THEME:「わが家ならではの暮らしの決め事」
“ディア・ライフ”=『親愛なる日々』。イエは暮らしと人生の舞台。「LIFE」という言葉に、生活と人生の2つの意味をこめて、イエと家族のストーリーを語り合いませんか? 心のページに刻まれた思い出も、現在のイエでの愛しいワンシーンも。毎回のテーマに沿って素敵なエピソードを、豊かな暮らしを創っていく〈イエはてな〉のマインドで投稿ください!
*回答条件* 下記のページをご覧になってご投稿くださいね!
「Welcome to イエはてな」
http://d.hatena.ne.jp/ie-ha-te-na/20080731
テーマ詳細とアイデア例
http://d.hatena.ne.jp/ie-ha-te-na/20111012
※回答欄には、1行目に「 」をつけて、メッセージのタイトルをご記入ください。
※ピックアップ受賞メッセージは、〈みんなの住まい〉サイトにて記事紹介させていただきます。
※回答欄のはてなスターを「おすすめメッセージ」として活用しています。投稿期間中は回答欄のスターのご利用を控えていただけますようお願いいたします。
「食事の定位置」
我が家では食事をするときどこでだれが食べるかはもう決まっています
「ここ」と決めたわけではありませんが自然と成り行きでみんな座ります
この光景が「絆」って感じもします
心が通じ合っているというか何というか、とにかく赤の他人同士ではこんなことはないはずです
「家の戸締り」
私の家の家族は、みんな生活のリズムが違うので
起きてる時間が違います。
で・・夜中でも誰かが起きてる場合もあるんですけど
家の鍵は、ある程度、夜になると
気がついた誰かが全部チェックして戸締りをします
玄関だけでなく、お風呂場とかの窓の鍵とかも。
(窓の鍵を閉めた後でも入浴する場合もありますが
いったん、閉めた窓の鍵は、朝にならないと開けないことが
ほとんどです)
たまに、戸締りを忘れる事もあるので
起きてる場合は、もう一度チェックを念のためにしますね
母親が子供時代から病気がちなことが多いので、家事は分担制です。
うちの男性陣は掃除、料理、買い物など手馴れているので、他の家の家族とはちょっと違うかもしれません。
近年は共稼ぎの家庭も多いので、みんなで助け合う家庭も増えてるかもしれませんけど・・・。
「お湯を沸かすときには」
つい最近、わが家にできた決め事です。
やかんでお湯を沸かすのは、必ず複数人が在宅のときにする。
実はお恥ずかしい話なのですが、この間、やかんに火をかけっぱなしで6時間も外出してしまったのです。
ガスコンロの上に6時間!です。
帰ってきたときには家の中が焦げ臭く、幸いにも火事にはなりませんでしたし、キッチンも無事、やかん1つをダメにしただけで済んだのですが、それからしばらく、お湯を沸かすのが怖いような気がしたものです。
それからはお湯を沸かすのは誰かもう1人が家にいる間にしよう、という決め事が生まれました。
アイロンがけ
出来るだけ、着る直前に掛ける。
掛けておいてしわがよることは無いのですが、たまにギリギリに。
食べた食器はすぐ洗う。
これが鉄則です。
後に残せば残すほど面倒になって溜まってしまいます。
まだ、満腹感が残るうちに洗ってしまうのが一番効率が良いということに
やっと行き着きました。
「我が家の決め事」
我が家の決め事は、コミュニケーション重視です。
僕の家は、家族そろって外出するときは、戸締りをみんなでするようにしています。
一人ひとり別々の場所をやるのではなく、みんなで同じところをやっています。
一人がもし見逃しても、他の人が気づきますし、
ちょっとしたコミュニケーションの場にもなると思いますしね。
我が家では、食事をするときのおかずなどは、全部ひとつのお皿にまとめて出しています。
魚類や、ハンバーグなど、普段一人ひとり分けてお皿に盛り付けて食べるところが多いと思うんですが、
僕の家ではひとつにまとめて出しています。
洗うときの手間も省けそうな感じですが、
一番は家族の会話を大切にしているところですね。
こういうことをしていくことで、「家族の絆」が深くなっているんでしょうね。
これをけっこうやってきて、もう当たり前みたいになっていますが、
時々、
「まだまだ深くなっていきそうだな」
なんて思ったりもしていました。
「毎週金曜日は魚の日」
我が家では毎週金曜日は魚のお料理を出すことが決めごととなっています。
なぜかというと、金曜日と言えば翌日はお休み。
夜長を楽しめるチャンスでもあります。
そこで金曜日にお魚料理を出して、お料理とともにお酒を嗜みながらユックリと家族団らん会話を楽しみ、今週1週間どんな出来事があったかなどを語らうのです。
日本酒が好きな我が家ですので、やはりお魚の料理が一番合います。
干物、刺身、煮魚、焼き魚など、それ以外にも貝類なども美味しいですね。
少しずつ魚料理をつまみながら、お酒を飲みつつ、語らう事で心が開放的になり、いつも以上に会話が進みます。
我が家では平日はどうしても仕事が忙しくてなかなか語らう時間がありません。
帰宅してからはご飯・風呂・睡眠と言った感じに流れ作業で怒涛のように日々が過ぎて行きます。
本当はもっとゆっくり会話したいのですがそうもいきません。
睡眠時間を確保することに全力を注ぎ過ごしていますので大事なのはこの週末なのです。
今週こんな出来事があったよ、こんなことで悩んでるよ、今度こんなところへいきたいね・・・などと平日に話したくても話せなかった事を詰め込むように語らいます。
お肉料理と違って、お魚料理なら冷めても美味しい。
ゆっくりつまみながらのんびり楽しめるのもいい一面です。
家族とのコミュニケーションが減っていくととても寂しいです。
だからこそこの金曜日の魚の日が我が家にとっては大事な大事なコミュニケーション枠であります。
さて、本日も金曜日です。
今日は何のお魚にしようかなと今から考えています。
是非イエはてなの皆さんも金曜日の素敵な週末をお過ごしください。
「ゴミ減量のためのコンポスト利用」
昔から家庭菜園をしているので、堆肥作りために庭の一角にコンポストを設けていましたが、数年前に市内のゴミ収集が有料になったのを機会に、もっとコンポストを大いに活用して、ゴミを減らそうではないか、という話が、我が家でもちあがりました。
それまでは、コンポスト利用といっても、どこか恣意的なもので、庭まで捨てにいくのは面倒なときなど、つい手じかにある残飯入れに捨ててしまってたりしていたのですが、コンポスト徹底利用が決まってからは、そんな気まぐれなことはしてはいけないと家族で決めました。
まず、最初に準備したのはコンポストへ捨てるゴミをわけておくための容器。
今までは食事の支度をしているときに出た野菜くずなどは、最後にまとめてボウルに入れて運んでいたわけですが、それでは普段、おやつに果物を食べたときの皮など入れておくところがなくて、つい残飯入れへと捨てがちだったのです。
台所にコンポスト行きのものを入れる容器をいつも用意しておけば、食事の支度以外のときでも分けておくことができます。
こうして、容器を準備して
「これからは味がついてる残飯以外のものはこれに入れるように」
と普段台所をあまり使わない家族にも徹底周知させました。
さて、今度はこれを捨てに行くことについてですが、これは簡単で食事を作り終わったあとに捨てにいくことになりました。
当番は決まってませんが、食事の後かたづけをした人がそれを捨てにいくという風に自然ときまりました。
実際にコンポストに入れてみて、次の年の堆肥のできあがりから、コンポストへ捨ててもいいもの、捨てないほうがいいものの区分けができてきます。
例えば、栗の皮などは翌年も分解しないので、これはコンポストに入れないほうがいいということになりました。
また、枝豆の殻など塩がついてるので、コンポストに入れるかどうか迷うものもあったりして、家族で話し合ったりして、少量だから大丈夫だろうとコンポスト行きに決定したりすることもあります。
それから、魚のあらなどはにおいがでそうなので入れるのを躊躇していたのですけど、ミネラルが豊富なので、今年、涼しくなってから実験的に入れ始めています。
本格的にコンポストを使い出して数年なので、決まりごととしてはまだまだ試行錯誤の状態です。一年ではなかなか堆肥になってくれないので、そこを埋めて、新たに別の穴を掘るのも毎年春先の行事になりました。また数年前に埋めた場所に今年植えたミニトマトは抜群の収穫量となり、食卓をにぎやかにしてくれました。ゴミをなるべく減らし、質のよい堆肥づくりが出来るよう、これからもいろいろと工夫を凝らしていきたいと思います。
「火の用心」
私の父の口癖は「火の始末はきちんとしろよ」です。幼いころからガスの元栓を料理をするたびに開け閉めしていたのでそれが当り前だと思っていました。大学生になってたまたま友人にその話をすると、驚かれました。友人の家ではガスの元栓は実家に帰るときくらいしか閉めないらしいのです。
それから父に詳しい話を聞く機会があり、友人の話をしました。すると父が子供のころに実家の裏の家が火事になってしまい隣人はなにもかも失ってしまったと聞きました。聞いている私も恐ろしかったです。
父の口癖にうんざりしていたときもあったのですが、今は素直に火の用心に気をつけています。
「自分のことはできるだけ自分でする」
自分の家庭では自分でできることは誰にも頼まずにまずは自分でやるというのが決まりです
例えばご飯を食べる時自分の料理は自分で運んだり、食べ終わった後の食器は自分で洗ったりなど出来るだけ平等にやっています
「すぐにありがとう、と言うこと」
イエの決め事とは、家族にとって心地よいもので、かつ『家族が気持ちよく協力できるもの』でなければ長くは続かない。
我が家では、あまり多くの決めごとは設けていないが、何かしてもらったり感謝をしたら「すぐにありがとうを言うこと」を家族の約束としている。
こうわざわざ決めたのは、下の子が保育園に入ってからと最近である。
なんともシンプルなことだが何度言っても、何度言われても、「ありがとう」という言葉は心に響く魔法の言葉だ。
自分たち夫婦は付き合ってから結婚し、今に至るまで十数年もの時を一緒に過ごしてきた。
妻とはお互いまだ尻の青い二十歳そこそこから、すっかり丸く成長した(と思いたい)今に至るまで、ケンカと仲直りを数え切れないほどしてきた。
子供たちが生まれ、今はお互い親として戦友的存在だが、愛と感謝の気持ちは持ち続けている。
病気の時に看病をしてくれること、子供たちを産み・育て、そしていつも明るく家庭を支えてくれていること・・・・。
数え上げたらきりがないほど、自分は妻に感謝をしている。
もちろん妻が自分に対してどう思っているのかはわからないが、どんなご夫婦やカップルにもきっと色んな感謝のエピソードがあることだろう。
ただ、お互い長く一緒にいると、感謝の気持ちがあってもアタリマエになってしまい言葉にするのを忘れてしまうことがある、それはすごく残念で悲しいことだ。
この何かしてもらったら「すぐにありがとうと言うこと。」の約束。
この約束をしてからというもの、夫婦ゲンカが大幅に減り、妻が自分にちょっぴり優しくなった気がするw。
おまけに表情も明るくなり、なんだか美しくなった気すらするのだ。
もちろん元から優しい妻だが、フルタイムの仕事に家事、育児で溜まったストレスが、ありがとうの一言で解消されるとのこと。
子供たちに対しても今までは悪いことをしたら怒る、という減点法だったが、いいことを見つけて評価するという加点法に変わったため、評価は上々である。
この約束には、家庭円満、夫婦円満のほかにもメリットがあった。
常に感謝を探すような心持ちで接していると、今まで感じなかった些細なこともありがたく感じられるようになったこと。
そのため、イエだけでなく同僚や友人、妻の親や自分の両親に対しても、以前よりずっと感謝の気持ちを持つようになった。
そして子供も他人に照れずにありがとうと言えるようになり、又ありがとうと言った相手から逆に感謝されることも多くあった。
ありがとうは魔法の言葉だ。
最初は言うことを約束にするのはどうかな?と思ったが、決めごとにしてよかったと思っている。
一人暮らしの方は、普段出会う周りの人に対して、意識的に「すぐにありがとうと言う」と、その効果の大きさに驚くと思う。
「宵越しの不満は持たない、宵越しのケンカはしない」
これがうち決め事です。私が小さかったころ、それこそまだおっぱいを飲んでいたころの話ですが、若かった両親は、けっこう頻繁にぶつかりあっていたとのことでした。
もちろんそんなに大きないさかいではありません。父の帰りが理由なく遅いとか、約束していた買い物をしてきてくれなかった、といった些細な出来事です。が、小さな言い争いも何度も繰り返されるとやがて習慣化してしまい、顔を合わせるごとに喧嘩腰、というようなことになってしまいます。
そんな危機感を感じた二人は、お互い大人なんだから譲り合おう、我慢し合おうと話し合ったそうです。しかしそれは失敗でした。我慢を溜めれば、かえって大きな衝突の火種を抱え込むことになってしまうのです。
そして起こった大喧嘩。あまりに派手に言い合いすぎて度を過ごしたと感じた二人は、お互いに休戦の切っ掛けを探したそうです。そこに折良く深夜0時を知らせる時計の音。もう昭和も後期でしたが、まだその当時のわが家では、ボーンボーンと鐘の音で時を知らせるクラシカルな柱時計が使われていたのです。
深夜0時の時計は12回も鐘を打ちます。それは注目して耳を傾けているとかなり長い時間です。そんなインターバルが二人の心を冷静にさせ、いい仲直りの切っ掛けを与えてくれたとのことでした。
それからの二人はどんなに言い争っていても、午前0時になったら感情をリセット。改めて話し合いが必要だと思ったら、翌日もう一度提案し直すという習慣が定着していったとのことでした。
というような話を、学生時代、父親と対立して感情的なこじれが深まっていた時、母親から聞かされました。
「ようするにもうそろそろ感情に走るのをやめて、冷静な議論をしろと?」
「うん、まぁそういうこと」
「わかったよ、努力してみる」
こうして私も、若い時代の父母が作ったルールの一員になっていきました。
感情を高ぶらせずに話し合うと、お互いの言いたいことがよく分かります。膠着していた話がどんどん進展して、簡単に解決が見られていきます。聖人君子ではないのですから、最初からそれは無理ですが、どんなに言い合ってもそれを翌日に持ち越さないという決まりは、言い争いというネガティブな出来事を、建設的な家庭作りの一環というポジティブな存在に変えてくれました。
今もたまには家族と言い合うことがあります。腹が立ってドアに八つ当たりしながらリビングを出て行くこともあります。でも深夜の12時を過ぎて日付が変わったら感情はリセット。翌朝は笑顔で「おはよう」。感情対立を引きずらないためには相手の非をなじらないことも大切ですから、一夜たてば誰も何も言いません。前夜の喧嘩が嘘のような朝食風景がおかしくて、思わず笑ってしまいます。
家族だからこそ本音がストレートに出てしまう。家族だからこそ感情がぶつかり合う。それは当たり前のこと。12時過ぎたら元に戻るシンデレラのような家族喧嘩なら、いくらやってもいいと思っています。
「どんな日でも必ず傘を持って出かける」
「傘持った?」「うん、持った」「じゃあ行ってらっしゃい」「行って来ます」。これがわが家の朝の決まり文句です。小学生の時からそうでした。どんなに天候が安定している季節でも、どんなに快晴の朝でも、必ず折り畳みの傘はカバンに入れていく。それがわが家の決め事なのです。
おそらくこれは、母が子供のころの放射能の雨への警戒感が大きく影響していたと思います。米ソ冷戦時代には、世界で多数の核実験が行われました。それによって放出された放射性物質が気流にのって日本にも流れてくる。雨に混じって降ってくるから雨に濡れてはならない。それが米ソ冷戦時代の子供たちの常識だったんですね。
世界はその後、核実験自粛の方向に向かいますが、今度は酸性雨やら何やらと、やはり雨には打たれない方がいい時代が続き、今日に至っています。子供を守りたい母親としては、「車に気を付けて」と「傘持った?」が、毎朝の必須の決め事となっていったのでしょう。
考えてみると、この「傘持った?」の一言のお陰で、何度助けられたことでしょう。学校で急に空模様が変わって降ってきた時など、みんなは大騒ぎですが、私だけはちゃんと傘の用意があるのです。普通の折り畳み傘よりさらにコンパクトに畳める、ランドセルの中でも邪魔にならない傘。それを知っている友だちが「入れてってくれよ~」と声をかけてきます。「うん、いいよ」と答える時、私はちょっと誇らしさを感じるのでした。おふくろさん、あなたのおかげで僕は世の中の傘になれました、なんて(笑)。
もっともこの折り畳み傘は一度広げると子供には畳むのが大変だったので、いつも使い終わった後は父か母にお願いして畳み直してもらっていたのですが、それも懐かしい思い出です。
一度、かなり大雨になった夕方、傘が無くて昇降口で立ちつくしていた女子に傘を貸して、自分はずぶ濡れで帰ったことがありました。母に見つかるとまずいと思い、こっそりイエに入りましたが、見つかってしまい、びしょ濡れの理由を聞かれて困ってしまいました。実は私はその女子のことを密かに好きだったので、その彼女に傘を貸したなどとは言えなかったんです。今思えば傘を貸したくらいでその子のことが好きだなどとバレるはずはなかったのですが、その頃は絶対親には知られたくない秘密だったんですね。
そこで無くしたとか調子が悪くてうまく開かなかったなどとウソの言い訳をしていた所でピンポーンと呼び鈴が鳴り、傘を貸した女子が登場。ことの次第を全て母に話して帰っていったので、隠したことでかえって秘密がバレてしまったという恥ずかしい思い出もありました。
とにかくそのようなわけで、母の「傘持った?」の一言は、今も続く朝の決まり事になっています。母は父にも毎朝「傘持った?」を続けていて、おかげで私たちは突然の雨にも困ることがありません。
今は大人なのですから、雨が降って本当に困れば、出先で傘を買うなりタクシーを利用するなりしても構わないわけですが、やはり常に傘を持っているという安心感は、何物にも代えがたい物があります。それが母の家族を思う言葉によって実現されているということ。外で雨に降られると、家族って有り難いなぁと、かえって心が温かくなる私なのです。
「今日は旧暦の○月○日」
日めくりカレンダーをめくりながら必ず「今日は旧暦の○月○日」と声に出して言う。これがわが家の朝の恒例です。父が言うこともあれば、母が言うこともあります。もちろん私が言うこともあります。とにかく日めくりをめくる人が必ず「今日は旧暦の○月○日」と言うのです。
聞いている方はそれに何かを答えるわけではありませんが、心の中では、今日は満月だなぁとか、節句などの季節行事なども、本当ならいついつがその時期なんだと確認したりします。
旧暦の月初めの日を迎えると、今日から長月か、とか、今日から神無月なんだ、などと、新暦の一日よりも心が改まる気持ちがします。
わが家の壁には、必ず日めくり。子供の頃からそうでした。場所もずっと変わっていません。新年になると、たった1枚を残すだけになっていた大晦日の日めくりとは打って変わった、ドサッと分厚い日めくりに掛け替えられます。それを見てお正月を感じるのもわが家の恒例でした。
もっとも、元旦だけは「今日は旧暦の○月○日」のアナウンスはお休みです。だって、今日はまだ旧暦の12月何日、なんて言われたら、せっかく新年気分が台無しになってしまいますから。そのかわり、真新しい日めくりの表紙をペリッと破る人は、十干十二支などを読み上げます。子供の私はこれをしたくてたまらないのですが、十二支は読めても十干が読めないので苦労しました(笑)。
正月二日からは「今日は旧暦の○月○日」コールが再開されますが、これは私が言いたがりました。やはり子供としては新年最初のこのイベントを担当したくなります。父がめくろうとすると、だめー、私やるー、なんて叫びながら、日めくりの所に駆け寄っていました。
子供心に、なぜ暦に新旧二通りがあるのか不思議でした。少し大きくなって暦法の違いは理解しましたが、異なる考え方で作られた暦が何となく近い結果になっていることにも不思議を感じました。そんな暦への興味が後の受験の時の志望校選びにまで影響することになったのですが、とにかく日めくりをめくりながら「今日は旧暦の○月○日」と言う習慣は、今もわが家の朝の風景として、ずっと続いています。
話し合って定められたことでもなければ、必須の理由があって続けられていることでもありませんが、これがわが家の決め事。これがないと一日が始まった気がしないという習慣です。
「カレーは一晩寝かしてから食べる」
カレーは作った翌日がおいしいと言われますが、わが家の場合、作ったその日は食べさせてもらえません。一晩寝かすのも調理のうちなんです。でも子供はカレーが大好きですから、いい匂いが漂ってくると、もう食べたくて食べたくてたまらなくなります。
「ねぇ~、ちっちゃなお皿で味見だけでいいから食べさせてよ」
「しょうがないわねぇ、今夜のおかずは別にあるんだから、夕飯が食べられなくなるほどはだめよ」
「やった~」
こうしてちょっとだけ味見のご相伴にあずかって、もっと食べたいなぁと思いながらスプーンを置くのでした。
夕食が終わった後も、カレーは別腹といわんばかりに、「そろそろ味が変わってきたかな~。おいしくなったかな~。味見してみようよ~」などとねだりました。作り始めのカレーは、素材とルーの味が別々に離れている感じがするのですが、作って数時間すると、それが渾然一体となっていく様子が、子供の舌にもわかりました。この妙な決め事は、子供に料理の不思議さ、面白さを伝える、一種の食育の意味も果たしていたかもしれません。
この習慣は今もわが家の決め事として健在で、カレーの匂いが漂ってくる初日は、必ず別のおかずが用意されています。さすがにこの歳になると、子供の頃のような味見はねだりませんが、翌日は夕食が楽しみで、ちょっと帰宅時間が早くなったりします。
子供のころはごく稀に、母不在時の、父の作る夕食としてカレーが出てくることもありましたが、父のカレーは子供のキャンプの夕食とほぼ同じ。ジャガイモの皮むきなどには時間がかかりますが、煮込みはあっさり。ルーを入れて少したてばもう「出来たぞ~」です。
「お母さんのカレーはぜったい翌日でないと食べさせてもらえないのにね」、「なんだかいけないことをしてる気がするな」、「わはははは」。こういうカレーもおいしいですが、やはり母が作る一晩寝かせたコクのあるカレーとは別の料理でした。もちろん母のカレーは様々な隠し味が加えられた特別製でもあるのですが。
最近はこの一晩寝かす決まり事を、わが家の新しい家族と言うべき、単身上京中の親戚の女の子が受け継ぎつつあります。先日母が不在の夜にカレーを作ってくれていたので、「今夜はカレーか、楽しみだなぁ」と言ったら、「あらやだ、これ明日の分よ」とあっさりと返されてしまったのです。
「ええー、お前までそうなのかよ」、「それがこのイエのやり方でしょ」、「う、うん…」。翌日まで待ったカレーは、それはおいしゅうございました。こうやって、待たされることでさらにおいしく感じられるという効果も、この決め事には折り込まれているのかもしれません。
将来私が独立してイエを構えることになったら、パートナーとなる女性は、どんなカレーを作ってくれるのでしょうか。もしかしたら私は、作った初日は食べさせないわが家の決め事の受け継ぎをお願いするかもしれません。それは、おかしなことでしょうかw
「子ども自身に選ばせること」
私が物を整理する際の決め事としている、母から教わった方法があります。
今も昔も、保育園では様々作品を作り、沢山の絵を描いて持ち帰ってきます。
こういう子どもが作った作品を処分するのは、すごく大変なんですよね。
母も当時、私が保育園で描いた絵や作品を沢山箱にとっておいてくれました。
しかし、卒園し小学校入学を目の前にしたある日、母は私が保育園やイエで描いたもの、作ったものが入れた箱を持ってきて
「これからあなたはもっともっと上手な絵や作品をいっぱい作るでしょう。この中で飾っておきたいものや、残しておきたいものを今から自分で選んでちょうだい。」
と言い、母は私自身に残すものを選ばせました。
ポイントは「いらないもの」ではなく「大切なもの」を子ども自身に選ばせること。
そして子どもが選ばなかったものを決して「捨てる」とは言わず、そして目の前では捨てないこと。
子ども達が描いた絵、作った作品は母にとってはどれもかけがえのない物で、捨てる物を決めることは難しく、子ども自身に決めさせたんだそうです。
それから小学校に入ってからは年に2回、持ち物の整理をすることになりました。
年に2回というのは夏休みと春休みです。
冬休みはすぐに春休みがくることもありますが、この時期には大掃除があるので、簡単な片付けはしますが整理よりは掃除を優先します。
夏休みと春休みに入ると、まず何日に整理をするからね、と言われ、その日は家族全員で半年でたまった物の整理をします。
まず、それぞれ燃えるゴミと燃えないゴミの2種類のゴミ袋を貰い、私たち子どもはまずは期限の過ぎたプリントや古いテスト、作文など紙類からどんどん処分します。
次に机の引き出しの中の整理です。
引き出しの中身を一度全部出して内側を拭き、必要なものだけ戻します。
捨てることばかり書いてますが、プリントも作文も工作物も、これは残しておきたいな~、というものがあればそれはもちろん残してOK。
子ども部屋の押入れには「思い出箱」と呼んでいた透明な衣装ケースがあり、その中に残しておきたいものはファイルや小箱にまとめて保存します。
その思い出箱の中身も整理する際に見直しをして、もういらないと思ったらその時に処分します。
私は長いこと音楽の教科書と美術の教科書を大切にしていて、とくに大好きな絵が沢山載っていた美術の教科書は結婚するまで持っていました。
こうして持ち物を厳選して年に2回見直すことで、何をとっておきたいか、自分にとって何が大切なのかを知ることができました。
また、何度もその物を見直すことで、その物の記憶が私の中に強く残り、今でも「あの頃はあれを大事にしてたなぁ」と思い出します。
これが親から言われて捨てさせられたり、逆に何もかもとってあったとしたら、こんなに風には覚えていなかったと思います。
大切にしてきた物の思い出がずっと残っているのは、母の教えのおかげです。
この母から教わった整理方法は、これから色んなものをかかわっていく子ども達に、自分で自分の大切なものを選び残す習慣を引き継いでいきたいと思っています。
「虫を殺さない」
「虫も殺さない」という言い方がありますが、わが家では本当に虫を殺しません。ずっと昔からそうだったわけではありませんが、それが最近のわが家の決め事です。
祖父はとても信仰心に厚い人で、全ての生き物は誰かの生まれ変わりか、来世は人に生まれ変わる命か、とにかくどんな生き物も人と変わらない命を持っていると考える人だったそうです。祖母も生け花に使う花や料理に使う野菜などに虫が付いていると、そーっと取って外に出してやるどころか、幼虫はただ外に出しただけでは生きていけませんから、餌になる草を何時間も探して歩いたこともあったほどだと聞きます。
そんな祖父母の生き物の慈しみ方が再びわが家に蘇ったのは、やはり3月11日の出来事がきっかけでした。まだあの時は肌寒い日の続く春は名のみの時期でしたが、しだいに暖かくなって、色々な生き物が現れるようになりました。窓辺の花にも虫がやってきました。それは大きなショックを受けていた私達の心に、躍動する命の素晴らしさは何も変わっていないのだと教えてくれる光景でした。私も母も、やってくる虫たちに、思わず手を合わせていました。
夏になると蚊もやってきました。でも今年は全然嫌だと思いませんでした。刺されると痒いですし、健康上の被害も皆無とは言えませんからハーブの匂いなどで追い払いますが、叩いて潰したり、殺虫剤を使ったりするのはとんでもないと素直に思いました。
夏、玄関に落として気が付かないでいたお菓子のかけらに、アリの大群が列を作ってしまった事もありました。人間が出入りをすると、誤って踏んでしまいそうです。母は早速門の所に「玄関工事中・恐れ入りますが裏口へお回りください」の貼り紙を出して、玄関は家族も立入禁止。ご近所様に「リフォームですの?」と聞かれて「おほほほほ」と笑ってごまかしながらアリさんを守る母でした。
父は鉢植えを動かしたら、大きなムカデが出てきてびっくりしたと言っていました。「ムカデは恐いね」「でも庭の向こうに逃げちゃったんだよ」「なら安心だね」「人間は安心だけど、脅かして追い出すような形になって悪いことしちゃったなぁ」。噛まれたら恐い虫も人に比べれば弱い存在。向こうも恐い思いをしたのでしょう。
先日は、首筋に動く物を感じたので何かと思って手をやったら、もろ虫の背中に触ってしまいました。きゃっ!虫も驚いて飛び立ちました。ブーン。なかなか大きな羽音でした。あ、壁に止まりました。見ると…。きゃっ、カメムシです。これは驚かすととんでもない臭気を出す虫です。やられちゃったかなぁと思い恐る恐る臭いを確認してみると…。あれ、臭わない。あんなに直接触って驚かしてしまったのに、全く何もされずに済みました。びっくりさせてごめんねと謝って、窓の外に出してあげました。
こんなふうにわが家は今、家族全員が虫を殺さず上手に共存する暮らし方に変わっています。これがわが家の決め事です。今後、どうしても駆除しなければならないケースも出てくるかもしれませんが、辞書によれば駆除とは「害を与えるものを追い払うこと」の意味で、必ずしも殺すことは意味しません。ですから、どうしてもという必要に迫られたとしても、今後のわが家は家族で話し合って、殺さずに場所を移動してもらう方法で対処することになるだろうと思っています。
「食後のお茶はご飯茶碗に注ぐ」
父は食事の後、さっきまでご飯が盛られていた茶碗にお茶を注いで飲むのが常でした。私はそれを、下品だなあ、嫌だなあと思って眺めていました。休日の昼、母が不在で父と二人きりの食事になったのを機会に、思い切って、なんでそういうことをするの、と聞いてみたのです。すると、こんな答えが返ってきました。
「綺麗に一粒残さず食べたとしても、まだお茶碗にはご飯の成分が残ってる。そのまま流しに持っていけばただの汚れ。でもこうしてお茶を注いで一緒に飲み込めば栄養だ。どっちがいい?」
うーん、それは確かに。でもそういうのって下品じゃないの? と言うと、
「そう見えるか? 永平寺っていうたくさんのお坊さんが修行しているお寺では、食事の後は必ずこうやって締めくくるんだよ」
そして日本曹洞宗の祖、道元禅師が説いた「典座教訓」のことを、子供にも分かりやすく教えてくれました。全ての食材は命ある存在からもたらされる、だから料理とは、食事とは、命と向き合うことなんだと。真剣にお米という命と向き合ったら、たとえ茶碗に残ったわずかの粘りだって粗末には出来ない。じゃあどうしようかと考えて、お茶でさらって無駄なく戴こうとする。それはとても美しい思いの発露じゃないのかなと。
あー、そういうことなんだと納得し、僕にも!! とご飯茶碗にお茶を注いでもらいました。まだ子供で、普段は緑茶など口にしない当時の私でしたが、そのお茶はとても美味しく感じられました。
もっとも、わが家は仏教どころか何の信仰も持たない無宗教一家でしたから、父もおそらく永平寺の修行の様子を何かで聞きかじり、信仰心ではなく道徳観として受けとめて、そのエッセンスを日常生活に取り入れていただけだったのだろうと思うのですが、とにかくそれ以来、ご飯茶碗にお茶を注いで飲み干してから「ご馳走様」というのが、父と私の決め事になっていきました。
すると今度はそれを見た母が、「お父さんだけかと思ったらあんたまでそんなことを・・・・。どうしちゃったの?」と嫌そうな顔。
「下品だと思う?」
「うん、ちょっとね・・・・」
そこで私は大得意で父からの受け売り話。
「かくかくしかじか・・・・ね、お父さん、そうなんだよね」
「うん、その通り」
母は、へぇぇと目を丸くしながら「じゃ私も」。こうして、ご飯茶碗でお茶を飲んでから食事を締めくくるという習慣が、家族皆の習慣として定着していきました。
もちろんそれは、大人になった今でも続いています。さらにお茶碗をすすいだお茶の元であるお茶殻も、佃煮風に炒りつけて、後の食事のお供に再登場します。一切の食材に無駄を出さない。それが法食同輪。仏教徒ならずとも、この心がどれだけ大切なのかは分かります。
私が男だてらに料理好きになった背景の一つに、子供の頃に得たこうした気付きが影響していることは間違い有りません。菜園で野菜を育てる。料理をする。美味しく食べる。全てが自然との対話、命との対話なんですよね。そういう楽しみを人々の間に広げていける農園レストランの夢を描きながら、今日もご飯茶碗でお茶をズズー。命の息吹が指先まで満ちていくような「ご馳走様」が迎えられます。
「週末の完全菜食デー」
以前、「週に一回完全菜食キャンペーン」ということで書かせていただいたことがありますが、
http://q.hatena.ne.jp/1171429627/72823/#i72823
これがわが家では毎週末、少なくとも家族が揃う週末の恒例になっています。普段のわが家はごく普通の食生活で、肉も魚も食べますが、出来るだけ週に一度はそれらを断つ菜食の日にしようと決めているのです。
元々の目的は、昼食は焼き肉定食、夜も付き合いで焼き肉屋で一杯などと肉食が続きすぎるわが家男性陣の健康を考慮してのものでしたが、最近は動物質の食材を使わない工夫がかえって楽しいご馳走の日になっています。
最初のうちは普通の食事から動物性食材を抜くだけだったので、ただのションボリな食事になってしまうことが多かったのですが、グッドタイミングで開催された"イエコト・ミシュラン" #035「美味と栄養バッチリ!菜食メニューコンテスト」
http://q.hatena.ne.jp/1242017671
などが、工夫することの楽しさを教えてくれました。
菜食というシバリがあるからこそ、メニューを考えるのが楽しくなります。家族それぞれが週末のメニュー案を考えて提案し合っていくのもわが家の「決め事」。菜食ならではの美味しさと栄養バランス、そして豪華さも兼ね備えたメニューを考案していくのがまた楽しいのです。
以前は単純に主要な食材から肉や魚を避ける程度でしたが、最近は段々徹底してきて、卵や乳製品はもちろん、魚介類を使ったダシや、生き物を使役して作るハチミツなどの食材すらも避けていく、ヴィーガン並みの厳格さが暗黙のルールになりつつあります。どうせやるなら徹底的に凝った方が楽しい。ハードルが高ければ高いほど、楽しみも大きくなっていきます。
わが家は普段は近所に回転寿司が出来れば食べに行き、お中元にハムが届けば大喜びする普通の食生活の家庭ですが、最近は菜食こそご馳走という価値観に変わってきていますから、今年のクリスマスもぜひ菜食でと考えています。先日の"イエコト・ミシュラン" #075「クリスマスのイエ・イベント・コンテスト」に登場したid:ekimusiさんの「クリスマスのメニューを考える」
http://q.hatena.ne.jp/1317189242#a1107027
などを、大いに参考にさせていただきます。
健康のための「肉断ち」の日が、今や家族みんなが一つのテーマに取り組んで一日の食事を作っていく、楽しいイエ・イベントの日に育ちました。私は週一ではなく、一年三百六十五日ヴィーガン生活でもいいなぁとも思いはじめています。ヴィーガンになると安易に市販のお総菜や加工食品、インスタント食品などは使わなくなり、その面でも健康に良さそうだと思うからです。そういう「決め事」が出来るようになるかどうかはまだ先の話ですが、とにかく今は週一の菜食デーを楽しみたいと思っています。
「お鍋の日には」
私の実家では、お鍋の日の食卓は、天井の照明を落として間接照明の中でいただくのが決まりゴトとなっていました。
最初にそう言い出したのが祖父母か両親かはわからないのですが、気がついた時には既にそうなっていたのです。
そしてテレビは消して、ラジオかスローテンポなBGMを流します。
BGMはその日の気分によってジャズだったり、ボサノヴァだったり、クラシックだったりと様々です。
鍋と器、お酒など食卓の準備が整ったら、部屋の隅に置いた灯りをともし、天井の照明を落とします。
食卓の傍には懐中電灯が。
これはトイレに行く時に使うためで、懐中電灯の電池が使えるかどうかのチェックも兼ねられていました。
(もちろんトイレでは普通に明かりをつけます)
当時は顔を下から懐中電灯で照らしてのオバケごっこを弟とよくしていましたw
間接照明の薄明かりの中、今日あった出来事を話しているうちに、鍋が煮立つ音がしてきたら、みんなで手を合わせて「いただきま~す!」。
かけ声とともに、お鍋の蓋を母が取ります。
その瞬間、鍋から一瞬みんなの顔が見えなくなるほどフワ~と白い大きな湯気が立ち上り、気分はまるで玉手箱を開けた浦島太郎!?。
この湯気と香りに食欲がそそられます。
周りが暗いと料理に集中でき、より美味しく感じられます。
そして、いつも腹八分目!がモットーの父親も「もう入らん!」というまで食べすぎてしまうのも我が家の決まりごとでしょうか。
考えてみると、昔の我が家の鍋料理は具がシンプルで白菜ときのこ類と鶏のつみれ、タラと白菜とエノキ、のように味は美味しくても目で楽しむものではなかったからかもしれません。
今でこそ、色々具材は入れられますが、昔の我が家は給料日間際はとても家計のやりくりは大変だったようです。
今でこそカラフルな鍋を作ることができる我が家ですが、この間接照明で食べるお鍋の習慣はしっかり引き継がれています。
最初はとまどっていた夫も、いつしか鍋の日には率先して照明を消したりしてくれるように。
ただ、娘が暗いのを怖がる時期があり、一時は鍋の日も部屋全体を明るくしていたこともありますが、明るいと私にはなんだかちょっと違和感がありました。
もうじき娘も3才になりますし、そろそろ間接照明にしても大丈夫かな?と思っています。
食べすぎには注意をしつつ、寒くなるこれからの時期、家族で美味しい鍋ライフを楽しんでいきたいです。
「意見が分かれたら、迷ったら、くじ引き」
「今夜は久し振りに出前でも取らない?」
「いいねー、俺○○亭の特製カツ重」
「父さんは○○庵の天丼だな」
「あら、お母さんはちらし寿司とか食べたかったのよ」
「激しく意見が分かれたなー」
「じゃいつもので決めるか」
「くじは私が作るわよ」
こうしてくじ引きが実施されます。くじの種類はその時々。あみだくじになることもありますし、手にコヨリを握って印のある物を引いた人が勝ち、などというくじになることもあります。父は時々格好を付けて、コインの表と裏で決めようなんてやりたがりますが、たいていコインをあらぬ方向に飛ばして、くじを台無しにしてしまいます。
最近の父母は時々映画を見に出かけたりもします。近ごろはいいシネコンがありますからね。そこで見る映画もくじびきです。これは意見が割れるからというより、同時公開されているどれもが見たい作品で、くじでもしなければ決めきれない、という理由からのようです。
このくじは、たいてい箱の中の紙切れ一枚を引く、というやり方で行われます。紙に映画のタイトルが書かれているわけです。それを父母は私に引かせます。公正なくじなら誰が引いても確率は変わらないはずですが、第三者が引いた方が公正に思えるらしいのです。
結果、見終わって感動すると、私のお陰でいい映画に巡り会えたということになり、パンフなどのおみやげがもらえるので、まぁ悪い使われ方ではありません。
先日は母の誕生日に何をプレゼントしようかと迷っていた父のためにくじを作りました。考えている候補を全て書き出してもらい、それをあみだくじにしたんです。かなり線を多くした、時間のかかるくじにしました。そして、一つを選んでもらい、ゆっくりと線をたどってもらいました。でも、半分くらいまで進んだ所でストップをかけました。
「ちょっと止まって。今、どれかに当たるといいなって、心の中で念じた物はなかった?」
「あ…、いや、えーと、…ちょっと待て」
父はうーむと考え込み、そして「確かにこれに当たるといいなと思いながら線をたどっていた」と、候補の一つを指し示しました。
「じゃ、それがお父さんの選んだ最高のプレゼントだよ、それに決めな」。
こんなふうに、いつも全てくじ任せになるとは限りません。
こうしたくじ引きで決める習慣はずっと以前からありました。ですから、私は高校受験の志望校もくじで決めようとしたりしました。当然父に「ばっかもーん」とはたかれましたが、「じゃお父さんはどこの高校を勧めるんだよ」と聞くと「うーむ、お父さんも分からん」。こんなやりとりが、親子の対話の切っ掛けになって、納得いく志望校選びにつながっていったことは確かでした。
最近はテレビを見る時間が少ないのでめったにしなくなりましたが、以前はよくテレビのチャンネルもくじで決めていました。
くじ引きを楽しくするコツは、どんな結果が出てもそれを素直に受け入れること。つまりくじで決めるという決断が、もう既に結果に対する心構えを作っているのです。このように、一見運任せのちゃらんぽらんなやり方ですが、この決め事には、わが家なりの哲学もあったりするのです。おそらく(笑)。
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