明治時代の社会主義弾圧において、「昆虫の社会」という本まで巻き添えで発禁処分になった……という話を昔聞いたことがあります。(「まんが日本の歴史」か何かで読んだんだと思います)
しかし、興味を持って詳細を調べようとしたのですが、それがどこの誰が書いた本なのかわかりません。
William Morton Wheelerの“The Social Insects”でしょうか?
ファーブル昆虫記のことだ、という説もあるようですが……。
のみならず、
「買った人が社会主義者と疑われて逮捕された」
「警察が容疑者を逮捕したとき、勘違いして押収していった」
など、若干異なるバージョンの話も流布しているようです。
(中には昭和の話とする説も)
結局、件のエピソードは実話なのでしょうか。
実話とすれば、それはどのような経緯で(政府の判断だったのか、警官の勘違いだったのか)、実際にはその本はどのような内容だったのでしょうか。
よろしくお願いします。
長文の回答、失礼します。
回答 #2 の gp334437g4723k87 さんの仮説(大杉栄説)を検証してみました。
一次資料から判断した限りでは、大杉栄は「昆虫の社会」という名前の本は出版していません。
しかし、大杉栄が昆虫記を翻訳する過程で、「昆虫の社会生活」という本が出てきます。
これは 1911年(明治44年)に Bernard Miall がファーブル昆虫記を英訳した抄訳本で、英文タイトルは Social Life in the Insect World です。
(Wikipedia 英語版の Jean Henri Fabre の作品リストにもリストアップされています)
上で一次資料と書いたのは、1922年(大正11年)叢文閣版、大杉栄訳「昆虫記」の「訳者の序」です。
大杉栄訳『昆虫記』(訳者の序) - 271828の滑り台Log によれば、
此のマイアルには猶、『昆虫の社会生活』(Social Life in the Insect world)の訳がある。
このフアブルのことはかつて賀川豊彦君が、『ファブレの生存競争の研究』と題して、雑誌『科学と文芸』で紹介し、(中略)僕も賀川君には『昆虫の社会生活』を借りた恩がある。
滋賀県立琵琶湖博物館の 記者発表 「ファーブルにまなぶ」展を開催します(PDF)によれば、賀川豊彦 が日本で初めてファーブルを紹介した「ファブレの生存競争の研究」は、1918年(大正7年)です。
従って、1910年(明治43年)9月の 幸徳事件 を発端とする社会主義弾圧において、ファーブルの「昆虫の社会」という本が発禁になったという事実があるとすれば、それは1918年(大正7年)以降の話であり、大杉栄以外の訳者が Bernard Miall の「昆虫の社会生活」を底本にして翻訳したものの可能性があります。
大杉栄が底本にしたのは、ファーブルのフランス語の原著と Alexander Teixeira de Mattos による英訳本です。
(de Mattos の一冊本として 1921年の Fabre's book of insects がありますが、おそらくは Project Gutenberg のリストにあるような、虫の種類別に分かれた本でしょう)
大杉栄は昆虫記の第二巻以降も翻訳する予定だったわけですし、第一巻を出版した翌年の1923年(大正12年)に 甘粕事件 で殺害されていますので、「昆虫の社会生活」を底本にした本は出版できなかった筈です。
ちなみに、「訳者の序」にもあるように、日本で初めてファーブルの昆虫記を翻訳出版したのは、1919年(大正8年)の英義雄訳、蜘蛛の生活 であり、英義雄にファーブルを紹介したのも賀川豊彦です。
この賀川豊彦も大杉栄と同じくらい凄い人ですが、本筋から外れるので割愛します。
ここからは個人的な意見になりますが、ファーブルの昆虫記が紹介される以前に、日本人が「昆虫の社会」というタイトルで本を出版した、という可能性は極めて低いと考えます。
なぜなら、ファーブルが 昆虫の行動研究の先駆者 だからです。
まとめます。
「昆虫の社会」(あるいは「昆虫社会」)という題名の本が発禁になった、というのが事実だとすれば、
と考えます。
以上、ご参考になれば幸いです。
参考文献(いずれも PDF)
評論家・宮本百合子の書いた「婦人デーとひな祭」という作品に記述が有りました。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000311/files/3303_10994.html
日本の明治四十三年、いわゆる「大逆事件」で幸徳秋水以下三十余名の人々が検挙され、ファーブルの『昆虫の社会』という本まで社会という字がついていると云って発禁されるような、日本の社会主義弾圧のもとに暴力的な日韓合併が行われた年
評論家・宮本百合子とはこんな人です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E6%9C%AC%E7%99%BE%E5%90%8...
宮本 百合子(みやもと ゆりこ、1899年(明治32年)2月13日 - 1951年(昭和26年)1月21日)は昭和期の小説家、評論家。旧姓は中條(ちゅうじょう)、本名はユリ。日本女子大学英文科中退。17歳の時に『貧しき人々の群』で文壇に登場、天才少女として注目を集め、その後もプロレタリア文学の作家、民主主義文学のリーダーとして活躍した。日本共産党元委員長宮本顕治の妻で、宮本と共に投獄、執筆禁止などを繰り返しながら活動を展開した。
ご存知、ファーブルとはこんな人です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%9...
ファーブルの「昆虫記」の概要です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%86%E8%99%AB%E8%A8%98
昆虫記の内容は、主としてさまざまな昆虫の生態観察とその結果である。非常に広範囲の昆虫が扱われ、特にハチ類と糞虫に関するものが多い。これは彼の興味の中心であり、特に複雑で興味深い行動が見られたためであろう。しかしそれほど複雑な習性を持たない昆虫にも多く触れており、特に後半はそれが増えているのは、対象として扱って面白い昆虫が身の回りからいなくなったためとも言われる。
ファーブルの「昆虫記」は完訳版が岩波から出ています。
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/33/8/339191+.html#SERIES
国会図書館の検索では「昆虫の社会」というタイトルでファーブル関連の書籍は出てきません。
「婦人デーとひな祭」の内容については、宮本百合子という評論家の来歴や、「昆虫の社会」が発禁処分にされた明治43(1910)年に宮本百合子が生きていた事から、信頼性は高いと判断できますので、「昆虫の本」が明治時代に発禁処分になったというのは事実だと考えられます。処分自体は、当時の社会情勢や宮本の「社会という字がついていると云って発禁される」という記述から、政府決定などの高いレベルでの判断で行われたのではなく、現場の暴走、しかも本の中身をよく読みもしない、そんな程度の短絡的な考えを持った官憲が行ったと考えて然るべきと考えます。こんなパターンだと現代でも、警察の下っ端がやってしまいそうな事だと思います。
また、「昆虫の社会」という本は、ファーブル昆虫記の抄訳版だと考えて良いでしょう。ハチ類の中には集団生活を行い、社会性を持った昆虫とされるものが有るので、こんなタイトルがついたものが出たのだと考えられます。
「著名人が言った」という意味では、宮本百合子の1951年の発言(http://www.aozora.gr.jp/cards/000311/files/3303_10994.html 参照)に、
「一九一〇年といえば、・・・いわゆる「大逆事件」で幸徳秋水以下三十余名の人々が検挙され、ファーブルの『昆虫の社会』という本まで社会という字がついていると云って発禁されるような」
となっているのですが、根拠は薄弱です。大杉栄が大逆事件で取調べを受けたのは1910年ですが、その大杉が日本ではじめてファーブルを訳したのは1922年で、「ファーブル昆虫記」という書名でした。
1939(昭和14)年初出で、こんな記述です。
四十三年の幸徳事件以後、日本の社会に猛威をふるいはじめた反動保守の力が、微妙で強力な作用を及ぼした。当時は、科学書『昆虫社会』という本が「社会」というおしまいの二字のために禁止されたという有様であった。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000311/files/2927_9212.html
また、山本有三の「路傍の石」(1937年)、新潮文庫版のP472に記述があるようで、
http://www2s.biglobe.ne.jp/~setsu/syoko-shincyo/9903.html によれば、
この時代には「昆虫社会」という科学の書物が発売禁止になったのだ。昆虫のことを書いたのがいけないのではない。「社会」という字が標題になっていたことが、 いけなかったというのである。
だそうです。
「婦人と文学」の記述は、「路傍の石」が出典なのかもしれません。
社会主義どころか『社会』という文字だけで危険視されました。神田のある古本屋に『昆虫の社会』という本が出ているのを見つけて、お巡りさんがあわてて押収して
http://books.google.com/books?id=DaaRAAAAIAAJ&q=%22%E6%98%86%E8%99%AB%E3%81%AE%E7%A4%BE%E4%BC%9A%22&dq=%22%E6%98%86%E8%99%AB%E3%81%AE%E7%A4%BE%E4%BC%9A%22&hl=ja&ei=qIRhTPf1LMKecez88JwJ&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=10&ved=0CFUQ6AEwCTge
明治20年(1887年)生まれの荒畑寒村の著作にもこんな記述があります。
ある理学士の『昆虫社会』という科学書が出版されると、たちまち発売禁止に
ふたりとも当時をリアルタイムで知っているはずですが、『昆虫社会』または『昆虫の社会』という本は国会図書館でも見つかりません。あるいは社会主義者の間で笑い話として伝わっていた話なのかもしれません。
とはいえ、単なる笑い話とも言い切れないのは、実際に昆虫の社会を無政府主義の理想社会として、人間社会と比較して論じた文章があるからです。クロポトキンは『相互扶助論』(1902年)の中で、
今一つ蟻の巣を取って見るに、子孫を育てることや、食物を蓄えることや、住居を造ることや、ありまきを飼うことや、その他いっさいの仕事が、任意的相互扶助の原則に従って行なわれている。
と書き、大杉栄は1915年の『動物界の相互扶助-生存競争についての一新説-』でこの本を紹介し、
僕はこの暗示に富んだ蟻の社会生活をもって、クロポトキンの著書に記された動物界の相互扶助を代表させると同時に、さらに読者諸君とともに、われわれ自身の生活している人類社会の生活を反省したい。
と書いています。
http://www.chugainippoh.co.jp/NEWWEB/n-ruikotu06/06ruikotu_01_01.html
昆虫社会=社会主義という発想は当時は決して笑い話ではなかったわけで、この話が事実か事実でないかはともかくとして、この話に登場する警官は決して短絡的だったわけではないと思われます。
ありがとうございます。
魯庵の本は自筆本で公刊されなかったので他の本に影響を与えたということはないでしょうが、これで少なくとも「昆虫社会発禁」伝説が1911年までさかのぼれることがわかります。