質問主さんのコメントで、何をどうしたいのかがわかったので、回答欄に入力します。
論理的思考力をつけたいのですが、論理的思考がどういう事なのかすらわかりません。辞書や知恵袋などを見ても筋道を立てて話す事と書いてあったりするだけで、実際どうやって文章を組みてて、どの様に思考するのかわかりません。
このご説明から、「実際どうやって文章を組み立てて」の部分について、回答します。
そもそもこの文章が「論理的思考」とかけ離れています。人は文章を組み立ててから思考する(考える)のではなく、考えてから文章を組み立てるか、考えながら文章を組み立てるはずです。質問者さんのコメントでは、その流れがぐちゃぐちゃなんです。
流れがぐちゃぐちゃとはどういうことか。実際にあった例を示します(少しアレンジしています)。例えば、友達に「たまごかけごはんにラー油をたらすと美味しい」と説明するときに、いきなり「ラー油をたらすんだよ」と言ったのでは、友達は「は?」となります。その後は、「だからさ、ラー油をたらすと美味いんだよ」→「何の話?」→「朝めしのときにさ…」→「???」→「たまごかけごはん食うじゃん、よく」→「で?」→「それにラー油をたらすと美味いんだよ」→「なんだ、そういう話か」。
極端な例ですが、こういうのが、世の中で「論理性がない」といわれるケースのひとつですね。質問者さんの「今、俺は何をしたいのか」の説明の仕方も似たような感じです。つまり、流れが整理されていない。(質問文も、流れを整理して、「俺は人間であるということを論理的に言いたい場合に、『人間は哺乳類である。……略……よって俺は人間である』でよいのでしょうか?」などと書いていれば、もっと伝わりやすかったと思います。)
さて、「実際どうやって文章を組み立てて」の説明に移ります。
「俺は人間である」ということを論理的に説明する場合、「人間」とはどのようなものかを示せばよいのですが、そこで「人間」よりも大きな集合(例えば「哺乳類」)を持ってくると、何が言いたいのかわけのわからない話をしている、ということになってしまいます。
あまり同じ例で考えていると混乱するので、別の例で、「キャベツは野菜である」の場合を考えてみましょう。ざっくりと。
ここで、
・野菜は植物である
だけを持ってくると、
→キャベツは植物である
は言えますが、
実際に「キャベツは植物だろ、だからキャベツは野菜なんだよ」と言われても「は?」ですよね。
「野菜じゃない植物なんていくらでもあるだろう。例えばあじさいとか」と反論されておしまいです。
それに対して、「あじさいを食う民族もいるかもしれないじゃん。その人たちにとっては野菜だろ?」と思うかもしれませんが、そういうのは《反論》ではなく、《屁理屈》です。
一方で、「野菜は植物である」に加え、
・野菜は食用である
など、「野菜にしかない特徴」(もしくは、「野菜の定義」)を持ってくると、
→キャベツは食用である
で、実際に「キャベツは食用の植物だろ、だからキャベツは野菜なんだよ」と言われて
「は?」となることはなく、「なるほど」となるでしょう。
これが、世間一般でよく言われる「論理的思考力」の基本の一例だと思います。
なお、No.3のご回答の「俺は人間である。よって、俺は人間である」はトートロジーであって、質問者さんの求めておられる「論理的思考」ではありません。(それを言うなら、「出産すると子供が産まれる」もトートロジーですし、質問文で一番意味がわからない「子供は男と女に分かれている。男と女がいて子供が産まれる」の部分も一種のトートロジーだと思いますが……。)
世間一般で求められる「論理性」は、実は「論理的に思考する」うんぬん以前の問題で、「自分の頭の中にある考えを、いかに的確に、無駄なく、相手に伝えられるか」です。つまり、頭の中にある情報を整理して、的確に提示すること。相手に「は? 何の話?」とか「どういう意味?」と言わせないように会話すること。それを意識してみるだけでもずいぶん変わってくると思います。
「俺は人間である。人間は哺乳類である。哺乳類は出産する。出産すると子供が産まれる。子供は男と女に分かれている。男と女がいて子供が産まれる。よって俺は人間である」
・俺は人間である
・人間は哺乳類である
→俺は哺乳類である
が基本形ですよね。
では逆に
・俺は哺乳類である
・人間は哺乳類である
→俺は人間である
が言えるかどうか、ということでしょうか?
質問文にある後半は、言葉の言い換えをしているだけで論理性はありません。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%BC%E5%9B%B3
俺は人間である。 俺 ∈ 人間
人間は哺乳類である。 人間 ∈ 哺乳類
哺乳類は出産する。 哺乳類 ≒ 出産する(例外:カモノハシなど)
出産すると子供が産まれる。 出産する ⇒ 子供が生まれる
子供は男と女に分かれている。 男と女がある ⇒ 子供の一属性
男と女がいて子供が産まれる。 必要条件(≠十分条件)
よって俺は人間である。 上記からはまったく脈絡がない
論理的思考とは、論理的な関係にそって推論をすることです。
俺は人間である。 A∈B
人間は哺乳類である。 B∈C
よって俺は哺乳類である。 ∴A∈C
などです。
論理的思考は訓練することによって、一定のレベルに向上することができます。
論理学系の入門書やパズル本を読んでパターンを学習してみてください。
個人的には論理学的手法というのは方法論だと思っているので、すっきりした頭で理解すれば誰でも身につくものではないでしょうか。
嘘つき村と正直村なんかは面白みもあって、手始めとしてはとっつきやすいとおもいます。
「よって、、、俺は人間である」と結論付けるなら、人間である事を証明できる根拠が必要です。
ところが、前段の文章には、「あなたが、(つまり俺)」人間である事を証明する文が何一つありません。
1、人間は哺乳類である。
2、哺乳類は出産する。
3、出産すると子供が産まれる。
4、子供は男と女に分かれている。
5、男と女がいて子供が産まれる。
どこにもあなた自身と関連付けられる文がなく、従って何一つ証明されていません。
1から3ぐらいまではまあ普通の論法でいいと思いますが、5で関連が抜けています。オスメスの性が交尾をする事によって妊娠・出産するのですから、そこを抜かしていきなり子供が産まれるでは飛躍してしまいます。
そして、5は3の言い換えでしかなく、次に来る文は4になり、無限ループに陥ってしまいます。
また、別の問題ですが、出産とは子供を産む事であり、3は無意味な文章です。
言い換えれば、出産すると(子供が)出産する、と書いている事と同じです。
(頭痛が痛い、と同じ)
ex
夕べ飲み過ぎた。
飲み過ぎると頭痛が発生する。
頭痛はひどく痛い。
故に、今は頭が痛い。
ビールはギネス!
閑話休題
自身が人間である事を証明するには、その根拠を示さなければなりません。
哺乳類が出産するとかの証明は、あなたが出産でもしたのならともかく
(たぶん今後もできないですよね?)
そういったアプローチからでは根拠にならないでしょう。
俺は肉体を持っている。
俺は思考する。
ゆえに・・・
みたいな方向の方がいいんじゃないでしょうか?
(上記の2つの条件だけで人間と言えるかどうかは議論の余地有り)
そもそも、
人間とはなんぞや?
だから、「俺は人である」のとき、人より広い哺乳類をもってきたとたん、
論理的には破綻する。