「日本敗戦後の粉ミルク援助など」にはいろいろな援助を含みますので、時系列で大きく3つに分けます。
1. ララ物資
1946年から始まった、最初の援助です。
Licensed Agencies for Relief in Asia の創設には、日系の人たちの多大な働きかけがあったようですし、財団法人 海外日系人協会のサイト によれば
ララ物資支援は、1952年(昭和27年)当時の価格で400億円を超え、そのうち、約20%、80億円が在留邦人・日系人からの援助物資でした。
との事です。
(英語版 Wikipedia にも "Roughly 20% of the aid was donated by Nikkei and Japanese nationals." という記述があります)
ですので、終戦直後の援助に関して日系の人たちの関与が大きかったと、いうのは事実のようです。
ちなみに、Wikipedia には「主な支援物資は長期間の輸送を考慮して脱脂粉乳と衣類」とありますが、Licensed Agencies for Relief in Asia (L.A.R.A.) — GAMEO の記述によれば、その他にも石鹸や医薬品があり、さらに2,036頭の山羊と45頭の乳牛も贈られたようです。
2. ケア物資
1948年から始まった援助です。
CARE は、創設当初の名称が "Cooperative for American Remittances to Europe" である事からもわかるように、元々はヨーロッパ向けの援助を行なっていた団体でした。
アメリカ陸軍の余剰となったレーションを援助物資に転用したのが始まりですので、この CARE Package は、コーヒーや砂糖を含む食料品だけでした。
内容のリストには "whole-milk powder" とあって "skim milk powder" ではないので、脱脂粉乳ではなかったと思われます。
余剰レーションが払底した後、独自のパッケージとして、小麦、脱脂粉乳などの他、毛布、学用品、医薬品などの非食料品も梱包されるようになった、との事です。
3. UNICEF
1949年から援助を始めています。
主に脱脂粉乳や医薬品、原綿などの援助を受けた、との事です。
UNICEF and Japan celebrate a 60-year partnership の写真には、UNICEF からの粉ミルクが入ったドラム缶が写っています。
以上を踏まえると、質問文にあるブログ記事の文章は、
GHQの情報検閲で隠されていましたが、このララ物資を送ってくれたのはアメリカ人ではなく、米国やブラジル他の日系人だったのです。
ですので、完全な誤りとまでは言えませんが、誇張を含んでいると考えます。
この表現では、ララ物資に関与したキリスト教系支援団体の人たちの存在が無視されてしまいます。
ご参考になれば幸いです。
あと日系人は寄付を集めたとリンク先には ありますが、寄付してくれた人が 誰であるかは
書いてません。
実際のところ、誰の援助なのかは 不明ですね。