また、無人島や、一般人が原則として上陸できない島で、住んでいたり仕事をしたという経験のある方、又はそういう知り合いがいるという方は、その方の職業と島での実際の仕事内容、本土(?)をどのくらいの頻度で行き来したか(例:一月に1〜2度東京に行った、等)を教えていただけると嬉しいです。
よろしくお願いします。
軍艦島として有名。
1960年以降は、主要エネルギーの石炭から石油への移行(エネルギー革命)により漸次衰退。
1965年に新坑が開発され一時期は持ち直したが、1970年代以降のエネルギー政策の影響を受けて1974年1月15日に閉山した。
閉山時に約2,000人まで減っていた住民は4月20日までに全て島を離れ、無人島となった。
かつては人口が100人を越え、戦前はカツオ漁などにより他の島に比べ繁栄を誇っていたが、急峻な地形で築港できないなどの理由から徐々に衰退。
戦後、一時期活況を見せたが、それも長くは続かなかった。
やがて、島内で完結した自給自足の自然経済から貨幣経済への移行がせまられたこと、昭和30~40年代の集団就職等による人口減などの問題、さらに週一回の定期航路はシケのためしばしば欠航が続き飢饉騒ぎが起きたこと等、島での生活を維持していく事が困難になった。
このため1970年(昭和45年)7月28日、全島民が鹿児島市等への集団移住を余儀なくされた。
なお、この頃の人口は7世帯28人にまで減少しており、最後の日は4世帯16人であった。
一般市民の定住者はなく、気象庁(南鳥島気象観測所)、海上保安庁(南鳥島ロランC局)、海上自衛隊(南鳥島航空派遣隊)の職員が交代で常駐する。