キャノン販売が代理店になる前は、複数の販売代理店がありました。
本体も高かったですし、扱える日本語も少なかったですね。
細明と中ゴが最初でしたっけ。
そのあと、前述も含めた基本5書体と呼ばれる"じゅん"、"太ゴ"、"太明"が加わりましたね。
私は当時売れていたほうなのか分かりませんが、フォントワークスのロダンっていう日本語の書体をデザインした人の経営する会社に勤めていました。
死ぬほど残業と休日出勤をしました。笑
書体なんか、フロッピー何十枚にもなっていましたから、インストールするだけで大変でした。
その会社は、入出力センターとマックの販売もしていました。
ほとんどが、イラレで入稿して、印画紙と呼ばれる紙に出力してましたね。
たまに、フィルムを出力しようとする強者が現れましたが、大変苦労しました。
また、コンパクトプロという、ファイルの分割ソフトがありましたが、フロッピーディスクに最高100数十枚に分割して入稿するひとや、
ハードディスクを持ち込む人、最悪なのは本体を持ち込む人なんかいましたね。
といっても、入稿してくる人のほうも大変みたいで、3日~1週間は家に帰っていないなんてザラでしたよ。
あとは、印象に残っているのは、ディスクダブラーですか。
こいつも、圧縮と分割ができるソフトでした。
あと、学生さんは、クラリス系が多かったですね。
その他の入稿してきたソフトは、NisusWriterやLotus123、EGWord、Wingzってとこですか。
たしか、NisusWriterはバイリンガルのソフトではなかったかな。
ここに載ってるソフトで、上から7つは確実にメジャーでしたね。
当時の会社内は、Ⅱをサーバーにして、ローカルトークでLANを組んでいました。
後に、イーサーの10Base2にリプレイスして、サーバーもⅡFXなんかにしました。
インターネットなんか無くて、NTTのINS net64という回線を使って、ルートワンという通信機器やモデムで通信をしてました。
プリンターはイメージセッター以外にも、キャノンのピクセルディオというカラーコピー出力機がありましたね。
レインボーやアイリスといった昇華型プリンタとインクジェットプリンタも存在しました。
と、まーこんなとこで、長文乱文ですみません。
うる覚えの記憶のまま、だらだらと続けてしまいました。ごめんなさいねm(o´・ω・`o)m