自分の意思に関わらず、自然と舌、口元が動いています。
一方めったに食べない、スイカの種があります。
食べるとき、かぼちゃを食べるような、舌の動きをしていないような気がします。
種を飲み込んでいるようです。
別な動きのように思えますが、異物をかぎ分けるしくみは、なにがそうさせているのでしょうか?
年老いた人が、もちを食べるとき息を詰まらせることから、連想しました。
人間が、固いものを食べなくなることからきた、進化の過程なのでしょうか?
医学方面の従事に関わっている方の、お答えを望んでいます。
カボチャとスイカでは、種の大きさが歴然と違います。
スイカの種は飲み込めるほど小さいけれど、カボチャのは大きいですから、感触で異物と判断し、飲まずに吐き出そうとするのでしょう。舌は自然に種をよりわける動きをするものと考えられます。また、カボチャのワタ(種のまわりの果肉)は長い繊維状になっていますから、種とからみやすく、より分けるにはより細かな舌の動きを要求すると思います。
# 通常、カボチャは料理する際に種をとりますから、種をより分ける作業を、あまりしたことがありませんが。
スイカの種は飲もうとする、という点ですが、ここには個人差があると思います。わたしはスイカの種は出します。だから、やはり舌は種を探り当てて果肉とより分けるべく動きます。
しかし、スイカより種が小さなメロンとなると話は違ってきます。一応だそうとしますが、種の数が多いのと、スイカよりも小さいのとで、スイカのように舌で種だけより分けられません。口全体を使って汁を吸い、果肉(というか、種のまわりの繊維質はワタと言いますが)と一緒に出すか、全部飲みこんでしまいます。
ここまでの結論としては、舌の動きの違いは、より分けようとするもの(この場合は種)の大きさによる違いだと考えます。どの大きさまでは飲む、それ以上大きくなったら吐く、という線引きは人それぞれです。
では、小さい種まで吐き出す人は進化しているのか?
そんなことはないと思います。そのような人でも固い煎餅を食べないわけではありません。固くても美味しいと判断すれば食べるでしょう。種に関して言えば、食べても美味しくない、消化に悪いなどと判断して、飲み込まずに吐き出しているのですから、進化よりも文化と関係があるように思われます。
子供やお年寄りが飲めないようなサイズのものまで飲み込んでしまうのは、口から喉にかけての感覚や筋力が発達しきっていないか、衰えてしまっているからだと思われます。
子供に関していえば、経験不足から来るとも考えられます。うまく飲み込むコツをつかむ前に、能力を超えた大きさのもの(あるいは粘りなどの食感のもの)を与えられて、失敗するのではないでしょうか。
URLはダミーですが、ものを食べたり飲み込んだりする力が衰えている人のための訓練を説明したページです。
>人が進化すると、種を吐き出さなくなるのかと、想像しかけていますが・・・
>固い食べ物を食べなくなると・・・・・。
これを読んで気がついたのですが、
まず、進化という言葉にとらわれすぎて迷い道に入っているのではありませんか。
種を出す、という行為を、出来なくなった、人がいるなら、
それは進化じゃなくて、退化です。
本来あるべき能力を失いつつあるのですから。