a-kuma3 の回答でだいたい解決するとは思うのですが、少しだけ知ってることを書きます。
1. 加賀藩の軍備
今年の正月に金沢へ行って、忍者寺というところでガイドさんの話を聞きました。それによると、加賀藩の財力はものすごくて、「徳川の次に天下をとるなら加賀藩」だと噂されていたし、前田家でもいつか天下を狙ってやると思ってたかもしれないそうです。
それというのも、都市計画や城作りにはんぱない力を入れていて、前述の忍者寺などは、表向きは風流を装いつつ、いろんな仕掛けがあって、いざ城を攻められた時は寺に移動して要塞にできるように計画してたみたいです。
そんな風なので、いざという時(徳川ににらまれて攻め込まれる or 天下を狙いにいく)時のために、加賀藩はそれなりの備えをつねにしてたと思います。このへんは a-kuma3 の回答にあるURLにも書いてあります。
2. 百姓一揆へのそなえ
これは加賀藩だけではなく、各藩でやっていたはずです。ちょっと調べてみたところ、たとえば島原の乱では一揆側も鉄砲をもっていて、かなり激しい撃ちあいをやったそうです。ソース:神田千里『島原の乱』中公新書
こういった反乱の鎮圧用に鉄砲は常備されていたはずですし、火薬にも寿命があると思いますから、定期的な需要があったものと考えられます。
3. 花火の流行
日本に花火が入ってきたのは種子島に鉄砲が伝来したあとのことで、足利義輝や豊臣秀吉が花火らしきものを見たという記録があるそうです。が、本格的に花火が観賞されるようになったのは江戸時代の初期とのことです。
1623年に徳川家光が花火の奨励をはかり、1644年には隅田川で民間による花火が打ちあげられた記録があるとのことです。その頃からお金をもった庶民が花火職人に花火をあげさせて楽しむようになり、そのせいでたびたび火事が発生したようです。幕府はこの頃、何度もくりかえして花火の禁止令を出しています。禁止しても効果がないくらい、庶民による花火観賞が盛んだったということです。花火屋さんで有名な、鍵屋が創業したのもこの頃です。ソース:武藤輝彦『日本の花火のあゆみ』リーブル
花火はとうぜん火薬で作りますから、こういうところでも消費されていたと思います。
4. 狩猟用
あまり量は使わないかもしれませんが、マタギも火縄銃を持ってたはずなので、火薬を使っていたはずです。
と、ここまでは自分で思いついて図書館で本をあたってみたわけですが、そういえばトンネルや鉱山の掘削に火薬を使うようになったのはいつごろなのかと、帰りのバスの中でおもいついて、こっちは検索してみました。
5. 土木工事への利用
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1327646208
Yahoo!知恵袋ですが、このQ&Aによれば、戦国時代には鉱山で火薬が使われていたと書かれています。このページには参考図書など書かれていないので、ちょっと未確認ですが、たぶん土木工事にもすでに利用されていたんじゃないでしょうか。
こっちは検索したらこんな資料がありました。
http://www.pref.nagasaki.jp/nichiran/ronbun/
「江戸時代のオランダ船貿易」というpdfをごらん下さい。
最後の方の「表2」っていうやつが日本から輸出された品物の一覧だそうです。
この中に「日本の火薬 Japanse boscruijt」と「硫黄 swavel」があります。
この資料は江戸時代初期、1635〜41年という短い期間の記録ですから、継続して行われてたかどうかわからないわけですが、輸出されてた時期はあるようです。
わたしはこの質問を読んで白川郷ってところで農民が土や草を発酵させて硝煙を作ってたというのを初めて知りました。培養法でも7年とかかかるらしいじゃないですか。そんな長時間かけて海外に輸出するほど生産できてたっていうのは、なんかすごいことですね。面白い質問をありがとうございました!
オランダへの輸出は盲点でした。
加賀藩のお抱え火薬技師が、朝鮮半島からやってきた方だという文献をどこかで
読んで、輸出といえば韓国か中国だろうと思っていたんですが、これがまた
裏付ける資料がなくて困っていたんですが、
なるほど、貿易の目録から探るればいいんですね。
ありがとうございます。
検索の切り口を変えて、調べてみます。
こちらこそ、ちょっと変わった質問に、いろいろ調べて下さってありがとうございました。