推測による物言いですけれど、西洋の築城術の影響があるのではないでしょうか。
安土城は山城でしたし、大筒の射程を気にしなくともよい時代の天守閣です。高さは高いほど権勢を誇示できたでしょう。
ところで、西洋での状況ですが、砲術が発達した16世紀以降の要塞は、平地に築かれており、低い建造物に囲まれています。これは、大砲の的となりにくくするためです。
大阪城は平城になります。確かに城郭は巨大ではありましたが、天守閣が高いほど大筒の的になりやすいのことに秀吉は気づいていたのではないでしょうか?
よって低めにしたというのが、私の仮説です。
野戦の多い日本では大砲が発達しなかったそうですが、スペインやポルトガルの南蛮船はすでに大砲を備えて渡来していました。
また、大友宗麟がすでに西洋の大筒を入手していたので、時代的には矛盾はないです。
時代がくだり大坂の陣では南蛮船からの砲撃を受けています。
大砲対策は面白い意見ですが。
例えば姫路城は大砲対策に小天守を建設したとされています。
つまり天守にとって恐ろしいのは砲弾によって、下層階の柱が破壊されて一気に天守が倒壊することです。
姫路城は下層階を小天守でぐるりと取り囲む事によって対砲弾防御を高めている訳です。
もし大阪城があと何メートルか高くしたとしても、天守最上部に命中する可能性はあまり関係なかったのではないかと思いますし。
真剣に当時砲弾対策を考慮されたなら小天守を作ったと考えます。
姫路城の構造とかは不勉強でした。その築城は大坂城築城の後なので、築城術のイノベーションがあったかもしれません。
根拠なしの余計なコメントでした。