わかりやすく例えれば洋服や楽器を1万円で仕入れて、2万円で売るなどです。
購入した方に仕入れ先を教えてあげれば、その人は1万円で手にはいるのにな。。と思ってしまいます。
違法なことではなく他店とほぼ同一金額なのですが
気持ち的に相手に対し倍の値段で売っているという背徳的な気持ちを持ちます。
私は商売にむいていないのでしょうか。
商売をする際、その点について
どのような心構えでいればよいでしょうか。
2倍であろうが、3倍であろうが、ものによっては100倍でも売れます。
逆に、1/2倍でも1/3倍でも1/100倍でも売れない場合もあります。
原価率なんて関係ありません。
お客様にとっては。
お客様にとって、価値のあるものを適正な価格で販売する。
これに尽きます。
付加価値を付けて売っていると考えればいい。
http://www.sk-genka.com/kanri/kan02_genka.html
”商品を販売するときの売値、販売価格は、
売値 =原価 + 儲け(利益)
原価がわからなければ、いくらで、販売してよいのかわかりません。”
小売店だと原価は商品の仕入れ価格以外に、人件費や店の家賃、店の光熱水費などなどを考えておかないと、実際の売値から儲けが出ない事になりかねません。
飲食業界だとおおまかに言えば原価に対して売値は最低でも3倍にするのが常識的な価格設定のやり方とされています。
確かに仕入れ先から買えば安く買えるでしょうが、個人相手に売らない場合もありますよね。そういう時には小売店で買うしかないので、小売店が成り立つわけです。
ここ数年でインターネット通販のようにメーカーや問屋が個人向けに直接販売をする事が増えてきました。街の商店街では全く成立しなくなった小売の業種が出る原因となっています。
それから需要と供給のバランスという見方も大切です。需要、つまり買う側の人と、供給、つまり売る側の人との間の関係がバランスが取れている必要があります。
例えば売る側は値段を自由につける事ができても、買う人が出せない金額にしてしまうと一つも売れない、なんてことが起きます。
だいたいこんな感じの事を自分に納得させて、何も不当な事をしているわけじゃない、と心をしっかり持つと大丈夫だと思います。
およそ価値あるサービスは、たとえ無形であっても対価があって然るべきです。客が来店しやすい交通の便の良いところに店を構え、客のニーズに合わせて様々な商品を揃えて陳列し、不良品が出ないよう品質を管理し、客の要望や質問に応え、販売後も問題が生じたらサポートを行い云々。小売業はそのような各種サービスを付加価値としているのであり不当でも何でもありません。
おっしゃるように、購入者に仕入先を教えてあげれば安くつくとしても、その場合はその情報自体に対価があるべきです。価値ある情報はすなわち価値あるサービスであり、そこに対価がつくのは全く正当な話です。その情報をただであげるというのは、究極的には商品そのものをただであげることと同じ話です。
また客にとっては、個別の商品についていちいち仕入先を回るより、近場の店で一箇所ですぐに購入できるというメリットがあります。コンビニのような年中無休24時間営業の店ならいつでも好きなときに買えるというメリットもあります。このような利点は即ち価値あるサービスであり、割高な料金を支払うのは当然でしょう。
押し売りでない限り売れる値段で売ることについて気に病む必要はありません。
それに商売をやっていれば 売値-仕入れ値 がそのまま利益になるわけでなく色々な経費がかかるのでまともに商売をやっていればそれくらいの利ザヤは普通ですよ。業界によってはもっと利ザヤを取っています。
趣味でやっているうちは仕入れにほんの少し上乗せしてお小遣いになる感覚でしょうけど、数が増えると同業者の売り上げにも影響してくるし、そうなればあなたの趣味が他の人の生活を脅かすことにもなります。基本は自由競争の世界なのですが、そうは言っても業界の相場を乱すと卸し元がそんな値段で市場に出すならあなたには卸さないとか仕切りを上げるとかされます。それに安く売れば客が増えるのでその数が増えてくれば倉庫も必要になったり発送作業に人を雇ったりしなくてはならなくなって結局経費が増えてきますよ。
他の店も同じような利益構造か考えてみるといいと思います。
あなたの仕入れ値は他店の仕入れ値より明らかに低いのならばそれは逆にビジネスチャンスだと考えるべきです。他店と同じ値段で売って利ザヤで稼ぐか、他店より安く売って数量で稼ぐか、それはあなた次第です。
誰に恥じることも無い正常な商行為です。
お客様に「価値」を提供しましょう。
おっしゃるとおりに、1万円で仕入れたものを2万円で、何の付加価値も無く売っているだけならば、その商売はすぐに破綻するでしょう。
お客様に1万円分以上の価値を提供する必要があります。
それは、ロケーションの便利さや、時間的な便利さもあるかもしれないし、楽しくお買い物をする時間かもしれないし、品揃えや、商品を選びやすい商品の陳列かもしれません。店員さんのアドバイスで服のコーディネーションを手助けする事かもしれないし、店員さんと楽しく話す事であったり、この店に行けば良い情報が手に入る事かもしれません。
確かに、安く買えることもとても重要な「価値」のひとつです。
その「価値」が他店よりも勝っていなければ競争で淘汰されてしまいます。
倍ということでおもいだしました。
勝間さんだったとおもいますが、売上げと給与の関係は、たいてい1/2だといっていました。
たとえば、タクシーでもピアノ講師でもいいのですが、1時間4000円ですよとお客さんを集める。
実際払ってもらった売上げのうちの半分、1時間に2000円は事務所だの経費にとられて、自分の給与は2000円。
じゃあ経費とはなんなのか。
税金を払ったり、宣伝をしてお客を集めたり、タクシーやピアノが壊れたらその修理費につかったりします。
開業するときに丈夫なものを手に入れたって、いつかは壊れたりするわけですから。
貴方の場合は、仕入れ代が経費の大部分を占めているわけですが、
客から経費だけとっていたら、いつか破綻することは目に見えています。
あなたが労働を一切していないならともかく、アフィリエイトやドロップシッピングだって、
サーバーメンテ告知やメールを毎日見たりという細かい作業が発生している筈なので、
「めんどくさいからご自分で買いに行ってください、店はこちら」っていうサイトをつくるのは
自分がその事業をやめるときだけにしたほうがいいですよ。
あと所得税や消費税はキチンと払いましょう。
最近流行りの薄利多売方式はどうでしょうか。マスコミに出ている人を見る限り、かなりの経営者があなたと同じ考えのように見えますが。
あなたが商売に向いていない、なんてことはないでしょう。人々に物を行き渡らせるのが商売ですから。需要と供給です。
お金とはなにかという事を考えるといいのではないかと思います。
お金とは他人に対する「サービス」の対価です。
「物」に価値はありません。
例えば「鉄鉱石」に価値はありません。私は鉄鉱石1トンが100円だと言われても欲しくありません。私に対して「鉄鉱石」を掘って家まで持ってきてもらうことはサービスではありません。
しかし、「鉄」が欲しいという人がいると、「鉄鉱石」を掘り出すこと、「製鉄所」に運ぶことがサービスになります。通常は「労働力」などと呼ばれがちな仕事も、本来は全てがサービスです。
サービスしてもらった人は、サービスしてくれた人に恩返しをする必要があります。食料の場合もあるでしょうが、お金が「サービス」の対価として使われます。
「サービス」により、「鉄」に価格が生まれます。「鉄」に価値があるのではなく、「鉄」にするまでの「サービス」の積み重ねが価格の指標となります。
このように、掘ったり、加工したり、運んだりすることが従来型の「サービス」です。最近では情報も価値になります。「時間節約効果」、「癒し」、「わくわく感」などをサービスと感じる人に対し価値になります。
riricksさんのお仕事だと、物を運ぶ(1か所に集める)ことが従来型の「サービス」提供ですし、現代型だと、ここにくれば一度にいろいろそろうという「時間節約効果」や、ここにくるとおもしろい物がいっぱいあって楽しいという「わくわく感」がサービスです。
このサービスを提供するために、あなたはたくさんの時間を使っていますので、対価をもらうことに罪悪感を感じる必要はありません。
また、対価は本来、サービスをしてもらう人が決める物です。なので、お客様がお金を払ってくれた=サービスの対価として適当だった、ということです。
もらいすぎているという気持ちがあるなら、お客様になにかおまけでも付けて還元してはいかがでしょう。
気持ちよくご商売出来ることを祈っています。
「私は商売にむいていないのでしょうか。・・・」とのこと。
まさにソノ通りです。
役人とか警察官とか教師とか、別の道を歩んだほうが正解です。
一つ気持ちを楽にする方法としては、1万円で仕入れて、2万円で売るからこそ利益が出る。
その利益1万円で生きていけるのでしょう?
利益で家族を養えるじゃあないですか?
究極のところ男性って家族のために働いているわけです。
妻のため、子供のため、もしかして親のためも
楽に養えれば、自分小遣いが出るじゃないですか?
そういう風に考えないのですか?
洋服や楽器は高いのが当たり前です。
ぼったくりバーの店長でもなければ、やましいことはない!
第一警察に引っ張られたり、訴えられたりしないでしょ??
あなたは商売に不向きだ。
他店と同じ価格なら、それが相場だからということでよいかと。
仕入れるには仕入れリスクもありますし、
仕入れるためには信用も必要だったりします
なので、仕入先を知っても個人では買えないことがほとんどです。
個人でも買えるところで仕入れてるのなら
周りの業者はあなたよりももっと安い値で仕入れてるのです。
>気持ち的に相手に対し倍の値段で売っているという背徳的な気持ちを持ちます。
>私は商売にむいていないのでしょうか。
むいてないかどうかといえばむいてないですね。
服とかなら2,3割の仕入れ値でうってますけど。
倍とかじゃなくて、5倍とかそんなんですね。
商売と職業倫理との関係ですね。
原価に経費、手間賃、さまざまなものを加えてもさらに高く売れる見込みがある。
そのときに「売れる」と思った価格をつけて倫理上問題はないか。
旅行でタクシーの交渉などしているときによくこういうことを考えます。
どうしてもタクシーを使わないといけないところがある。あるいは使わなければ宿まで帰れない。
そういう時、相場価格より高い値段をつけても、出せる人は出すでしょう。でも、旅行者である以上、過度に高い料金を払えばこの先の旅行に差し支えることは必至、あるいは貧乏な人は出せない、帰れなくて野宿、犯罪に巻き込まれることも・・・ということになりますよね。
それは「人の弱みに付け込んで」ということになると思います。
中東などでは駆け引きは認められています。出せる人は出すといい、出せない人は交渉して下げてもらえばいい。
でも、この原則はいろいろなところで例外が設けられています。
旅人については、見返りのない親切をすべきである。
また、野菜に水をかけてみずみずしく見せたりしてはいけない、など。
人を騙して、製品がその価値以上のものがあるように見せかけたり、困っている人に対して値を吊り上げたりするのはよくない、ということではないでしょうか。
漫画の『夏子の酒』でも同じような場面が出てきます。食糧危機が起きたときに、農民は、倍の値段で買うと言ってきた金持ちに野菜を売るべきか。そのとき売ったら、価格で生命をコントロールすることになる、という議論です。
生活必需品は過度の高値はつけられない。奢侈品にはつけられる。
ただし生活必需品は安定した需要があり、奢侈品にはない。
こういうことなのではなのかと思います。
では奢侈品には天井しらずの価格をつけてよいのでしょうか。
奢侈品であっても、その必要性に応じて、という事になろうかと思います。
PCは生きるのに必至ではないですが、仕事には必要になりつつあります。
こういうものには適正価格をつけなくてはいけません。
では生活にまったく関わりないものには。
原則的には「いい」と思います。
が、利益は独占しない、というのが「倫理」かと思います。
まず品物を提供してくれた人に払い、自分のために働いてくれた人に払い、自分と家族の生活のために払い、そしてお客様に金銭以外の形で還元する。
それでも余ったら社会のために還元する。それは回りまわってお客様の利益になり、また製品を買ってくださるかもしれません。
それが商業倫理、ということではないかと、今ざっとですが考えました。
シンプルに1万円は手間賃と考えればいい。手間に値するのか?とか手間って何?とか考えても、世の多くの付加価値の適正なんて解らなくなるだけだし。
通常は商売用の「仕入れ先」というのは卸売業者
で取り扱いのロットが大きいですよね。
それを仕入れて小分けして売るのが小売業です。
そこに小売業の本質的な存在価値があります。
在庫リスクを抱える分、利益を取ることは当然と
言えます。
もし卸売業者が最終消費者が購入する程度の
ロットで商品を販売(卸売)しているなら
その業者は小売業を(も)すれば良いのでしょう。
これはまさしくマイケル・サンデル教授の政治哲学理論の根幹に関わる質問ですね。店主が100円をおつりを渡すところを間違って、10円のおつりを渡したところお客は気づかず、帰ろうとしました。その際、店主は、このまま帰してしまったら、店の評判が落ちるから、ただしいおつりを渡そうと考えました。これは近代哲学の祖となるカント哲学では悪であるとサンデル教授は言っています。すなわち、カント哲学では、行為に関わる結果が善であることよりも意図するものが善であることを求めているわけです。同じ例をあなたの質問に当てはめると、単純に1万円で仕入れたものを2万円で売ることは転売目的の営利行為であり、マックス・ウェーバー的な資本主義的倫理も備えていない悪の行為となります。
では本来の資本主義的倫理の源泉がどこにあるかというと、それはすなわち、商業行為に伴い、何かしらの金銭的利益に見合う付加価値をつけた上、お客に対して幸福をもたらす行為にあると思います。儲かれば、何をやっても構わないという発想は、実はプロテスタンティズムの根源的発想にはない行為であり、西欧諸国においても19世紀以降にでてきた比較的新しい考え方なのです。
その上でサンデル教授は政治的決断にせよ、商業行為にせよ、哲学的に正しいことを行えと教えています。理想は高く、屋根の梁は高く掲げよ!これが本来の資本主義的倫理というものとなるのです。
メーカーが直販しても利益はそれ程変わらないばかりか、直販をするだけのインフラを整備するのが大変だから。
以下に理由を述べます。
1.その商品の生産ロットが巨大である為、生産者は小売をするだけのリソースを割く事が出来ない
洋服でも楽器でもなんでも良いのですけれど、生産ロットって100とか千とかではなくて大抵の場合何十万とかになります。
「コンテナ埠頭」とかでググって貰えばわかると思うのですけれど、良くこういうデカいコンテナ貨物のトラックが走っていて「邪魔だなあ」とか思われていると思うんですけれど、ああいうのが港に山のように積まれているんですね。
で、あの貨物の一つ一つの中に「生産された商品」がぎっしり詰まっている。それこそ何万、何十万という単位で。
仮にコンテナから商品を倉庫に下ろした時の原価が仮に売価の1/3くらいだと仮定します。
倉庫で販売すれば1000円のTシャツが300円で販売出来るのですが、倉庫は新宿とか渋谷とかの繁華街になくて物凄く不便なところにしかありません。そこまでわざわざ消費者の人は買いに来ますか?コストコみたいな仕組みもありますけれど、あれの何倍、何十倍という規模で商品が積まれていてディスプレイも無ければ試着も出来ずクーラーも楽しげな音楽もかかっていないような場所で商品を購入したいとどのくらいの人が思うのでしょう。
生産ロットが小さくて、例えば1000とか一万とかいう単位だけ生産してそれで企業が成立しますよっていうのなら生産と販売は直結していても良いと思うんですよ。具体的な例で言うと「街のパン屋さん」なんかがその例ですね。
でも、楽器とか洋服は「生産をする為のインフラ」としての工場を所有もしくは工場のラインの一部を借りるなどして一定以上の生産をしなければなりません。つまり「生産をする為のインフラを確保する為にある程度以上の量を生産しなければならない」というジレンマのようなものを抱えているんです。洋服の場合はテーラーメイドと呼ばれるオーダーを中心としたお店もありますけれど、シャツ一枚に数万も出す人っていないですよね?なんでユニクロが980円とかで販売出来ていると思います?何処かの国で大量に生産をしたものを大量に販売しているからですよね。
2.消費地と生産地が遠隔であり、消費者が個別に購入する事が困難である
上記にも書きましたけれど、生産をする場所と販売をする場所が遠隔地である、というのも理由の一つです。
洋服や楽器が新宿や渋谷で生産されていないくらいの事はご存知の事かと思います。最近は殆どの生産が海外ですね。
海外でない場合でも「工業団地」みたいな場所で生産されていて、そういう場所は大抵都心から離れた場所に存在する。
じゃあ、その工業団地まで行けば1000円のTシャツが300円ですよとなったとしても消費者は「よーしパパ、工業団地に行ってTシャツを300円でゲットしちゃうぞー」とはなかなかならない。
だって、工業団地に行くだけの「手間と時間」が惜しいじゃないですか。わざわざTシャツ買う為だけにその「手間と時間」を掛けるのって馬鹿みたいじゃないですか?
そもそもその倉庫には特定のメーカーの製品しか存在していなくて「あれにしようか、これにしようか迷いたい」という人は、沢山の倉庫を見て回らなければならない。倉庫だからエアコンもないし、埃っぽいしで大変ですよ?
こういう事を書くと通販で販売してくれれば良いでしょう、という反論が出て来るわけなんですけれど、通販をメーカーが持つ為には通販をする為のインフラをメーカー側が整備して維持するだけの負担をしなければならない。
で、今までおつきあいのある卸や小売りの人をぶっちぎってまでEC直販をするメリットがメーカーには無いんです。だって消費者に直接販売しようと卸や小売に売ろうと「300円は300円」でしかないのならわざわざ販路を新たに作る必要はないですね。
3.小売業者は商圏で販売するだけの在庫と販売するだけのインフラ(店・従業員)を所有する事が出来る
商品によって多少流通の方法が異なるのですが「メーカー→卸売→小売り」が一般的な流通のスタイルだと思います。
卸売りというのは在庫を調整する為に必要な存在ですが、場合によっては卸売が存在せずにメーカーが直接小売りに卸しているものもありますね。
いずれにせよ、小売りというのは特定の場所、例えば新宿とか渋谷とかそういう場所にテナントを借りるとか自社で店を所有する等して「お店」を設置し、メーカーから仕入れた商品を販売するわけですね。
仮に新宿にお店を開くとします。新宿でその商品を購入してくださるお客様が一万人だと仮定します。その場合、お店は一万点の商品をメーカーに発注し、在庫としてお店の倉庫に置き、商品として展示し、接客・販売する事を「メーカーの代わりに」行っているわけです。小売りがいなければ、これらのリソースをメーカーは行わなければなりません。
勿論、メーカー直販のお店も存在はしますが、卸売をしている場合は小売価格と同一の価格で販売しています。そうしないと小売業者と販売価格の不均衡が発生してしまい、結果として「大量に生産した商品が売れ残る」可能性があるからです。ユニクロは卸売りをせずに直接販売をしているので、そのあたりも価格の低減化に寄与しているともいえますね。
ECや流通の発達が小売業を崩壊させる可能性は存在するか
この質問の問いは即ち、メーカーや生産者などの直販がECなどのインフラが卸売りに比較して簡便になりつつあるこんにち、小売業が崩壊する可能性を示唆しているように思います。
個人的には書店が経営の危機に直面している背景の一つにamazonのようなネット通販があると思うんですね。amazonはアフィリエイトを払ったり1500円以上送料無料で販売出来るのは書店に比べて大量の商品を人件費などのコストを大幅にカットしながら販売する事が可能だからなのですが「一万円の商品を二万円で」という程ではありません。じゃあ電子書籍になったらどうなるのよ、というと今のところは紙の本と同じくらいの金額で一部の書籍などが話題作りの為に破格で販売されているわけですけれど、電子書籍ですと流通などを可成りの部分で省略出来ますから安く販売する事も可能ですね。それこそ10円でも無料ですらも構わない。
個人的には「楽器や洋服」のような工業的インフラを伴う業態が今後小売りという仕組みから何処まで離れていくのかは良くわからないんですね。ECのようなインフラを整えてもあまり安くならないんじゃないかなー、と思いますしね。
ですので仮に「購入した方に仕入れ先を教えてあげれば、その人は1万円で手にはいる」ような商品が本当に存在するならネットに書くなどされるとよろしいかと思いますよ。個人的には個人ベースで半額で購入出来る「楽器や洋服」がそんなにあるとは思っていませんが、あるならそういう情報は重宝されるでしょう。
あなたは、商品を手に入れる情報を知っているのですから気にすることはありません。
藤田田(ふじたでん)さんの著書を、どれか一冊でも読んでみることをおススメします。
いわゆる、
店の人は希望価格より高く売りたい
しかし高く売るには、それなりのリスクが必要である!
店の人はそれに気をつけて売っている!
高いから嫌かもしれないけど、
もし自分の店を建てたら絶対に、
高く売りたいだろう!
儲けが欲しいだろう!
だから店の人が儲けたいからって嫌な目で見るのは、やめよう!
まず、あなたのしていることは、適正で普通な商行為で、そこに不道徳なことは一切ありません。
説明します。
まず、あなたがその洋服や楽器を「3万円」の価格を付けて売りたいと思っても、多分売れませんね?すぐ近くの他店で「2万円」で購入できるのであれば、人はおそらくそちらを利用するでしょう。ところが、近くの他店が一斉に「5万円」に値上げしたとしたら?おそらくあなたの店の「3万円」の商品は、バカ売れです。買い手は喜んであなたの店の商品を買うでしょう。
【商品の「価格」は、市場(マーケット)が決める。】←これが、あなたの理解すべきことです。
この例の場合、商品自体には何の違いもない、つまり商品の「価値」には何の違いもないのに、商品の「価格」だけが変化するということが重要です。「価値」と「価格」は必ずしも連動しているわけではないのです。
あなたは【1万円の「価値」しかないものに2万円の「価格」を付けて売っている】と捉えているのだと思いますが、仕入れという行為自体も(また、仕入れ先が製造元から購入するという行為も)市場における売買であり、従って1万円という値段もまた「価値」ではないのです。そして、先の例のように、「価値」とは違って、「価格」は(市場の)状況によって変動するものなのです。商人とは、その、市場間における「価格」差額から生活の糧を得る、という職業であり、誰かを欺して生きているわけではありません。
では、市場はどうやって「価格」を決めるか。それは、その市場に参加する人(すなわち売り手と買い手)の相互関係が決めます。あなたは価格を「付ける」という行為で市場に参加し、買い手はそれを「買うか買わないか」自由に判断するという行為で参加するのです。あなたに値段を付ける自由があるように、買い手には買わない自由があります。両者の立場は原則対等です。
市場における価格が公正であるかどうかを判断するのは、第一義的に買い手です。そして、売り手の付ける値段に買い手がどう反応するかの行動全体が、市場の実勢価格を決定することになります。要するにあなたが考えるべきなのは、その商品が市場において2万円で売れ続けるのかどうか、ということだけで、手数料やリスクというのはその後の、二次的・三次的な問題です。あなたの商品が売れている限り、あなたの付ける「価格」は、市場から「適正である」という保証を貰っているのと同じです。全く気に病む必要はありません。市場における「売買」は、基本的に「等価交換」です。物と物であれ、物とカネであれ、交換する双方が「等価(あるいは自分が少し有利)」と思わない限り交換(売買)は成立しません。あなたの思う値段を付けて、それであなたの生活が成立している限り(市場の存続に寄与している限り)、問題ありません。
市場における「不道徳」とは、そういった市場のルールに反し、「市場を独占し価格を恣意的に操作しよう」(独占・寡占、談合、不当廉売など)としたり「買い手に圧力をかけたり嘘をついたりして購入させる」(詐欺、押し売り)行為のことです。また、「市場」の成立しにくい場での取引になると話は違ってきますが(例:一点しかない芸術品の取引、など)。
ちなみに、あなたの感じられた疑問は、2000年以上前からある正当な疑問です。「商売」という行為が世界的に見ても長らく低く見られてきた理由の一つがおそらくそれで(「商人は不当利益取得者か?」問題)、それに対するきちんとした解答は、19世紀以降の経済学の発達を待たなくてはなりませんでした。
暴利自体は公序良俗に反し民法違反。
ボッタクリバーなどはこれに当たる。
衣服の場合、季節による回転が速く、3倍や4倍で売るのは当たり前。
ファッションとして売るならそのぐらいでないと店舗経費も賄えない。
缶コーヒーなら利益率は2割がいいとこ、
100円で仕入れて120円で売る。
春になったら冬に仕入れた缶が売れないという事はないのでそれで十分。
でも、衣服でそれをやっちゃイカンという法律はない。
1万円で仕入れて12千円で売ればいいじゃないか。
うまく回転させられれば、それでやっていけるし儲かるだろう。
そうしたらさらに価格を下げればいいじゃないか。
商売とは、結果としていかに儲けるかであって、目先の利益か将来の利益かは関係ない。
(ああ、また釣られてしもうた)
基本的には、仕入れ値に経費、人件費などを考慮し、それから利益をいくらかにするかだね。
向いていない。
経費を一切考慮してないし、やっぱり釣りだろ?
デパートに普通に並んでいる服の仕入れ値なんて1割程度だぜ?
嫌ならやらなきゃいいんだし、向いているとかいないとかの問題じゃないよね?
食うために仕事をするんであって偽善のためじゃないだろ?
偽り物(偽ブランドなど)で利益をえていたり、高い値段で押しつけて売るなどなら詐欺ですが・・・。
しっかりとした商品を売っていていれば大丈夫ですよ、昔からの商売方法です。
買う人は、その値段に納得し、その物に価値を感じ、大切なお金を出します。
売った方は、利益を得て、生活をする。
別にだれも不幸になりません。
買う人は、自分の判断で購入するのですからね。
あなた様は、ご自分がすごく欲しい物を買う時どう思いますか??
その品物が1万円で売っていて「この物もどーせ、原価1000円くらいだろうな・・・買うのやめた!!」となりますか?
買う方にしてみれば、そうはならないと思います。
あなた様のように少しでも安く手に入る方法をご存じなら、そこで購入すればいいですし、みんなに教えてあげればいいと思いますよ。
そもそも罪悪感があるなら、商売はやめた方がいいと思います。
むしろ、当たり前だろバカお前は商売下手だなどと言っている人間からは買いたくありません。
しかし、それは背徳的なことではありません。わたしは以下のように考えて納得します。
原価で仕入れた時点で、入手する・保管する・販売する・宣伝する手間がかかっています。
人件費もかかります。
商品の中には、売れるものと売れないものがあります。売れないものを仕入れるための資金は、売れる商品で利ざやを稼いで作り出すという考え方があります。出版社でも、本当に出したいがさほど売れない良書を出すために、俗悪だが売れる本をあえて出す、というところがあります。倍の値段をつけても売れる商品で他の在庫をまかなっている場合もありえます。
また、十分なサービスを提供するには費用がかかります。
その商品の性質や正しい使い方、他の商品との違いなどの知識を身につけるだけでもかなりの投資になるはずです。
その専門的な知識などの対価を求めても問題ないと思えるくらいに、提供できる情報を蓄えるべきです。
仕入れに対して倍の価格で売ってもいいというだけの努力をしていれば、まったく問題はありません。
また、その「原価の倍額」が世間の相場である場合は、基本的にそれを下げない方がよいと考えられます。
一人だけ相場を下げると、全体の価格が暴落し、必要経費さえまかなえないレベルまで価格破壊が進む可能性があります。
それは健全な商取引を阻害し、特殊なルートでさらに安く仕入れられる大手のみが生き残る、といった悪弊を生み出す可能性もあります。
単純に原価との比較では決められない、というのがわたしの考えです。
最後に、この罪悪感を消すためには、渋沢栄一の「道徳・倫理合一論」(論語と算盤)などをお読みになることをおすすめします。儲けることは単純に悪ではなく、社会貢献の一環として動かすことも可能なのです。