孟嘗君(もうしょうくん)の食客。
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①鶏鳴狗盗
紀元前299年に秦の昭襄王は孟嘗君を宰相として迎え入れようとした。孟嘗君はこれに応えて秦に入ったが、ある人が昭襄王に「孟嘗君が当代一流の人材であることは認めますが、孟嘗君は斉の人でありますから、秦の宰相になっても斉の利を優先するに違いありません。さりとて帰せば斉の利の為に働き、ひいては秦の脅威となるでしょう」と進言、昭襄王はこれを容れて孟嘗君が滞在している屋敷を包囲させ、孟嘗君の命は危うくなった。
孟嘗君は食客を使って昭襄王の寵姫に命乞いをしたが、寵姫は孟嘗君の持つ宝物である“狐白裘”と引き替えなら、昭襄王に助命を頼んでも良いと答えた。狐白裘とは狐の腋の白い毛だけを集めて作った衣の事で、一着に狐が一万匹必要と言われるほど非常に希少なものであり、孟嘗君は秦に入国する際に昭襄王にこれを献上していたのである。すでに狐白裘は持っていないのでどうするかと悩んでいた所、食客の一人である狗盗(犬のようにすばしこい泥棒)が名乗り出て、昭襄王の蔵から狐白裘を盗んできた。これを寵姫に渡し、その取り成しによって屋敷の包囲は解かれ、孟嘗君はひとまず危機を逃れた。
とは言え、いつ昭襄王の気が変わるかわからないので、孟嘗君らは急いで帰国の途に着き、夜中に国境の函谷関までやってきた。しかし関は夜の間は閉じられており、朝になって鶏の声がするまでは開けないのが規則であった。既に気の変わった昭襄王が追っ手を出しており、孟嘗君らもそれを察していたため困っていた所、食客の一人である物真似の名人が名乗り出た。そして彼が鶏の鳴きまねをすると、それにつられて本物の鶏も鳴き始め、これによって開かれた函谷関を抜けて、孟嘗君は秦を出国することができた。昭襄王の追っ手は夜明け頃に函谷関へ着いたが、孟嘗君らが夜中に関を通った事を知って引き返した。こうして孟嘗君一行は虎口から脱出したのである。
②馮驩の復職策
孟嘗君は斉の宰相から外されることとなり、孟嘗君の元にいた3千人の食客が去った。だが馮驩だけは残った。そこで馮驩は斉の宰相に復職させるために一芝居を打つことになった。
まず馮驩は秦へ赴き、昭襄王と面会し「斉の宰相だった孟嘗君が秦へ仕官したがっています」と告げる。昭襄王は孟嘗君の才覚を気に入っていた上に斉の内情に詳しいので、すぐさま使者を出した。
次に馮驩は斉に急いで戻り湣王と面会し「秦が孟嘗君を斉から引き抜こうとしています。そんなことになっては一大事だから、斉の宰相に復職させて領土を増やし、わびるべきです」と説いた。
さらに湣王は秦の使者が斉に入ったことを知ると、すぐさま斉の宰相へ復職させ領土を増やしわびたという。
×桂元済
○桂元澄