試みに思いっきりざっくりと理解した事を、引用しながらコメント欄で述べますので、間違っているところがあったらご指摘ください。
つまり『量子力学(コペンハーゲン解釈)』って「確率的な世界観」を採ると世界はシンプルに説明できるし、予想し易いと言っているだけなんですよね?
『道具主義』を追求するベクトルの上にある学問で、真実を追究するベクトルには別の学問があると考えていいんでしょうか?
哲学的な何か、あと科学とか
http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/gakuFrame.html
そもそも学問というのが、
『道具主義』を追求するベクトルの上にある
もので、(人文系はよくわからないけど)
真実を追究するベクトルには別の学問
というのは、宗教になってしまうのではないでしょうか?
実際、量子力学を創造した物理学者たちは、その意味するところについてさんざん議論したあげく、最後には宗教に魂の安寧を見いだしていたりします。
(参考資料を見つけようと、"量子力学 解釈 歴史"でググると、いろいろ書籍が見つかりました。)
この説明として、「1個の粒子が、観測されていないとき、波のような状態になって、スリットA、スリットBを同時に通り抜ける」という『量子力学(コペンハーゲン解釈)』が生まれ、さらにその論理的類推として『多世界解釈(シュレディンガーの猫)』が生まれた。
『多世界解釈』に従えば、宇宙とは波のように漂う「巨大な可能性の塊」であり、宇宙におけるあらゆる可能性は今ここに、重なり合って存在していることになる。
しかし『2重スリット実験』を説明できるのは『量子力学(コペンハーゲン解釈)』だけではない。
『パイロット解釈』によっても説明できるし、
「電子は、『ホントウは』小人さんが、動かしていて、だからあんなふうに干渉縞ができるのさ。そう考えれば、ツジツマがあうよ。あ、その小人さんって観測できないけどな(笑)」
のように、ある「現象」に対して、それを説明できる「解釈」は、いくらでも作り出すことができ、どれが正しいか知る術は存在しない、というのが、量子力学以降の科学の状況だ→『道具主義』
ともあれ『量子力学(コペンハーゲン解釈)』は『『シュレディンガー方程式』によって、「もっともシンプルでわかりやすい便利な数式」として表現できる解釈となっている。
しかしそれはあくまで『道具主義』的な立場から有用だというだけであって、決して科学は「コペンハーゲン解釈が説明するとおりに、現実もホントウにそうなっている」とは述べていない。
結論
『神がサイコロを振るか』は結局わからない。
すべての物理現象は、確率的に記述することしかできないのだ。
アインシュタインの言うように、その背後に真の原因があるのかもしれないが、それは知りえないのだから、少なくとも、人間にとっては、「確率的な世界観」が真の姿なのだ。
・・・『量子力学(コペンハーゲン解釈)』では。
例えば、質量保存の法則は変化して、相対性理論(演繹法に拠る理論です)に拠って導かれる結論はエネルギーと物質の変換を予測しました。
理論は手当たり次第に現象の原因の解決を模索するけど、全ての学説は正しいとは限らないという絶対的な前提に於いて議論が進められていると言う事実は意外に知られていなかったりする。
最近で一番有名な例では「温暖化現象は二酸化炭素の増大やフロンガスが引き起こすオゾンホールなどが原因で起きている」というのも実は幾つかの学会の仮説に過ぎない。
大勢の人が信じている神の存在のごとく、真実は確率論の中に埋もれているのかもしれない。