野生動物の色彩感覚がヒトと同じくらい繊細であることを確かめる実験も含めて、具体的な事例や体験談など歓迎いたします。
(写真は南アフリカ映画『ツォツィ』より。スラムで生活するシングルマザーが、割れたガラスのかけらを集めて作ったモビールをみている、ならず者ツォツィ)
「色彩や色彩感覚」と言われているものが、どこまでのことを意味するのかによって、違ってきそうに思えます。
私自身、軽度の赤緑色弱を持っていますが、下記のページに書いてあることが、普段の生活で実感しています。
色覚の多様性と視覚バリアフリーなプレゼンテーション | 第2回 色覚が変化すると、どのように色が見えるのか?
このページの最後の方にある「K:色名を用いたコミュニケーションが非常に困難である」という章で、こんなことが書かれています。
色と色名を結び付ける作業(色の同定) は、色の違いを知覚する (色の弁別) のとはまったく異なった課題である。
ShinRai さんが言わんとしているのは「色の同定」のことを指しているのであれば、大脳新皮質で獲得したもののように思われます(私は脳科学者じゃないので、根拠の無い勝手な想像です)。
しかし「色の弁別」であれば、上記ページにあるように、
色の弁別には 2つの色の色相や明度、彩度のわずかな違いがわかればよい。
ので、これは、視覚、および、視覚処理の中で区別して利用しているかどうか、ということになるので、「言葉があるから」ということとは無関係と思われます。
また、鳥や昆虫の種類によっては、そもそも視覚をつかさどる感覚器官として、扱える光の波長が違う、ということもあるので、「色彩」という概念自体も変わってくるかもしれません。