の優先順位により選択が自動的に行われているのかもしれません。
アナログだけだと処理対象以外が隠れてしまうので視野が狭くなるでしょう。
この思考方法は行き止まりになります。
しかし、個別の対応には優れている。
危機対応には最適ですし、処理能力が落ちた状態の時にはアナログで考えるしかないケースもあり得ます。
人間だけでなく、生物の脳はその時々でバイオリズムにより働きが変化すると思います。
駆動力そのものが一定ではない。
さらに、エラーの割合もケースバイケースで変化し続けるでしょう。
別にそれがデジタルの意味ではないと思いますが?このデジタルは「ShinRai流デジタル」でしょうか?
アナログでも分散処理すればいい。実は脳の動きは分散と言うか同時処理のアナログじゃないかと思うのですが、どんなもんでしょう?
miharaseihyouさんのアナログ・デジタルってどういう意味ですか?
>デジタルは同時に多数の処理を平行させて行う目的で分散処理が基本になると思います。
分散処理というのに当てはまるかどうかわかりませんが、
たとえば、「彼は、午後3時に出発する電車で、東京を発って、大阪に移動した」という文があります。
これを、「彼は、午後3時に出発する電車で、東京を発って、大阪に移動する」というのと、
「彼は、午後3時に出発する電車で、東京を発って、大阪に移動される」というのと、
「彼は、午後3時に出発する電車で、東京を発って、大阪に移動するらしい」というのと、
微妙に違いますよね。
主語を「彼らは」にしても違いますし、「午後」が「午前」になるとまた違います。
わずか2、3文字の語尾の違いで、大きく意味が違ってくることは、デジタルだからだと考えてよろしいでしょうか。
アナログでは、このような差は出せないと考えるのですが、いかがでしょうか。
これがデジタルの成果だとしたら、そして分散処理ではないとしたら、どういう処理あるいは効果だといえばよいでしょうか。
皆様どうお考えになりますか、
いちおう私は陸1技をもっています。
聞きかじりだけではありません。
各々の点を測定して規定するイメージです。
対してアナログはイラストレーターのような点から点への方向を表現する描画の集合を考えました。
言葉の意味などとまったくお構いなしに、心に迫ってきませんか。
これなどアナログだと思います。
「朝日のあ」が発する方と受け取る方で了解されている符合(符号じゃないよ)ならば補正できますね。
フォネティック・コードは、お互いに「あ」は「朝日のあ」ということが決まっています。
だから、符号ですよね。(実際にコードといいますし)
いや、符合でしょう。
だって通信路符号の意味で使っているのでしょ?
それは違いますよ。
上にもコメントがあったのを見ていなかった。
>これなどアナログだと思います。
音声を音楽として使う場合はデジタル情報の伝送ではなくなるのですか?
これは
「人間の音声はデジタル情報を伝えている」の反証になりますね。
歌のように連続的に変化する音声であっても人間の脳は歌詞として、言葉を抽出することができます。人間の言語はデジタルで伝送されていると考える必要はなくなります。「あ」と「え」の間の音を伝送しても脳がどちらか、判断することができる。アナログ的で十分です。
>聞きかじりだけではありません。
いちおう私は無線級をもっています。(いばれん)
これまでいろいろ説明していたのは釈迦に説法だったのですか。
陸1技で想定される伝送路って考え方が違うのかなぁ?
デジタル、変調、符号化、、、、言葉の意味がずれるのはなぜなのでしょう。
>デジタルのイメージとしてビットマップの描画を想定しました。
>各々の点を測定して規定するイメージです。
>対してアナログはイラストレーターのような点から点への方向を表現する描画の集合を考えました。
そうですよね。そういうのなら分かりますよね。
「ShinRai流デジタル」は理解していただけましたでしょうか?
「彼は、午後3時に出発する電車で、東京を発って、大阪に移動した」の例は理解いただけますでしょうか。
デジタルならば数学的に厳密な一点を指定できます。
実際にはあり得ない、極小の幅さえも無い、理論上の一点をです。
アナログには幅がある。習字や墨絵やデッサンや絵画の世界であり、点を指定しても、それは幅のとても小さな短い線のように見えます。
そして、単一の指定で幅のある方向性のある面積をも指定できる方法だと思います。
そういう意味ではデジタルとビットマップの例えは少し悪かったかもしれません。
じゃあ、工学的なサンプリングとは関係ないデジタルですね。概念的な意味と言いましょうか。。。「ShinRai流デジタル」に近いんですね。
絵画の例で言えば、絵筆で描いたのがアナログ、それを取り込んでたとえば640x480ドットの粒に分けて、その粒を数値化することがデジタル。だと思っています。
ホモ・サピエンスとか、ホモ・ルーデンスとか、ホモ・ファブリスとか、
あるいは、裸のサルとかよりも、ホモ・リングア・デジタルのほうが本質をついているような気がします
サピエンスも、ルーデンスも、裸の哺乳類も、人類だけの専売特許ではないですからね
一方、デジタル言語を話すのは人類だけですから
理論により意味を指定するのと、習慣により範囲を指定するのと。
やっぱり両方あるかな?
東京と大阪の例えは不合理でもあります。
文節の一つ一つは独立してもいる。
結果を変える事は出来ても一つ一つの単語そのものの意味は微動だにしない。
そして、それらの単語はデジタルには見えない。
範囲を広く取って個人の感じ方に解釈を左右されるアナログでしょう。
発音を定型に当てはめて意味を構築しているのですから、もしかしたらデジタル・アナログの範疇に当てはまらない概念の言語すら存在するかもしれません。
私たちの頭脳は私達が考える以上に多様で激しい変化を創造するのではないでしょうか?