格差社会とか金融危機とかありつつも、現在の私たちはまあ豊かで便利な生活を享受しています。
そして、今後も科学は発展を続け、私たちの生活はますます便利になる…ならいいんですが、違う可能性もあるような気がしてなりません。
もし社会が大変動を迎えるとしたら、私たちは、将来のためにどんな備えをすれば良いのでしょうか?
たとえば、「核戦争が起きる!」というなら核シェルターがいるでしょうし、「食糧危機が起きる!」というなら、缶詰でも山のように買っておくべきかも知れません。(サバイバルの訓練でもした方がいいでしょうか…?)
「円が紙くずに!」だったら、現金を資産にした方がいいでしょうが、「土地が国有化!」であれば、不動産は買っても無駄。
「英語が世界共通語に!」なら、英語を勉強すべきでしょうが「日本が中国様の植民地に!」だったら、中国語がベターかも知れません。(海外移住がベスト?)
もちろん「たいした変動はないから、普通に仕事のスキルを磨いた方が」という意見もアリでしょう。
ともあれ、
「このような理由で、このような備えが必要」
という説得的な意見をお願いします。
まず、率直な感想を述べると、この発問自体が文明批評となっていることで、非常に興味深く思いました。
利便性を徹底追求している今日の消費社会は遠くない将来に破綻を来しそうに思えます。それに向けてどんな備えをしたらいいか、とうとうここまで来たかと思えたほどです。
最近、とある南洋の島での玉砕を生き抜いた人の話を聞く機会がありました。生きることに貪欲であることが自己の生存に繋がったと本人は言っていました。どんなものでも食べた、食えそうなものは何でも食べたと言います。ミミズ、ナメクジ、そして山野草、後必須なものとしては塩。これは生きていく上で必要だと。
巡って来る社会破綻に備えて食糧を買い込むというのは大変だと思います。ともかく生き抜くということであれば、塩を確保しておく。野宿用品を一通り備えておくということがいいのかもしれません。原始生活を想定して、ナイフ、食器などを用意しておく。あらかじめどのあたりが自活できそうか調べておく。食べられる野草の研究も必須です。
当人からは水の重要性も聞きました。湧水が確保できるところがあればそれに越したことはありません。原始生活を送るための備え、道具としての備品。最低限のものは揃えておく。時々終末に山野に入ってレインジャー訓練をする。そして、何を食っても下痢などをしない、内蔵を鍛えておくことも必要かもしれませんね。
最後に、大事なのは精神力です。生き抜いていくという貪欲さ。希望の灯をたやさないことです。そうすることでもしかしたらあなたは人類の希望の灯火として一人だけ生き残って、或いは奥さんか、恋人だけが生き残って、係累を増やしていく。が、人類の経験を踏まえて、くれぐれも競争社会にまた再び逆戻りしないように。縄文時代のように変化のない、のんびりとした共生社会を形成していくように切に望みます。
カタストロフィーは、予想よりも早くくるでしょう。
地球人口が70億人というのは多すぎますし、ますます異常気象や海洋汚染がひどくなるでしょうから。
でも、食料や缶詰を備蓄したって、そんなにたくさんはできません。
それに隣人や目の前の子供が飢えているときに、自分だけご飯を食べておいしいわけありません。
できることは、余分なことは考えないこと、ひたすら野生動物のように、一杯のご飯に感謝する心をもち、心身ともに健康に生きていくことです。
お勧めできることといえば、武道ですね。心と体を鍛えるには、合気道なんていかがでしょう。
http://www.h5.dion.ne.jp/~aiki-dou/
あとは、禊ぎ。
http://members2.jcom.home.ne.jp/ichikukai/
これで何が起きても、あなたは人を助けたり励ます立場になりますよ。
そうすれば、ミニマムな食料くらい、心配しなくっても手に入ります。