THEME:「いつもの光景……わが家ならではの暮らしの習慣」
“ディア・ライフ”=『親愛なる日々』。イエは暮らしと人生の舞台。「LIFE」という言葉に、生活と人生の2つの意味をこめて、イエと家族のストーリーを語り合いませんか? 心のページに刻まれた思い出も、現在のイエでの愛しいワンシーンも。毎回のテーマに沿って素敵なエピソードを、豊かな暮らしを創っていく〈イエはてな〉のマインドで投稿ください!
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「母親の肩」
母は毎朝ウォーキングをしています。
当初はダイエットが目的?だったようですが、今では毎日の健康と体力づくりのためといい、毎朝早朝5時頃から必ずウォーキングに出かけます。
私が丁度目覚める頃に母は帰宅するので、その時間に丁度わがイエの玄関の鈴がチリンチリ~ンとなります。
その音が聞こえると、あっ!母が帰ってきた。と思うと同時に、私も起き上がって出かける準備をしないといけないぞ!という気持ちになります。
それは私だけではなく、父も同じ事であり、わがイエの起きる時間のサインでもあるのです。
これも一つの我が家の光景と習慣かもしれませんね。
さて、話は続きますが、母はウォーキングから帰宅すると少し休みます。
私も顔を洗ったり歯磨きを終えるので、丁度椅子に座って休憩している母親の肩を揉むのがこの時間の毎日の習慣になっている一つでもあります。
何十年と長いこと主婦業を続け、家族を支えてくれた母の肩というのは毎日揉むたびに感慨深いものでして、何十年の重みを感じるというか、どれだけの体力精神力で母として生きてきたかを感じさせられるのです。
毎日揉んでいると母の体調も少し解るような気がしてきて、今日は少し疲れてるだろうなーとか、今日は体調悪そうだなーとか、そんな健康のメンテナンスとして見分けもつくようになってきた今日この頃でもあるのです。
私は毎日その母の肩を揉むことで、母とのスキンシップにもなっているような、普段言葉でしか会話出来ないと通じ合えないものもあることに気づき、家族同士での触れ合いスキンシップも大事だなと感じるのです。
まるで赤ちゃんがお母さんとベビーマッサージとして触れ合ってお互いの心と心を触れ合わせるような。
言葉だけでは表せない、言葉を超えた世界。
母と子の深いつながりだったり、触れ合うことで癒される気持ち。
大人になっても母と子というのは、親離れ・子離れしようが、どこかで深く繋がっていて、また一つとして触れ合うことが出来た時に、まるで胎児の頃のように温かく優しく、お母さんのお腹の中に居るような安らぎを得ることが出来ると実感しています。
毎日のこの肩もみの習慣は、実際に癒されているのは母よりも私かもしれません。
食事のときは必ず手を合わせる
一人でご飯を食べることが多いですが、いつからか習慣になりました。
お命いただきます、と一言心の中で言って、しっかり味わうようになりました。
こういう、食事ごとに繰り返す習慣は大切にしていきたいと思いますし、
家族ができても、継続していきたいと思います。
自分の血肉になってくれている命に思いをはせたり、
それを作ってくれている人とのつながりを感じることは
実は日常的にできることなのだと思います。
実家での懐かしい光景です。
朝暗いうちから、母親がおきだして、ご飯を炊いて味噌汁を作って、
それから徐々に家族が起きだしてきて、なんだかんだしゃべりながら、ご飯を食べて・・・・。
正月以外は、休みの日も同じでしたね。
本当に懐かしいです。
「氷水を要求する猫・猫のおなかをマッサージ」
この夏は毎日、一日につき2~3回、うちの猫「朔」が「氷水を要求」します。
猫は獲物(小動物)の体温に近い、ぬるい水が好きだという話を聞いていましたが、この夏の暑さには耐えかねるようです。
http://neko-cats.com/sommelier_water.shtml
私たちがアイスコーヒーを作ろうとして冷蔵庫の冷凍室を開けると、その音に反応して、にゃあにゃあと要求します。まるで「いつもの氷、出しなさいよ」と言うように。
夜中にふと目が覚めて、インスタントのアイスコーヒーを作ろうとして冷凍室を開ける時でも、敏感に音を聞きつけて起き出して、にゃあにゃあと要求します。
製氷機の氷を2~3個、ボウルに入れて水を足します。
すると、水も飲むのですが、冷たい氷を舌先で触れて、なんだか満足げにしています。
http://www.youtube.com/watch?v=mEtHr1rEsso
それと、これは今年からではないのですが、相変わらず「お腹のマッサージ」が好きで、これも我が家の毎日の光景になっています。猫に限らず小動物は、弱点であるお腹を触られるのは嫌なはずなのですが、うちの猫は便秘がちで、お腹を撫でて貰うと多少調子が良くなるようです。そのせいか、自分から仰向けになって後ろ足を開いて、うっとりとした顔でマッサージしてもらいます。
http://www.youtube.com/watch?v=lpqIRMuGjwM
朔は今年で11歳。
いつまでも元気でいて欲しいです。
「実家での目覚め」~手伝い~
まず、おばあちゃんが起きて、朝ごはんの支度をします。
その次に、母が起きて、おばあちゃんと一緒に仕事をします。
そのあと、家族全員が起きて、食卓の準備、味噌汁とかを食卓に運びます。
みんなが集まったところで、朝ごはんを食べます。
朝でありながら、みんなでガヤガヤと話しながら囲む食卓。
最後はみんなで片付け。
これが、いつもの風景でした。
永遠に続いてほしかったですね。
食事の前はみんなでそろって手を合わせていただきますをいう。
食べ終わったらごちそうさまという。
毎朝早起きしてランニングを父とする
母は毎朝ウォーキングをしています。
そして学校から帰ってご飯を食べる
「神社の前でパンパンと手を合わす」
うちの息子は 神社仏閣が好きなのか 前を通るたびに パンパンと手を合わせたりします。
近所の商店街にあるところでは カランカランとならすやつを 必ずやり
たまに お賽銭を入れたがります。
また そこには 地蔵さんの体を洗えるように たわしとかおいてあり
水とか かけて 洗ったりもします。
ちょっと困ったところは、境内の上にあがりたがることです。
あがるのはいいのですが(あがれるところだけです) その中を 走り回ろうとするのを
抑えるのが 大変です(笑)
そして 帰りたがらないのです。
そんなに 居心地がいいのでしょうかねぇ。
「雨の日は掃除日和」
昨日はせっかくの平日の夏期休暇でしたが、あいにく天気は朝から雨の予報。
そして我が家では、お出かけ日和ではない雨の日は「掃除日和」なのです。
毎回ではありませんが、小さい頃から雨の日には窓を拭くように言われていて、そのまま結婚後も雨の日の窓拭きはなんとなく習慣となっていました。
和室の障子を開けたら窓の汚れが目に留まったので、クエン酸スプレーと、伸びきったTシャツや古いシーツで作ったウエスと仕上げに古新聞で窓拭きをしました。
窓の外側の汚れは、風と一緒に飛んで来た砂ホコリに、車やバイクの排ガスによるスス、花粉、黄砂、キッチンの換気扇からもれ出た油煙など。
そして窓の内側についた汚れは、窓の隙間などから入ってくる細かい砂ホコリ、キッチンから漂ってくる油煙、手垢(皮脂)などになります。
他にも時には娘によるペンやクレヨンの落書きに、シールの糊汚れもあります。
我が家の窓には、色んな汚れがついているんですね~。
窓ガラスの掃除の仕方は、上から下へと規則的に拭き「下げ」ていきます。
せっせと拭いているうちに、楽しくなってきて、どうやら掃除の神様が降りてきてくれたようなので、ついでに洗面所とバスルームと玄関の掃除も♪
くすんでいた蛇口など金属部分も光るまで磨いたら、スッキリしました。
水周りが綺麗になると、イエ中がなんだか気持ちいいですよね。
朝一では雨は降っていませんでしたが、どしゃぶりの予報だったので網戸を外して和室の網戸を外しバルコニーに出しておきました。
すると予報どおり、すごい勢いで降りだした雨は無事、網戸のススや砂ホコリなどを落としてくれて、おまけに昼前にはピタリと止んだので、付け直す時にはすっかり乾いていました。
ところで、雨の日に窓拭きや、網戸などの掃除にオススメな理由、調べてみたらなるほど!と思いました。
まずは空気中の湿気のおかげで汚れが浮き上がるため、汚れが落ちやすく、作業がラクだということ。
そして拭いた窓も湿度が高いとゆっくり乾くので、仕上がりが均一になること(乾きが早いと仕上がりがムラになるそう)。
ピーカンに晴れた日の昼間なんかには、窓の汚れが乾燥して落ちにくいだけでなく、光の角度によっては窓の汚れが見えにくいこともあるそうです。
晴れた日に窓掃除をするなら、時間帯も考えた方がよさそうですね。
また、ベランダ掃除も雨天の方が晴天の時よりもいいそうです。
ベランダの汚れは、風で運ばれた砂ホコリや鉢植えの土がほとんどのため、箒で掃いても空気が乾燥している日には、
掃くそばから舞い上がってしまい、せっかく掃いたのに、かえって散らかしてるんじゃ!?なんてことも。
でも雨が降っていて湿度が高くなっていれば砂ホコリが浮き上がることが少ないです。
このとき新聞紙をチリトリ代わりに床に広げておき、その上にゴミを集めれば、そのまま丸めて捨てられるので便利ですよ。
また、ベランダ掃除もイエの中と同じく天井のホコリやクモの巣を落としたり、エアコンの室外機の上や手すりのホコリもはたいたりすることがあります。
天気のいい日には階下の方が布団や洗濯物を干してらっしゃったりすると、砂ホコリが舞うと迷惑がかかりますが、雨の日なら階下の布団や洗濯物の被害が少なくて済むと思います。
雨の日の掃除の習慣、どうせイエにいるのなら、掃除でもしなさいってことかと思っていましたが、理にかなっていたんだなぁと改めて母の教えに感謝しました。
これからも、我が家の雨の日は掃除日和です(^-^)
今日もシトシト雨降りなので、娘と一緒にベランダの掃除を少ししてみようかな。
「植物をお互いに愛でる」
我が家には2階にサンルームがあって、そこに鉢植えを置いています。しかしながらそこに全部置いてあるわけではありません。
うちの家族は園芸がちょっとした趣味で、自分の好きな植物があると手に入れてそれを自分で管理しています。
そういう鉢がたくさんあるので、サンルームには全部入りきらず、主に多肉植物や強い光を好む植物を中心に置いてあります。そして観葉植物など、半日陰でもよいようなものは、それぞれ自分の寝室の出窓などに置いて水遣りをしているわけなのです。
こうして皆が独自の鉢植えを持っているのですが、管理はそれぞれ独立していても、観賞はみんな一緒。
どういうことかといいますと、朝起きてひと段落ついたり、花に水をやるときに、お互いが他の家族の鉢植えを観察しに来るのです。
私はエアプランツとランを数種類ほど持っていますし、多肉植物が好きな家族、あるいは一般的な鉢花の好きな家族、というふうに、微妙に好みが違うので、お互いの部屋に入って、自分の持っていない植物を見るのが楽しみなのです。
そうやってみんなでお互いの鉢植えを観察していると、知らず知らずのうちに品評会っぽくなってきます。
例えば、挿し木したり実生で育てたりしているうちに株が増えたので、他の家族がいらないなら欲しいといって、同じ植物をそれぞれ育てているものがあったりするのですが、それが、同じ家でも違う場所では個性が出てくるので見ていて飽きません。
「あれ、あなたの鉢植えは花が咲いてるけど私のは咲かないのはなぜなんだろう」
とか、
「あなたのは大きくなってきたね」
とか、そんなことをお互い語り合います。
また、自分のところで花芽がついたり、花が咲いたりすると、
「見てみて、花が咲いたよ」
とみんなに知らせて、見てもらったり、逆に、見落としていた花芽が他の家族によって見つけられたとき、
「あの鉢植え、花芽がでてきたでしょ」
と教えられることもあります。
鉢植えについては通年の習慣ですが、ガーデニングシーズンには庭の植物や家庭菜園の巡回も加わることになります。
こちらも協議のうえ、自分の好きなものを植えてそれを担当して管理するのですが、収穫はみんな一緒。こうして、庭の植物たちを共有しています。
もちろん、管理に気が付いたことがあれば、当人に報告したり自分が直したりしています。
お互いがそれぞれ干渉し合わずに独自に管理するというのは意外と気を使います。一人だとどうしても見落とすことが出てくるからです。
その点、担当は決まっていても、みんなで観賞や収穫を共有しあうというのは後見がついているような安心感があり、こういう習慣は大切にしたいと思います。
「ネコの虫よけ習慣」
三匹のかわいいネコちゃんと暮らす友達Mちゃんの家では、一年を通じての健康習慣としてネコたちのための虫よけの対策が欠かせません。
我が家では夏になると主に蚊対策として蚊取り線香を使っていて、外出時には天然ハーブの香りアロマの蚊よけをつけていました。
ところで少し前にMちゃんに教えてもらったのですが、ご存知の方もいらっしゃると思いますが、ネコにアロマ(精油)は有害なのだそうです。
以前はMちゃん宅では虫除けに、ハーブウォーター(精油を作る際に出る副産物の香りのついた水)を使った虫除けローションを試していたそうですが、最近のハーブウォーターには猫には危険な精油が混じっている商品もあるということで、使用するのをやめたそうです。
人がアロマテラピーに使用する精油が、ネコに有毒な理由は、ネコたちは精油成分のような脂溶性の化学物質!を解毒するための酵素を持っていないため、体に精油が付着してしまった場合はもちろんのこと、室内でアロマを焚くことでも徐々にネコの身体に精油が蓄積され、肝臓などを悪くしてしまうことがあるとのこと。
そして皮膚についた場合はグルーミングにより体内に取り込まれてしまうことがあるのでさらに危険です。
特にティーツリーオイルなど、強い効能のあるものはネコにとっては特に強い毒になり少量でも危険なので避けた方が良いそうです。
また、安全な天然成分のペット用虫除けスプレーとして売られているものの中にも、精油が含まれていることがあるので要注意です。
なぜペット用なのに、ネコに危険な精油が?と思われるかもしれませんが、これはネコに精油が危険とわかったのが最近で、まだあまり広く知られていないこと、そしてそれまで主にペット=イヌが対象として開発されてきたためです。
ネコは小さなイヌではないので、イヌネコ兼用という商品の場合は基本的に成分チェックが欠かせないそうです。
私もちょっと気になって調べていたところ この本を見つけました。
他にも色々ネコに危険なアロマオイルや精油などと検索するといろいろ出てきますので、気になる方は一度調べてみてください。
さて、健康な皮膚づくりがネコの虫よけ習慣としては一番なので、定期的にブラッシングとシャンプーをするのはもちろん、やはり予防としては虫の嫌う香りも有効です。
そこで現在Mちゃんが虫よけ(ダニ・ノミ対策)としているのが、ビール酵母にガーリックから取り出した硫黄成分を添加して作られたガーリックイーストを使う方法です。
これを耳かき1杯程度、食事に混ぜてあげると、体臭が変わり虫がつきにくくなるんだとか。
香ばしく、ネコたちもいやがらずに食べてくれるそうです。
*食物のガーリックそのものは、ネコが中毒を起こす恐れがあるので禁忌です。
このガーリックイーストの入った瓶の蓋を開けると、なんとも美味しそうな香りがしました。
食欲アップの効果がありそうで、私にはちょっと危険な香りですw
また蚊よけには、ネコにも安全な、ニームオイルを精製水で約100倍に薄めた(500ミリリットルの精製水なら5ccを入れる)
ニームローションをスプレーボトルに小分けして、ネコたちの足やおなか、首筋などにつけて使っているそうです。
これは子どもにも安全に使えるものとのこと私も少し原液を分けていただきました。
ほのかなレモングラスのような香りがします。
ニームオイルは、水場にまくと蚊がそこで卵を産まなくなるため、蚊の発生防止にもなるそうです。
ただし、ニームオイルはうさぎやハムスターなどの小動物、魚には毒性があるとされているので容量や使用場所にはお気をつけください。
私は子どもと暮らすようになってから、子ども達を守るための習慣が色々できましたが、ネコたちを守るための新しい習慣は飼い主さんならではの愛だなぁと思いました。
「猫が起こしに来てくれるイエ」
わが家の猫は早起きです。というか、猫は本来夜行性のはずですから、早朝は猫にとっては私達人間の深夜に当たるような時間帯なのでしょうか。とにかく朝になると、猫がみんなを起こして回ります。
猫はだいたい毎晩私のベッドに潜り込んでいますが、朝になるといつの間にか抜け出して、父母の寝室に向かいます。ドアの下には猫のくぐり戸がありますので、そこを通って寝室に入り、まず母の枕元にピョン。そして前足でほっぺたをつついて起こそうとするそうです。これがほぼ毎朝決まった猫の日課。
母が起きると猫も喜んで後をついてきて、朝一番のごはんをねだるそうです。猫なりに色々試行錯誤の結果、一番寝起きが良く、すぐに朝ごはんをくれる人は母なんだということを発見したんでしょうね。
フードを食べ終わると、続いてまた私の部屋にやってきます。そして私のほっぺたもつついて、朝だよ、起きなさいの合図。はいはいと起きあがると、猫はまたドアの下のくぐり戸を通って父の寝ている所に行き、同じようにして起こしているようです。
こうして家族みんなが起き出して、洗面を済ませてリビングに集まると、猫は一仕事終わらせた満足感に浸るように、自分専用の椅子の上に乗ってくつろぎます。
猫の体内時計がなせるワザなのでしょうか。この猫の習慣は、ほぼ毎日、同じ時間に行われるんです。フードを食べる時間によって、私や父を起こしに来る時間にはバラツキがありますが、母を起こしに行く時間はほぼ毎日一定のようで、母が言うには最大誤差10分くらいだとか。この猫の習慣は土日も関係なく行われますので、わが家は休日も全員早起きになりました。
先日、母が女性仲間と旅行に出かけて不在だった日がありました。母がいない朝はこの猫どんな行動を取るんだろうと思っていたら、翌朝私は、猫の渾身のボディプレスで起こされてしまいました。お腹の上に猫がジャンプしてきたんです。父の話では、一人で寝ていた寝室に猫が入ってきて、母がいないことが分かると、しばらく困ったように枕元の周りをウロウロしていたとのことでした。そのあと私の部屋に戻ってきて、早く起きろーとボディプレスに打って出たようです。あービックリした。
私だってそこまでしなければ起きないほど寝起きは悪くないんですが、でもそれほどに、人に早く起きて欲しかったんですね。その朝は、私と父がリビングに行くと、猫はいつもの自分の椅子ではなく、私の膝の上に乗ってきました。暑いのに。
そこから察するに、この猫の毎朝の習慣は、ごはんがほしいだけでなく、人恋しさからくるもののようです。人がいるのに相手をしてもらえない夜という時間帯は、きっと寂しいんですね。その日は休日でしたので、たっぷり猫と遊びました。
猫が起こしに来てくれる朝はとても目覚めが爽やかです。でもお願いだから、ボディプレスはもうやめてくれよー。猫のいる暮らし、幸せです。
「母と娘のバスタイム」
親子でお風呂なんていうと子供みたいですが、こんな習慣が生まれたのは私が大人になってから。
父が出張で数日イエを空けていた時、
「一人いないと結構寂しいね」
「一人がお風呂に入っちゃうと残った一人はほんとに一人だね」
「じゃ一緒に入っちゃおうか」
みたいな話になったのがきっかけでした。
狭いバスルームですから、大人が二人で一緒に入るのはちょっと窮屈です。
でも季節はちょうど夏。
一人はバスタブでゆっくり半身浴。
もう一人はシャワーを浴びて、ゆっくりゆっくり全身に磨きをかける。
そんなやり方でじゅうぶん二人一緒のバスタイムが楽しめました。
女はお風呂の時間が長いもの。
その時間を同じ場所で共有できるのは、とても新鮮な出来事でした。
なにより、次を待っている家族がいないのですから、全く時間が気になりません。
時間を気にせずほんとにゆったり。
まるで温泉でくつろいでいるような気分です。
「これからは、お父さんのいない夜はこれを恒例にしようか」
「賛成!!」
「お父さんだけ仲間はずれ」
「うひひひひ」
こうして父の知らない母と娘だけのヒミツの習慣が生まれました。
冬場はちょっとやりにくいので季節限定の習慣になりますが、今がちょうどそのシーズン。
「すまん、今日は付き合いで遅くなる」
父から電話がかかってくると、「いいよー、終電まで帰ってこなくて」。
さぁ、バスルームで楽しむ飲み物も用意して、今夜は特別なバスタイムが決定です。
やっと父が帰ってくるころには、二人とも磨きがかかってピッカピカ。
新品同様でお出迎えです。
父は、「二人とも待っててくれたのか」なんて喜んでいますが、べつに待ってたわけじゃないのよねぇ。
二人でゆったり時間を楽しんでいたら、結果的にお風呂上がりがこんな時間になっただけ。
でも、そんなことは言わずに「おかえりなさーい」。
女の長湯で、家族みんなが幸せです(笑)。
こんな話を友だちにすると、あんたんちは仲いいねぇと驚かれます。
私も大人になってからこんな親子の付き合い方ができることって、ちょっと奇跡なのかもしれないと思います。
だから本当に大切にしたいこの習慣。
世界でただ一人の特別な相手との、とびきり特別な時間を過ごす習慣です。
「わが家の習慣」
あさは、父が新聞をめくる音で目をさまします。
ついているのは、必ずNHKのニュース番組です。
朝食はたいていトーストにいちごジャムです。
よる、帰りが遅い家族がいる場合、
かならず寝ずに起きています。
外に出て、帰りを待つこともあります。
それが、わが家の習慣です。
「両親それぞれのまな板の音が聞こえる朝」
最初に聞こえてくるまな板の音は、母が味噌汁を作っている音・・・・ではありません。窓の外で、父が鳥に食べさせる青菜を刻んでいる音なのです。まずはチャボ。早くくれと急かしているようなコッコッコッという声や、バタバタという羽音も聞こえます。それに合わせてトントントンと軽快なまな板の音。
「さあできた。ほらほら、今あげるから。おっと、お前はいつも意地悪だなあ。そんなに羽根を広げたら他の子が食べられないだろう」
父が楽しそうに鳥たちに声を掛けています。
「さあ、次はお前らだ」
今度は、ぼーぼーぼーと鳩の声が聞こえてきます。鳩にもビタミン補給の青菜が欠かせません。鳩には刻まず、そのまま大きな葉っぱをついばませます。
一時期、これに加えてもう一回、まな板の音が聞こえた時がありました。どこからか烏骨鶏が迷い込んできたことがあったのです。チャボも烏骨鶏も鶏の仲間ですが、小さなチャボと大きな烏骨鶏では体格が違いすぎますので、一緒の小屋で飼うわけにはいきません。そこで急ごしらえで烏骨鶏小屋を作っていたのでした。
「お前はどこから来たのかなあ。お前のご主人、きっと探しているはずなんだがなあ。この近所に烏骨鶏を飼ってるイエなんてないんだよなあ」
父は毎朝、そんなことをこの迷子烏骨鶏に話しかけていました。
そうした窓の外の音が終わってから、台所で朝食を作る音が聞こえはじめます。鳥達は早起きですから、父のまな板の音は、母の朝食準備の音よりずっと早い時間帯なのでした。子供の私はそれからのそのそと起き出していきます。
わが家はリビングと言うより茶の間。畳の部屋の生活でした。もう洋室のリビングが当たり前の時代でしたが、父が和室を好んだのです。そんな父のいるイエでしたから、朝の挨拶もなかなか古風。私は寝ぼけ眼で畳に座り、両手をついて「おはよーございます」。父も読んでいた新聞を置いて正座をして、「はい、おはようございます」と応じてくれました。「さぁ、顔洗っておいで」、「はーい」。あとはごく普通の砕けた日常ですが、朝一番の挨拶だけは威儀を正すのもわが家の習慣だったのです。
わが家は正月にも家族一同正座して並び、両手をついて新年の挨拶を交わした後、新春を言祝ぐ和歌を唱和するという、時代劇でも見ないような古風なことをやっていましたが、とにかく年の始めや一日の始まりだけは大切にするのが習慣だったんですね。よそのイエではそんなことしないと知ってからはちょっと気恥ずかしくもありましたが、それだからこそかっこよくて、好きだなあと思う習慣でした。
顔を洗っている間も聞こえてくる朝食準備の音。またトントントンとまな板の音が聞こえてきます。あれは漬け物を刻んでいる音でしょう。子供は漬け物なんて好きではありませんが、唯一カブや大根の葉を塩漬けにした物は好きでした。毎朝の鳥達の青菜とお揃いみたいだったからです。あ、目玉焼きの匂いがしてきました。
「おかーさん、お腹空いた!!」
私は食卓目がけて駆け込みます。
誰の心にもきっと幸せな記憶を呼び起こす、まな板の音。私の場合は、それが父と母の両方の記憶につながります。両親二人のまな板の音が聞こえる朝の習慣は、きっとわが家のオリジナル。今は私一人がその音を奏でますが、幸せな思い出があるから寂しくはありません。
「我が家の冷蔵庫ギャラリー」
冷蔵庫に、在庫メモや買い物メモ、レシピなどを貼りつけるのは我が家だけの習慣ではないと思うが、我が家の冷蔵庫には保育園から持ち帰った子供たちの作品などがたくさん貼りつけられていることだ。
今はさしずめ動物園状態。
「座ったゾウ」 に「空とぶペンギン」、「笑顔のライオン」などがいる。
言われないとそうは見えないもの、こりゃお見事!というものがあるのが、もちろん前者が娘、後者は息子が作ったものだ。
そして冷蔵庫を開けた右側のポケットにある卵コーナー。
上の段の顔のあるのはゆで卵、下の段の顔がないのは生卵。
そうここはゆで卵の顔ギャラリーでもある。
顔といっても目鼻をつけただけのものから、ハンプティダンプティのように全身をかいたものまで様々だ。
きっかけは卵が安売りしていたので買ってきたら、ちょうど妻も卵を買ってきたので、ゆで卵の殻を剥くのが大好きな息子のために、ゆで卵を沢山作ったこと。
剥きやすいように妻が買った「ゆで卵のコツ」に従い、卵の殻にピンで小さな穴を開けたり、お猪口に逆さに置き黄身が中心に来るようにした。
きれいに作ろうと思うと意外と手がかかるゆで卵。
出来上がったゆで卵は一旦、冷蔵庫にしまっておいたが、この時生卵と間違えないように入れる場所は分け、念のため鉛筆でマークをつけておいたのだ。
最初はゆで卵の「ゆ」とだけ書いていたが、ふと目鼻をつけてみたら、これがなかなか可愛い。
そしてそれを見ていた息子が自分も描く!と一緒に顔をかきはじめ、こうして我が家のゆで卵には皆の手で顔が描かれることに。
今ではキッチンの引き出しに専用鉛筆が用意されている。
弁当にゆで卵が入れてある日には、作品を鑑賞してから、おいしくいただく。
時々は「やっぱり壊せない」と、顔の部分だけ上手に残して殻を剥いてみる。
「置き手紙コミュニケーション」
わが家は何かというと置き手紙をします。毎日朝食も夕食も必ず一緒に食べますし、それ以外も家族で過ごす時間は長いのですが、文字でやり取りした方が考える時間が取れていい。そういうこともあるというのがわが家流なんです。
たとえば、こんなのがありました。「○○のおじさんが還暦を迎えるので何か贈り物をしたい。親戚一同で贈るから予算は少し張っても構わない。コルクボードに紙を貼っておくので、いいアイデアがあったらそこに書いてくれ」。
うーーーん、これは難問です。コルクボードの紙には質疑応答が続きました。「おじさんの趣味は?」「旅行かな」「まだ仕事続けてる?」「もちろん」「年賀状に何か今年の抱負とか書いてなかった?」「探してみる」等々。この程度の会話を口で交わせばあっという間ですが、文字を使って時間差で書き込むわけですから、短い言葉の中にも各自の熟考の積み重ねがあります。
こうしたやり取りの結果、いつか自分の旅行記を自費出版本にまとめたいと言っていたおじさんにはグレードの高いカメラだろうということで、デジタル一眼を候補にしてみることに決めました。さっそく他の親戚と相談したら、いい目の付け所だと大賛成をいただき、実際に贈ってとても喜んでいただけました。わが家の文字コミュニケーションの成果です。
最近のわが家は自治会の仕事も色々引き受けていますので、そういう関係の相談も置き手紙式で行います。たとえば「○○の集いのキャッチフレーズが欲しい。家族で参加したくなるようなうまい言葉を募集中」といった感じです。父の置き手紙には、文鎮のつもりなのでしょう、いつも必ず醤油差しが乗っかっているのがお約束です。
母はもっと気軽に置き手紙を使います。「来週の献立の予定考えるから食べたい物があったら書いて」などがその代表例ですが、そのほか、直接口で言うと角が立ちそうなことに置き手紙を使うのもわが家の習慣です。
たとえばこんなのがありました。「誰かさんへ。生えてる毛と同じくらい抜けた毛のことも気にしてよね ━お風呂場掃除をして一言」。シャンプーの後はタイルに貼り付いた髪の毛くらい片付けてから上がってよねということですが、父は再三言われていたのに、いつも忘れていたのです。これを読んだ父は頭に手を当てて、おい、俺って薄くなってるかと大慌てしていました。それを見た母はキッチンでお腹を抱えて大笑い。直接言われたらムカッとくることも、ワンクッション置くと和やかなコミュニケーションに変わります。
私は先日、「そろそろ車検だし買い換えないか。希望の車などあったら書いてくれ」と書いて置いてみましたが、母に赤ペンで「却下」と書かれてしまいましたw。
そうそう。ある朝母が、父に小さく畳んだ紙片を手渡していたことがありました。何かなと思ったら、その日は何と二人の結婚記念日。きっと「早く帰ってきてね」とか書いてあったのでしょう。その晩幸せそうにワイングラスを傾けていた二人を見て、ああいう手紙のやり取りが今のわが家の置き手紙コミュニケーションの源流になっているのかなと想像しました。まだ電子メールがなかったころの若い二人の習慣が今に続いているとしたら。ちょっといいお話しですね。
「お裾分けのある暮らし」
わが家というか、わが家を取り巻く人たちならではだなぁと思うのは「お裾分け」です。以前「みどりのお裾分けのお付き合い」という話を書かせていただいたことがありましたが、
http://q.hatena.ne.jp/1239943947/213985/#i213985
今でもお隣さんとは、植物の種も、庭やベランダで育った花や野菜もお互いにお裾分け。今年の夏もお裾分けしあって挿し芽にしたトマトが、両家の庭でたわわに実っています。
こうなると一軒では食べきれないくらい採れますから、それをまた別のご近所様にお裾分け。すると今度はそのお宅から、休みで行った田舎でもらってきたからなどと、色んなお裾分けが届きます。道で出会ったご近所様と、こんにちは~のあいさつだけでなく、この間のあれ、おいしかったですよと声を交わせるお付き合い。そんな輪が広がっていきます。
今年は弟が庭に柵を立ててキュウリを這わせて育てていますが、取れたての触るとイボがチクチクするようなキュウリなんてお店では買えませんから、これがご近所で大人気。「あら、ほんとに新鮮ね~」なんて言われると弟もうれしいですから、わざわざ早朝の庭に出て、顔の合うご近所様にチョキンと切っては配っています。
先日はそのお返しにとトウモロコシをどっさりいただいてしまいました。それをまた庭で焼きトウモロコシにして、ご近所様にも「一緒に食べましょうよぅ」とお声をおかけして、ちょっと楽しいお祭り気分。こんな下町みたいなご近所付き合いが、うちの周りにはあるんです。
私の趣味はパン作りですが、焼く時はどっさり焼いて、これもご近所様にもお裾分け。パン作りもアートと同じで作品の発表の場がほしいんです。ご近所にもパン作りが好きな人がいて、新作が出来ると持ってきてくれます。
「うわ~、この食感、どうやったら出せるんですか?」
「それはねぇ…」
こんなふうに知識と技術もお裾分け。楽しいコミュニケーションのひとときです。
母もご近所のベテラン主婦の皆様とお裾分けをしあって、レシピや味付けや調理のコツなどを情報交換。わが家の味がご近所に広がるのも、色々な味がわが家に集まるのも楽しい出来事です。
「箸を置く たびに思えよ報恩の 道に怠り 有りはせぬかと」
我が家では「ご馳走様でした」の前に手を合わせ、この和歌を口の中で小さく唱えます。それが幼い頃からの習慣でした。
「なんでうちはごちそうさまだけじゃないの?みんなそんなのしないっていってるよ」
そう聞くと、父はこういう話してくれました。
食事というのは生き物の命を食べているんだ。この世界は弱肉強食で、弱い物は強い物に食べられると決まっている。でも食べられる為に生まれてくる命なんて一つもない。みな生まれてきた命を精一杯生きようとしている。その命を、人間が生きる為にもらってしまう。それが食事っていう物なんだよと。
あぁおいしかった、ご馳走様、だけでは、食べ物を物としか見ていないことになる。そうじゃなく、箸を置くたびに頂いた命のことを思って、せめてこれから生きていく命を大切にしていこう、守っていこう、そういう人になろうと思う心を持ってから、ご馳走様と言おう、っていうことなんだ。お父さんはお前のお祖父ちゃんからそう教わった、と。
お米や野菜は植物だからいいんじゃないの?と聞くと、いいや、植物だって生きている。それに、お米や野菜を作るには、沢山の小さな生き物の犠牲も伴っているんだと話してくれました。
よく肥えた土の中には、沢山の小さな生き物がいる。それは人間にとっては肥えた土だけど、小さな生き物達にとっては大切な住処。その住処に大災害をもたらす。それが土を耕すということ。そうして植えた作物に付いた虫を、人間はまた殺していく。虫だって生きる為に作物を食べに来るのに、人間はそれを許さない。そうして食卓に上ってくるのがお米や野菜なんだよと。
小さな子供がこんな話を聞いてしまったら、次から恐くなって食事を食べられなくなってしまうかもしれません。でも父は話し方が上手でした。それに加えて、生き物を慈しむ心を込めて話してくれたのでしょう。私は食べることが恐くなってしまうような受け止め方はしなくて済みました。
それで父の思いを理解したのかしなかったのかは定かではありませんが、とにかくそれからも、ご馳走様の前には軽く目を閉じ、口の中でこの和歌を唱えてから、ご馳走様という習慣が続きました。学校の給食の時もそうしていましたし、大きくなって女の子とのデートで食事をする時もそうでした。無意識にそうする癖が付いていたのです。さっき目をつぶって何してたの?と聞かれて、いやー君と一緒に食事なんて感激だなーと思ってちょっと浸ってた、と誤魔化しましたが、長い間の習慣というものは抜けないですね。
今もこの習慣は続いています。イエの者皆がご馳走様の前に一呼吸瞑目の時間を置き、それからご馳走様と言って食事を終えます。「報恩」の言葉には様々な解釈があり、その多くは宗教的な教えであったり、愛国的な道徳を教えるものだと思いますが、我が家ではもっとストレートでシンプルな、父が教えてくれた通りの意味でこの和歌を唱えています。これが我が家のいつもの光景、我が家ならではの暮らしの習慣です。
「無電源夕食」
最近のわが家の暮らしの習慣は「無電源夕食」。ようするに毎晩キャンドルナイトをやっているわけですが、これがなかなかすてきなのです。まず食事の時間はテレビを消しますから、その分語らいが進みます。
最近は世相が混沌としていますから、食事の時間にはちょっと不似合いな社会派の話題なども飛び出しますが、テレビのニュースショーでどっちつかずの意見を聞かされるより、生身の家族の考えを聞き、語り合う方が、しっかり社会を見る目が育つなぁと思います。テレビ関係の人には申し訳ありませんが、日本中がテレビを消してその時間を家族の語らいに変えたら、ちょっと日本が変わるかもしれないなんて、そんなことを思ったりするひとときです。
無電源ではBGMも鳴らせませんが、わが家には手回し蓄音機とコレクションのSPレコードという強い味方があります。これで往年のJazzの名盤を鳴らしたりするのがすてきなのですが、浪曲のSP盤がまとめて手に入ったので、最近はそんなのを聴くこともあります。森の石松の一席。「寿司食いねぇ、押し寿司ってぇのはうめぇもんだ」。ええーっ、石松が勧めていたのは江戸前寿司じゃなかったんだ!変な所に驚きつつ、日本文化に触れる一夜になったりもします。
こんな楽しい企画が自由自在なのもテレビのない夕食のいい所。流れてくる番組をそのまま受け入れて娯楽にするのとは違う、とてもクリエイティブなひとときが楽しめます。手回し蓄音機がないご家庭は、オーディオプレイヤーとアンプくらいは電気を使ってもいいのではないでしょうか。今宵はハワイアン、明日は南国奄美の民謡などと、趣向を凝らしたBGMで文化の香り高い夕食を楽しんでみてください。
電灯を必要としない夕食は場所を選びませんから、ベランダで食べたり庭で食べたりも思いのまま。最近は地震が恐いので、室内ではもっぱら太陽電池で充電したニッケル水素電池で灯すLEDランタンが夕食の灯り。本物のキャンドルを灯したい時は庭に出ます。先日は、庭で涼みながら夕食を食べていたら、ジーー、ジーーという音が聞こえてきました。「しーっ、静かに…聞こえた?」「聞こえたオケラの鳴き声だ」「まだいるのねぇ」。無電源夕食はキャンプの夜みたいですから、ちょっと自然界との距離も近くなります。
夕食を彩るキャンドル作りも楽しいものです。母は水に浮かべて火を灯すフローティングキャンドルがお気に入り。父はぶっとい巨大キャンドルを作り、合計何時間燃やし続けられるかと累計時間の記録をつけています。私は小型のカレー用ソースポットみたいな物を見つけてきて、それにロウを注ぎ入れて、アラジンと魔法のランプに出てくるランプのようなキャンドルを作ってみました。まだ当分屋外で夕食が楽しめる季節は続きますから、みんなの手作りキャンドルを順繰りに灯して楽しみます。
こんな風にテーマのある夕食が恒例になると、家に帰るのが楽しくなりますね。時々、今夜一杯やろうぜと誘ってくる友人を逆にわが家に誘ってくることもあります。父もそんな同僚を連れてくることがあります。そんな家族以外の顔ぶれが並ぶことが不自然ではないのも、わが家の習慣の特徴かもしれません。
「チーンの音で始まる朝」
チーン……チーン。ゆっくりと間を開けて鳴らすのが母の特徴。お仏壇のお鈴の音です。早起きの母はもうお茶をお供えしているようです。その音を聞きながら、寝ぼけ眼の私は顔を洗います。トントントンと階段を下りる足音がリビングに入っていくと、しばらくして「あなたにもお茶淹れたわよ」の声。これが毎朝のわが家の音の風景です。
たまに、よく毎朝続くねぇと言ってみることがあります。すると母は、何?お仏壇のお茶?あなたに淹れるよりめんどくさくないわよと楽しそうに微笑みます。そう。母には毎朝のお茶のお供えが楽しいことなのです。特別な信仰など持たないわが家がお仏壇を大切にしはじめたのは父を亡くしてから。最初は父の位牌を見るのも辛そうな母でしたが、いつの間にか此方と彼方を結ぶ夫婦の語らいの時間になっていったようです。
かといって、長い間お仏壇の前に座り込んで物思いに耽っているようなことはありません。日常生活の中でのほんの一コマ。そんなサラリとした対し方です。
わが家のお仏壇用の湯飲みは普通サイズ。全く普通の湯飲みです。一度、お仏壇用のを買ってこようか、と言ってみたことがありました。そうしたら、あんな小さなの、すぐ冷めちゃうからだめよ、とのこと。母の心の中には、「はいあなたお茶」、「うんありがとう」、そして新聞をめくりながらゆっくりとお茶をすする父、そんな在りし日の朝の風景が今も生きているのでしょう。
ごく稀に、私がお茶のお供えをすることもあります。すると母は決まってクスクスと笑います。父と親子ゲンカをしたあと、仲直りにお茶を持っていった時のことでも思い出しているのでしょう。
私も朝のテーブルに座り、ゆっくりとお茶を頂きます。以前は朝と言ったら必ずコーヒーでしたが、今はお茶が一番美味しく感じます。一口すすって、テーブルの上に置かれた新聞を開きます。この新聞も毎朝母が置いてくれている物。父がいた時からずっと変わりません。
こんなふうに今も変わらず父の面影が感じられる朝。それをもたらしてくれるのが、チーンというお鈴の音なのです。お仏壇のお鈴の音などというと抹香臭く陰気なイメージがするかもしれませんが、わが家のそれは明るく爽やかな音色です。
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