THEME:「わが家のいってきます&おかえりの光景」
“ディア・ライフ”=『親愛なる日々』。イエは暮らしと人生の舞台。「LIFE」という言葉に、生活と人生の2つの意味をこめて、イエと家族のストーリーを語り合いませんか? 心のページに刻まれた思い出も、現在のイエでの愛しいワンシーンも。毎回のテーマに沿って素敵なエピソードを、豊かな暮らしを創っていく〈イエはてな〉のマインドで投稿ください!
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「Welcome to イエはてな」
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「あの思い出」
家族過ごしたあの日々
おじいちゃんも、おばあちゃんも
あっちゃんも、清ちゃんも
みんな一緒の家
でも、今は残念ながらバラバラ
春にはおじいちゃんが大切にしていた花畑
秋にはおばあちゃんが植えた野菜の収穫
とってもおいしかったな。
庭では近所のさとし君やのぼる君とサッカーをしたあの庭。
ラブラドールのショウ君もお気に入りだっけ。
でも、今は住んでいないの。
さみしいな
でも、またきっとあの日のような家に戻るよね。
きっと
「毎回一言はなくても」
みんな生活リズムがばらばらなので
外出先から帰ってきても”ただいま”と言わない事があります
(誰もいない時もあるし)
でも、たまには、”ただいま~”という時ありますね
そして自分がお帰り~という場合も
毎回誰かが帰ってきたときいうのは面倒だ~と
正直思うけれどいう事はやめたくないですね
たった一言だけど結構気持ちがいいんですよね
子供が、小さいころは、必ず、玄関までお見送りをしてくれていました。
朝から元気がもらえました。
今では、一緒に出かけています。
楽しいです。
「お互いの生活パターンがずれてても必ず」
旦那さんも私もフルタイムで働いていて
一緒にすごす時間は短いのですが
今年はさらに、私の会社が節電の影響もあり
サマータイムが導入され約2時間ほど
お互いの起床時間がずれてしまいました。
でも、必ず家を出る前には
「いってくるよー」と声をかけると
モソモソおきてきてくれて、玄関までお見送りをしてくれます。
そのときに、今朝の朝ごはんは○○だよーとか
お弁当忘れずにねーとか、伝えたり。
1分もないような時間ですが
よし、今日も1日がんばろう!って
気持ちの切り替えにもなっているので
これからも大事にしていきたいです
「帰りついた家に家族がいるという幸せ」
私の実家は、7人家族で祖父母と同居していました。
小学校でも、中学校でも、高校でも必ず帰宅すれば
祖母と祖父、帰りが早ければ両親、兄弟がいました。
当時は、そのことが当たり前すぎて、
ありがたいともなんとも思わなかったのですが、
大学で一人暮らしを経験して、
祖父母が他界し、
会社から帰宅して暗い部屋のドアを開けるときに
時折、むなしいとも寂しいともつかない心持ちになります。
帰ってきて誰かが迎えてくれる。
もしくは、自分が家族を迎えるというのは
当たり前だけれどとても特別な
家族だからこそ出来ることだったのだと痛感します。
自分も家族を持ち、
そのようなお互いの帰りをまてる場所を作っていきたいです。
「とある思い出エピソード」
僕の家は生活リズムが崩れるときがよくあります。
僕が家の玄関を開けると、
しーんとした感じです。
でも、たまに母が先に家について
「おかえり」
って言ってくれるときもよくあります。
ある日、精神的にも体力的にも気持ち的にもイライラ、何か重い日が続いてきて、ある日、母に「行ってきます」って言わないで行ってしまいました。
その後、いつもの場所に行くまでの時間、ものすごい後悔していましたね。
やることも終わり、家に帰ってそのこと、僕の気持ちを言いました。
挨拶は続けていくほど結びつきがよいものになり、まれに言わないでいると、心が苦しくなると言うことを知りました。
当たり前かもしれませんが、改めて思いました。
両親が祖父母と同居していた子供時代は、よく「いってらっしゃい」「おかえりなさい」が当たり前のことでしたね。
あまり名前も知らない人でも声をかけて貰える慣習がありましたね。
アニメやドラマ等で描かれている家族を含めて、隣人共々、良きつきあいというか人情が描写されているものが昨今多いですが、核家族化が進んで、面倒なしがらみが少なくなった分、古き良き習慣は段々薄れてきているように思います。
それは家族や親族内でも言えますね。
「トラックの音」
夕方、閑静な住宅地にトラックの音が響きます。そして次にバックする音。
そうすると、母が居間でおもむろに
「父上がお帰りあそばした」
とつぶやきながら台所で仕事を始めます。
実家は自宅で建築業を営んでおりましたが、トラックの音は、朝現場に出かけた父が帰ってきたことを知らせる合図になっていたのです。
トラックが止まると、やがて父が家に入ってきます。
折からいろいろと準備をしていた母が
「先にご飯食べる?それとも風呂?」
と訊ね、父がその日によって夕食を選択したり風呂を選択します。
たまに風呂を立ててないときに
「今日は風呂あるか?」
と父が尋ねると
「今日は休み」
と母が答えて、父はそうすると風呂場で足を洗いにゆきます。
また、普段は父にどうするか聞いている母がときどき
「今日はご飯を先に食べて」
とか指定することもあります。
トラックが止まる音がしたのに、全然家に入ってこないときがあります。
そんなとき、家の中から外を見てみるとなにやら後片付けに追われて忙しそう。
母は食事の支度が出来てもまだ入ってこないときは
「ちょっと支度が早かったかねえ。さめてしまう」
と私たちにいうこともありました。
父の忙しさや母の思いやりを思うと、なんともいえない気分になるときです。
後片付けが終わってようやく家に入ってきた父を迎えて、母はほっと一息するのでした。
子供のころは、トラックがやってくる音がすると
「お父さん帰ってきたかな」
と母に尋ねてたりして帰宅を待っていた記憶があります。
トラックがそのまま家の前を通り過ぎてゆくと
「違ったみたいだね」
とちょっとがっかりして、また居間でテレビを見ながらなんとはなしに父の帰りをまっています。
特に話すこともないのですけど、父に限らず、出かけている家族の帰りを待つのはなんとなく楽しいことでもありました。
そんな父も仕事を引退していつも帰宅を告げてくれたトラックも手放しました。
手放す当日、トラックと一緒に写真を写していた父が印象的です。
「カトちゃんのいってらっしゃい」
ちょっとだけよ!
これが彼のセリフです。
だけど本日の行ってきますは
誰かさんと誰かさんがチュッちゅちゅっちゅしているいいじゃないか。
だそうです。
うらやましいですね。
でも、今はチュッちゅちゅっちゅなんて飛ばしてしまうのかな?
それはそれでさみしいな。
「にゃんとも言ってくれない猫に『ただいまよ』のマッサージ」
うちは猫1匹夫婦2人の世帯ですが、自営なので、夕方暗くなるまで2人いっぺんに留守にするということが滅多にありません。けれど、年に数回、そういう日があります。一昨日がそうでした。奥さんが出張、私は夕方、お買い物に。
そういう時には、猫の朔が、とても「ひねくれ」て、私たちが帰って来ても、にゃんとも言ってくれません。
薄暗くなってきて私が帰ってきたら、この格好のまま動いてくれませんでした。
やがて奥さんが帰ってきたので、一緒にこれをやりました。
「ただいまよ、のマッサージ」
http://www.youtube.com/watch?v=xmFDS6d4RP8
これをやりますと、特に、あごのしたあたりをなでなでしますと、うっとりとした様子で、とりあえず「悪くないわよぉ」という顔をしてくれます。
しかし、この日は相当ご機嫌を損ねてしまったらしく、しばらくして様子を見に行くと、またこの格好をしていました。
「いってらー」
よく「行ってきます」と言ったら
「行ってら―」という返事が来てました
それを聞くとなんだかほっとするような言葉です
いや、言葉ではなく声のような気もします
この声を聞くと安心していられる声です
「おかえり」
我が家では挨拶関係はかなり厳しくて
「ただいま」をいうとき聞こえなかったりしたら
聞こえるまで何度も「おかえり」と言われて
直そうとしてきました
そのおかげで挨拶もちゃんとできるようになりました!
「おかえり」
今日の日を忘れない。
そんな言葉をもらったら
うれしいよね。
の日の思い出を、ここにつづった楽しい日々
おかえり
もう一度言っておくよ!!
「ただいまの香り」
夕暮れ時の買い物帰りに、娘と一緒に近所を散歩していたら、なぜだか懐かしい気分が込み上げてきた。
この土地は私の暮らした故郷ではないため、街並みには最近の思い出しかありません。
だけど、夕方住宅街を歩いていると、突然懐かしさが込み上げて来る時があります。
もちろんその理由は、わかっています。そう、カレーの香りです。
どこかの家で、夕食の準備をしているのでしょう。
夕暮れ時に漂ってくるカレーの香りが、私を子ども時代にとタイムリープさせます。
弟や友達と日が暮れるまで遊んで、家に帰った時を思い出すのです。
いっぱい遊んでおなかを空かせた私の食欲を掻き立てる、懐かしい想い出の香り。
・
・
・
「今日の晩御飯って、カレーじゃない?」
「そうだね~昨日おかあさん、ニンジンとジャガイモ買ってたもんね♪」
「じゃあ寄り道しないで帰ろう!」
なんて弟と言いながらイエに帰り、玄関を開けるとカレーの匂いが私達を出迎えてくれる。
生姜と手羽元から出る出汁が隠し味の、母親こだわりのカレーのいい香り。
玄関で二人で、靴を脱いでいると
「お帰りなさい。今日は二人とも早かったね。」
微笑みながらエプロン姿の母親が出迎えてくれた。
幼いの頃のイエの出来事は、想い出すだけで頬が緩み、心がほくほくする。
母親とカレーと家族団らん。
実家に電話して、またあのカレーを食べたいって言ってみようかな。
「おまじない」
「おーい! 父さん行くぞ~!」
毎朝、時計を見て時間を気にしながら、子供たちに声をかける。
歩けるようになってから、朝出勤するのを妻と一緒に玄関まで見送りに来てくれる子供たち。
「それじゃ、今日も元気にがんばるぞ~!エイエイオー!」
と、かけ声をかけつつ、同時にお互いの拳骨を天に向かって突き上げる。
それから、子供たちの拳と自分の拳を軽くぶつけあい、最後に両手でハイタッチ&ロータッチ。
これは、我が家の朝の「おまじない」だ。
「君達も、もう少ししたら今日も元気に保育園に出かけるんだよ。では行ってきます」
「いってらっしゃ~い」
こうして最高の笑顔で送り出してくれる。
この「おまじない」のキッカケは、息子の登園拒否だった。
我が家は共働きで、妻の育休明けの1才から息子は保育園に通うようになった。
入園してずっとニコニコと通っていたが、一年たち進級する際に、仲がよかった友達が何人も退園や転園してしまった。
それから息子はひどく落ち込んでしまったのである。
「仲良しの友達がいない保育園に行きたくない」
と朝この世の終わりのように泣いて訴える息子の話を夜、妻から聞かされ、一晩二人で考えぬいたあげく翌日息子に伝えたのが
「新しいお友達を作るのは大変だよね。父さんも、今年から職場が変わって、仲良しの人とお別れしたんだ。父さんだって頑張るから、君も一緒に頑張ろう。そうだ、今日から毎日頑張れるように、二人でおまじないをしよう」
というものだった。
そして、「今日も元気にがんばるぞ~!エイエイオー!」が始まった。
そのうちに二人のおまじないのはずが、今では下の娘も当たり前のように一緒にやっている。
この朝のおまじないは、自分から子供たちに元気を送るだけでなく、自分も子供たちから元気を貰っている。
子供たちを励まし、親も励まされながらの子育て。
これからもまだまだず~っと子育ては続いていくが、
「明日も元気にがんばるぞ~!エイエイオー!」
「行ってきます」
「行ってらっしゃい、気をつけてねー。」
毎朝、父が見えなくなるまで窓から叫んでたあの頃。
今では、自分が言われる立場に。
「行ってくるよ」
どこか誇らしげに、上に向かって返事をする。
「もう、絶対に忘れることができない」
ただいま。
いったい何やってたんだ。
ずいぶん遅いじゃないか?
帰ってきた母を怒鳴りつける父親。
母親の表情は暗い。
どうしたんだ。
攻め立てる父親
泣きそうな母親。
ふと気づく父親
母親が足を引きずっている。
どうやら事故にあったようだ。
それを言い出せずに泣き出す母
とても悲しい出来事だった。
これ以上はもう思い出したくもない。
悲しくなるので、これで勘弁してほしい。
「ウリ坊が「おかえり」」
わが家ではときどき、ウリ坊が「おかえり」をいってくれます。
ウリ坊といっても、もちろんぬいぐるみのウリ坊です。
姉が、腹話術の要領でしゃべるのです。^^
そのウリ坊が、なんとも愛くるしい表情をしていて、
なんだか笑いがこみあげてきて、疲れもいっきに消え去ります。
これが、わが家の愛しいワンシーンですね。
「祖父の「いってらっしゃい」」
祖父母といっしょに住んでいたころ、
祖父はいつも、玄関のそとまで出てきて、
「いってらっしゃい」をいってくれました。
そして、わたしが見えなくなるまで、ずっと、
大きく手をふってくれていました。
何度ふりかえっても、にっこり笑って手をふってくれているので、
そんなおおげさなわかれでもないのに、とちょっとおかしく思いながら、
わたしも、笑って手をふりかえします。
「いってくるよ」
いつもは「行ってきまーす」と言って家を出るのですが
今は亡きおばあちゃんに対しては「いってくるね」と言っていました
それを聞いたおばあちゃんがやさしく笑顔で「行ってらっしゃい」と言ってくれて
うれしかったです
ただ今はもうそれが聞けなくて残念ですが・・
「いってくるよ」
いつもは「行ってきまーす」と言って家を出るのですが
今は亡きおばあちゃんに対しては「いってくるね」と言っていました
それを聞いたおばあちゃんがやさしく笑顔で「行ってらっしゃい」と言ってくれて
うれしかったです
ただ今はもうそれが聞けなくて残念ですが・・
「裏口からコッソリ入る変な『ただいま』」
母は専業主婦でしたが、子供の私が大きくなり手が掛からなくなってくると、イエで出来るちょっとした仕事を始めました。大人を対象にジャズピアノを教えるのです。母は全くジャズ畑の人ではありませんでしたが、たまたま知り合いに乞われてちょっと教えたところ、それが好評で人が集まってしまったようでした。で、ジャズの世界は教えられないけれど、ジャズという題材を通してピアノを教えることなら出来るからと、ちょっと風変わりな即席音楽教室がわが家に誕生してしまったのでした。
しかし、困るのは学校帰りの私です。わが家のピアノは玄関のすぐ脇の部屋に置かれていましたから、「ただいまー」と帰ると、毎日のようにそこで知らない誰かと鉢合わせ。もちろん母もいますから、お帰りなさいと迎えてはくれますが、まだ子供の私には、結構これがプレッシャーでした。
父にこっそり悩みを打ち明けると、裏口の鍵をくれました。「開けたら必ず閉めるのを忘れないこと。それだけがお前の責任。わかった?」。「はーい」。ってなわけで、これなら気が楽です。それからは毎日学校から帰ると裏庭に回り、そこから「ただいまー」。声をかける相手は人間ではなく、裏庭の鶏小屋のチャボたちでした。
わが家の裏口はいわゆる勝手口。上がるとそこはキッチンです。おー、ドアを開けたらすぐ流し。毎日決まって言われていたこと。『ランドセル置いたらすぐ手洗いとうがいね』が、ランドセルを置く前に出来てしまいます。これは便利!!
しかも、キッチンですから、何かしら食べ物があります。それは多くの場合、母が予め用意してくれていたオヤツでしたが、何も無い場合でも冷蔵庫を開けると、けっこう美味しそうな残り物が入っていたりします。
「お、肉じゃがだ、これマヨネーズかけるとうまいんだぜー」
なんて、普段の食事では出来ないような食べ方を。
「お、キムチだ、これはあったかいご飯に乗せてマヨネーズをかけると・・・・」
おやおや、当時の私はマヨネーズがブームだったみたいですね(笑)。とにかくそんなこんなで、裏口からの「ただいま」が大好きになってしまった私でした。
しばらくして、私はコンロの使い方を習いました。これで、キッチンで出来ることが飛躍的に増大。母の手を煩わせなくても、オヤツに代わる物を自分で作れるようになってきました。オヤツがお菓子でなければいけないなんていう決まりはありません。むしろ育ち盛りの男の子は甘いものより腹に貯まるもの。
「キャベツを切って~、フライパンで炒めて塩コショウ~、真ん中に寄せて凹ませて~、卵を落として蓋をして~・・・・」卵が半熟になった所でご飯に乗せる、なんていう変な丼物も考案して、それをつつきながら宿題もキッチンのテーブルで。
そんなことをやっている間に母の仕事が終わります。あ、キッチンにやってきました。
「おかえりなさい」
私の方から母に挨拶。
「え?」
「今、仕事終わったんだろ、だからおかえりなさい」
「あ、そうか。じゃあ、ただいま」
「なんか飲む?カル○スでも入れようか」
なんて、迎える側と迎えられる側がここで逆転。裏口からのコッソリ帰宅には、こんな楽しいおまけもついてきました。こうした経験が、キッチンを色々と楽しむ今の私の習慣の元になってくれているのは、言うまでもありません。
「わが家の行ってきます&おかえりなさい」
「行ってきまーす!」
「ただいまー!」
朝と夕方にイエの玄関と、うちの子達が日中過ごす保育園で、平日は毎日二回ずつ、この言葉を言っています。
子ども達を保育園へ預けて、出勤する時には
「いってらっしゃーい」
お迎えの時には
「おかえりなさい」
子ども達と子ども達の友達たち、保育師の先生が笑顔で見送り、そして迎えてくれます。
お迎えの時に、部屋に姿を現す前に部屋をそっとのぞいて見れば、子ども達の日常の様子を垣間見られてほほえましいです。
扉を開けて姿を見せると最初に娘が目ざとく私を見つけて
「おかーさーん!!」
と両手を広げて突撃してきます。
子ども達の友達も○○ちゃんのおかーさんおかえりーと話しかけてくれます。
小規模な保育園なので、こちらが特に自己紹介していなくても、自然に□□くん、○○ちゃんのお母さんというのはいつの間にかみんなわかっているようです。
「ただいまー^^」
元気いっぱいの娘のぶちかましwを受け止め、抱きしめていると、部屋にいる子ども達の友達が、オモチャで夢中になって遊んでいる息子に、□□くん、おかーさん来たよ~と教えてくれて
「おかえりー、今日も楽しかったよー」
と息子が遊んでいたオモチャを片付けながら、ゆっくりと抱きついてきます。
「よかったねぇ^^」
二人の性格の違いが出迎え方にも出て、面白い。
「ただいま」「おかえりなさい」「たのしかったよ」が交わされる夕方の保育園は、私にとってほっとする時間です。
保育園は子ども達の第二のイエです。
ところで、この保育園では早番と、遅番の保育師さん達が夕方(17時くらい)に
「お先に失礼しまーす」
「お疲れ様です」
と挨拶を交わされ交代されるのですが、ある日1歳児クラスのおちびさん達が、それに合わせて
「おちゃきしちゅれいしまーす」
「おちゅかれしゃまでーす」
と一緒に言っていたので保育師さん、そしてお迎えに来ていたお母さん達と一緒についつい大笑いしてしまいました。
子どもは大人のセリフ、よく聞いてますね。
そういえば娘は、言葉が話せるようになってから一時期「いってらっしゃい」と「おかえりなさい」が逆になっている事がありました。
私が出勤する時に「いってきまーす」と言ったり、お迎えの時に「ただいまー」と言ってたりするのです。
保育師さんが「おかえりなさい」と迎え、私が「ただいまー」と言う様子を見て、娘はこういう時に先生と一緒に「おかえりなさい」と言うべきか、私と一緒に「ただいまー」と言うべきか色々悩んだに違いありません。可愛いなぁ。
保育園の帰り道には娘を真ん中にして三人で手を繋いで歩きながら、今日の園での出来事や楽しかったこと、給食の話などを聞いています。
来月、保育園の運動会があります。
園庭は狭いので、あまり大掛かりなことは出来ないのですが、運動会のメインは子ども達の発達に合わせた障害物走。
一人ずつなので、「競争」ではなく、「走」です。
さらに、その障害物走にはテーマがあります。
それは「忍者の修行」だったり、「はらぺこあおむし」だったり、「三匹のこぶた」だったり。
テーマに合わせて橋に見立てた平均台を通ったり、トロルをやっつけたり、鉄棒にぶらさがったり、葉っぱに見立てたフラフープをくぐったりとさまざまな障害を乗り越えていきます。
最近は、お迎えに行くと毎日のように園庭で運動会の練習をしています。
大きい子たちは、竹馬や跳び箱にもくもくと取り組み中!一生懸命な姿が素敵です。
ようやく歩けるようになった今年1才になったばかりの子もハイハイやよちよち歩きで出走するんですよ。
うちの子だけでなく子ども達の第二のイエの家族とも言える、お友達の成長が見られる本番が、私は今からとっても楽しみです。
「大切なお出かけには今でも切り火」
うちは両親共に伝統芸能に携わっていますので、大切な仕事の前などには、今も切り火をやります。時代劇で「ちょいとおまいさん」「おぅ」「カチカチ」なんてやっているあれです。大切な舞台の前などはこれを欠かしません。
切り火は一種のお祓いの意味ですから、遠くに出張したりする時も、道中の無事を祈ってカチカチ。時代劇ではおかみさんが夫である親分さんなどにカチカチやるものと決まっていますが、わが家では女も大切な「行ってきます」の前には切り火をしてもらいます。私も、運動会の朝、受験の朝、などなど、切り火で送り出してもらいました。
わが家の火打ち石は「水戸火打」。水戸のご老公様も使っていたかもしれない、常陸産のメノウの原石です。そしてわが家に昔から伝わる火打ち金。火打ち石というと石どうしをぶつけ合わせる物と思っている人も多いと思いますが、それではただ石が欠けるだけで火花は出ません。石を鋼鉄製の火打ち金に打ち付ける…というより勢いよく擦りつけるようにすると火花が出るのです。この火打ち石と火打ち金を手に持って、清めたい人の右肩の後ろに立って2~3回、火花を切りかけて清めます。
子供の頃、私も「いってらっしゃい」の切り火をやりたくて、やらせてやらせてと駄々をこねました。でもさすがに幼児に火打ち石を使わせても自分の手を叩いてしまうのが関の山。やっとやらせてもらえたのは小学校の入学を目前に控えた春の日のことでした。その日の父は初の海外遠征。子供の目にも出発前の緊張が分かりました。
玄関で行ってらっしゃいのお見送り。そしたら父が私に火打ち石と火打ち金を渡してくれて、「いいかい、ここをこう持って、こっちをこう、勢いよくね、できそう?」「は、はいっ!」。私に切り火の係を任せてくれたのです。
座った父の背中の後ろから、一所懸命やりました。ちゃんと火花が飛びました。もう一回。もっとよく火花が飛びました。大成功です。「ちゃんと火花出たよ」「そうか、ありがとう、じゃ行ってくる」。父は玄関を出て行きました。母は門の外まで見送り。私は緊張しすぎて腰が抜けて歩けませんでした(笑)。
父が帰ってくるまで、私は毎日神棚にお参りして、お仏壇にも手を合わせて、道中の無事と遠征の成功を祈りました。子供心にも、それが切り火を切った者の責任だと思ったのです。父が無事帰ってきた時の嬉しかったこと。切り火の効果は、こうして送り出した相手を思い続けるところにあるのかもしれませんね。
私も、色々な大切な門出を、この切り火で送り出してもらいました。先日も東北にボランティアで出かける時に、切り火を切ってもらいました。ただ縁起がいいということだけでなく、やはり送り出してくれた人の心がずっとそばにいてくれるという心強さが大きいなぁと、改めて実感しました。
「カカトをトントンがいってきますの合図」
私は子供のころ、けっこう困った子供でした。
登校拒否というほどではないにしても、なかなか学校に行きたがらなかったんです。
いじめというほどじゃない、私が引っ込み思案だから、そのせいでちょっとみんなの輪から外されているだけ。
そんな状況でしたが、それでも子供の私にとっては、学校はとてもつらい世界でした。
でもほんと、登校拒否じゃなかったんです。
毎朝自分なりに頑張って、学校に行こうとしてたんですから。
玄関で靴を履き、それでもなかなかドアを開けて出て行くことが出来ないでいた私に、母が声をかけてくれました。
「嫌になったらいつでも帰ってきていいんだから、気楽に行ってらっしゃい」
そして、カカトをトントンと2回打ち鳴らす仕草をして見せてくれました。
「なぁに、それ」
「オズの魔法使いに出てくる、ドロシーの魔法の靴の使い方」
「魔法?」
「そう。こうやってカカトをントンってやると、好きな場所に飛んでいけるのよ。あなた今、学校行きたい?」
「う…うん」
「じゃ学校を思い浮かべてトントンってやってごらん、そしたら靴が自然に学校まで運んでくれるから」
えーっと、カカトとカカトを…トントン。
あ、なんか楽しい、この仕草。
「学校で嫌なことがあったら、またイエを思い浮かべてトントンってやればいいんだからね、じゃ、いってらっしゃい」
「はーい」
こうして私は毎朝スムーズに玄関を出て行くことが出来るようになりました。
子供だましの手に乗ってしまったわけではありません。
カカトとんとんの後は、本当に不思議とステップが軽やかなんです。
この魔法は当時の私にとって、ほんとに効果抜群でした。
母も、私を励ます意味だったんでしょう、玄関のドアを開ける時は、いつもカカトをトントンとやって見せてくれました。
この仕草は、大人がやってもかわいく見えます。
そしてニッコリ笑顔で「じゃ、ちょっと行ってくるね」なんて言われると、これからどんなに楽しい所に行くんだろうなんて、本当にうらやましくなってしまいます。
「どこ行くの~?私も行きたい」
「歯医者さんなんだけど、あなたも一緒に診てもらう?」
「きゃぁぁぁぁ」
なんていうこともありました。
このカカトをトントンは、父までやりはじめました。
あら、この仕草、男の人がやってもかわいいです(笑)。
そのうち、このおまじないは、行きたくない所に行けるようになるおまじないではなく、その日一日をより楽しくしてくれるおまじないに変わりました。
さらに、早く家に帰る効果もプラス。
これのおかげで、父は毎日真っ直ぐイエに帰ってくるし、年ごろの娘も夜遊びなどせず、そこそこの時間に笑顔で「ただいま」。
外でもイエを思い浮かべてカカトをトントンとやるから、靴の魔法がちゃんとイエに送り届けてくれるんです。
銀の靴でもルビーの靴でもないけれど、みんなの靴が魔法の靴。
こんなちょっと楽しい「いってきます」「ただいま」が、今も続くわが家です。
「お帰りなさいの飲み物風景」
毎晩というわけではありませんが、涼しい季節になると、父の帰りを迎える母は、よくココアの用意をして待っています。なんでも結婚前に二人で入ったお店のココアがとてもおいしくて、二人で「こんなココアのあるイエを作りたい」と意気投合してしまったとのこと。まだ付き合い始めて間もない頃の話だったらしいですから、このとびきりおいしいココアのあるイエへの憧れが、二人の仲を進展させたのかもしれません。
このココアはちょっと特別で、わずかにブランデーが入ります。クリームなどを加えることはありませんが、ちゃんとお鍋で沸騰寸前まで温めますから、仕上がりはふんわりとクリーミー。ココアは心を落ち着かせる飲み物だと言われますが、そこにほのかなブランデーの香りが合わさると、くつろぎ感が何十倍もアップします。
今くらいの季節になると私もご相伴にあずかりますが、これを楽しみにするだけでも帰宅時間が早くなりそうな嬉しい味わいです。若い頃の思い出につながる父にとってはなおさらでしょう。
出かけた母を父が迎える時はアップルティーが定番です。
「ただいま~、くたびれた~」
「おかえり、早く着替えてこいよ、いつもの淹れてるから」
こんな会話が交わされた後に漂ってくる、フルーティーな甘い香り。これも昔の二人のデートコースにアップルティーが評判の店があり、こんなお茶が飲めるイエが憧れよ~、みたいなことを言われたことから始まった習慣のようでした。茶葉はいつも同じブランド。昔飲んだお店で使われていた物と同じだそうです。
父母が若かった頃の東京は喫茶店文化全盛期。一軒一軒が特色を凝らした飲み物やメニューを展開していた時代でした。今のような、どの店舗に入っても同じ味のチェーン店とは、ちょっと違う世界だったようですね。
今回のテーマに合わせてちょっと母に聞いてみたら、こんな言葉が返ってきました。「最近のコーヒーショップは、行ってらっしゃいの味なのよ。これから仕事に行く人や、まだ午後の仕事を残している人にはとてもよく似合う、元気の出るコーヒーね。昔の喫茶店は、逆にお帰りなさいの味が多かった。そんな今のマチでは楽しめない古き良き喫茶店テイストで、家族の『ただいま』を迎えてあげたいな」というようなことを。行ってらっしゃいの味とお帰りなさいの味。これはコーヒーショップに限らず、外食産業全体に言える傾向かもしれません。
私はコーヒーを淹れるのに凝っていますから、色々工夫して今、「お帰りなさい」の味のコーヒーを研究しています。先日、休日出勤の父を試作品のコーヒーで迎えたら、あぁ懐かしい味だ、と言ってもらえました。
「おかえりとただいまが一つ増えたイエ」
もう何度も書いていますが、最近のわが家は家族が一人増えたようになっています。親戚の女の子が単身上京してきてうちの近所にアパートを借りたので、しょっちゅうわが家に入り浸っているんです。
おかげで「おかえり」と「ただいま」が一つ増えました。私が仕事から帰ると、たいていもう、その子はイエに来ています。ただいまーと玄関を入ると、おかえりーと一人分声が多い。これはちょっとうれしい変化です。
休日などは、私がその子を迎える立場になります。もうすっかりわが家の一員なので「ただいまー」と玄関から入ってきます。これを「いらっしゃい」と迎えたら彼女に叱られてしまいます。「それはお客さんに言う言葉。あたしにはおかえりなさいでしょ!」。うわぁ、ごめんなさい。
だいぶ年下ですが世代は近いので、時には一緒に出かけたりすることもあります。行きは、彼女はアパートから、私は自分のイエからと別々でも、帰りはほとんど私のイエ。ですからこの場合は二人で一緒に「ただいま」となります。イエで待つ父母へのおみやげを二人で一緒に選んだりするのも楽しいです。こんなおみやげ付きの「ただいま」なんて、単独行動では考えられないことでした。
時には大学帰りの彼女と仕事帰りの私が一緒になることもあります。先日は、自転車で帰りの私とバスで帰りの彼女が道でバッタリ。二人で一緒に帰りながら「駅前で父さんに会っちゃったら大笑いだね」と言っていたら本当にその通りに。三人揃ってのただいまとなって、母をびっくりさせてしまいました。
時には女同士、母と彼女で出かけていることもあります。するとこの帰りを迎える「ただいま」も二人分。一人の「ただいま」と二人一緒の「ただいま」では迎える賑やかさが全然違いますね。
先日、父母が揃って旅行で不在だった時は、親戚とはいえ未婚の男女が二人きりはまずかろうということで、彼女は自分のアパートで過ごすことと申し合わせていたのですが、イエに帰ってみたら明かりが点いていました。おいおい話が違うぞと思ってドアを開けると、「お帰りなさーい」と明るい声。そして「挨拶する人がいないと寂しいと思って来てあげたよ、暇だったからご飯作っといた、じゃーねー」と帰っていきました。
いつもわが家に入り浸っているとはいえ、やはりアパートでの一人暮らし。「ただいま」を言える相手のいない帰宅の寂しさをよく知っているのでしょう。ちょっとこの優しい気持ちに、じわっときてしまいました。
とにかくそんなわけで「おかえり」と「ただいま」が一つ増えたわが家は、今とても幸せです。
「オリジナル猫占いつき、わが家の猫の見送り風景」
わが家の猫がしてくれる帰宅時の出迎えは以前書いたことがありますが、毎朝の見送りも、うちの猫は特別なやり方をしてくれます。夜は、家族の帰ってきた気配を察知すると、どんなに熟睡しているように見えてもサッと飛び起きて玄関で出迎え。まるで出迎えが自分の使命といわんばかりの気合いの入りようですが、これが朝にも発揮されるんです。
じゃ行ってくるよと玄関を出ようとすると、サッと猫が飛ぶようにやってきます。じゃあね、お留守番よろしくと手を伸ばすと、手の平に頬ずりをしてくれます。これは新婚さんにたとえたら、いってらっしゃいのチュッみたいなもの。猫好きさんなら誰でもお馴染みのお出かけ風景ではないかと思います。
うちの猫の気合いの入り方はここからなんです。バタンと扉を閉めて歩き始めると、猫は飛ぶように移動して、表の見える窓のガラスに前足を付けて伸び上がるんです。そして、いつまでもいつまでも後ろ姿を見送ってくれるんです。それはもう、後ろ髪を引かれてしまうくらいに。
いや、けっして独りぼっちにされて寂しいからじゃないんです。家には毎日、人一倍猫好きの母がいますから、寂しくて名残を惜しんでいるということはないでしょう。これもおそらく使命感なんです。家族を無事送り出す、それを見届けるという、まるで主婦のような使命感。これがうちの猫の特徴なんだろうと思います。
これに最近、オリジナルの猫占いが加わりました。それは、この猫の見送りの時、片手が上に上がって「いってらっしゃい」と手を振っているように見えたらその日は大吉、というものです。
私が最初にこのことに気付いたのは、会社で、有り得ないプロジェクトリーダーに抜擢されたことでした。その日の朝は、いつになく猫が窓辺で伸び上がり、片手を上げて、本当にいってらっしゃいと手を振っているように見えたのです。で会社に行ったら上司に呼び出しを受け、何か叱られるようなことでもしたかなと行ってみると、君、新しい名刺を作りたまえと。こんな若造に、肩書きが変わってしまうような重責が降ってきたんです。本当に驚きでした。
そうして任されたプロジェクトは難しい仕事で、毎日が綱渡りのような状態でしたが、不思議と朝、猫が手を振っているように見えると、どんな難関もスルリと乗り越えられるのです。その経験を父に話したところ「俺もだよ」との答えでした。なんと父も、猫の行ってらっしゃいにの片手上げに見送られて出かける日は、必ず仕事が好調だと感じていたとのことなのです。
こうして猫占いつきのわが家の朝が始まりました。しばらくは父と毎朝メールで「今朝は幸運の猫の手あった?」「あったよ」「残念、俺はなかった」なんていうやりとりをしていましたが、最近は幸運をもらうなら親子一緒にということで、別々にイエを出ていた時間を意識的に合わせることが多くなりました。当然、駅まで一緒、電車も途中までは一緒になりますから、猫のお陰で親子の語らいの時間が増えました。
さらに、あまりにいいことがあった時には、帰りも親子で待ち合わせをして、猫におみやげを買って帰ります。そんなただいまも楽しくなる、猫占い付きの「わが家のいってきます&おかえりの光景」です。
行ってきます
ただいま
おかえり
などと言ってくれます。
「出掛けにやたら見つめ合う夫婦」
うちの母は毎朝、何が何でも玄関まで出て父を見送ります。どんなに忙しくても、「じゃぁ行ってくるよ」と声がかかると、大慌てで玄関に飛んでいくのです。そして二人、じっと見つめ合います。今にも新婚さん御用達、お出かけの前のチューが始まりそうな雰囲気です。結局それは無しで「行ってくるよ」「お気を付けて」となるわけですが、この間、見つめ合っている二人には、ただものではない気が漂っています(笑)。
おそらくこれは、母の体がずっと体が弱かったことに関係しているでしょう。わが家では長い間、朝の主婦の姿がありませんでした。当然朝の見送りも無し。母が健康を取り戻し、朝の見送りが出来るようになったことが、二人とも嬉しくて仕方ないのでしょう。
いえ、嬉しいというだけでなく、今この瞬間の幸せを大切にしたいという気持ちも大きいだろうと思います。母がやっと健康を取り戻し始めた時、父が言ったんです。夫婦だって一期一会…と。今はもう医師も太鼓判の健康体ですが、やはりいつまた倒れるか分からないという不安は、拭いきれないものがあったでしょう。今はもう回復を信じられるとしても、やはり瞬間瞬間の幸せの尊さは噛みしめたい。そんな気持ちの見つめ合いなのかもしれません。
とにかく、朝の慌ただしい時に、1分間見つめ合っていたら、これは大変な熱々ぶりです。それをこの二人は、それ以上やっているんです。なんとまぁ、結婚ウン十年にしてこの思いの強さ、新鮮さは、あやかりたいものですね。
このことを付き合っている彼女に話したら、それ、将来一緒に暮らすようになったら絶対やって上げる、とのこと。それはうれしいのですが、彼女はとても出来た女性で、可能なら私の両親との同居を考えたいと言ってくれているのです。一人息子で将来同居する必要が出てくるなら最初から。それが彼女の選択なのです。
となると、わが家は毎朝全員が1分間以上見つめ合って動かないというとんでもないことにw。でも、夫婦といえども一期一会。今日何があるか分からないという意味よりも、その日現せる愛情はその日でなければ現せないという意味で、行って来ますの前の心の触れ合いを大切にしていけるようになりたいと思ったりしています。
「朝、玄関の鏡にも微笑みかけながら出かける」
朝、家族と気持ちよく挨拶を交わして出かけられると、その日一日が気持ちよく過ごせますが、さらに玄関に掛けられた鏡に向かって「行って来ます」と微笑みかけられると、その日一日の運勢が十割増になった気持ちになります。
このやり方がわが家に導入されたのは、私がまだ小学生の頃でした。父が玄関に鏡を取り付け、その使い道を解説。ふーん、それじゃぁと翌日の朝、出掛けの自分の顔を見てみると…。ボーっとしているというか、生気がないというか、自分ながらとても情けない顔をしているではありませんか。
朝の自分の顔ってこんなだったんだと、まるで録音した自分の声を初めて聞いてショックを受けている人と同じようなショックを受けてその日は登校。学校が終わると飛んで帰って、必死に笑顔の練習をしたりしました。もちろんそんなの必死にやるものではありませんから、ろくな笑顔は作れませんでした。
翌日も、玄関の鏡に映る私の顔は、惨憺たるものでした。毎朝これじゃぁ、笑顔で元気になれるどころか自信なくしちゃうよ、と思ったりもしましたが、翌朝父がやっているのを見て、私は鏡の使い方を間違えていたのだと言うことが分かりました。
父は鏡に向かって、「やぁ」と挨拶していたのです。私はじーっと覗き込むようにして眺めていました。これでは仏頂面になって当たり前。私も父の真似をして、玄関の鏡に「やぁ」と手を上げながら微笑みかけてみました。おおっ、今までと全然違ういい顔が映っています。けっして二枚目ではありませんが、我ながらなかなか愛嬌のあるいい表情です。
もういっぺん。自分に向かって「やぁ!」。心がパッと明るくなった気がしました。大成功。「行って来まーす」、元気に挨拶をして登校。途中であった友達にも、先生方にも、その日は普段の五割増くらいの笑顔で挨拶できた気がしました。
それからは毎朝、鏡に向かっての「やぁ」が日課になりました。父も私も。母は女性ですから「やぁ」ではありませんが、セリフを当てはめるとすれば「うふっ」でしょうか、そんな表情作りをしてから玄関を出て行きます。
その笑顔が帰宅するまで持続する。いや、もっと素敵な笑顔が増幅されている。そんな毎日を目指します。それが我が家の行って来ますの光景です。
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