THEME:「靴」「話す」「日課」
「今日をちょっと楽しく、特別にすることって何だろう? イエで過ごすいつもの時間を素敵に変える小さな魔法のサプリがあったら……」と展開してきた“リブ・ラブ・サプリ”コーナーの続編のひとつ、キッズ・バージョン。子どもたちと一緒に遊び、学び、楽しむ暮らしのサプリを、テーマに沿って語らいませんか? 豊かな暮らしを創っていく〈イエはてな〉のマインドで投稿ください!
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「中身よりもまず話す」
我が家では兄弟同士でも昔よりは話を
しないようになっています
なので親と・・ということになると
ますますそうなってしまいます。
なので自分の理想としては
子供が話す”ネタ”に対して何を話してるんだよ~など
きつく突っ込むような事は言わない大人でありたいな
そう思いますね
子供側が話しやすい雰囲気を大人側が作ってあげる
そうしないと最初の頃は話をしても
しばらくすると絶対話をしないようになってしまいますから・・
「会話」
家ではあまり会話が少ない家族ですが仲は別に悪くないというよりはむしろいいですが本当に会話がなくなる時もあります
でも靴の話になると結構盛り上がります
家の家族は靴好きが多いです
「今日は何があったの?」
母や祖母が小学生の頃の私にほぼ毎日聞いてくれていた言葉です。
何気ない言葉だし
別にいつもとかわらねえよと思うこともありましたが、
日常に興味をもってくれる。それを大切にしてくれることは
すごくありがたいことだったと思います。
そこにある日常を大切にする言葉として、
周囲の人に使っていきたいです。
そして自分も子どもをもったら
夕食をたべながら聞いてあげたいと思っています。
「背中で語る、ネコクラケン」
うちの猫、朔は、「背中で語る」ということをします。
カリカリが器にたくさん入っていないと、私たちに背中を向けて、黙っています。そして、無言で語るのです。「入ってるって言わない」。「入れなさいよ」。
その様子を、黙って背中で語る高倉健さんのイメージから「ネコクラケン」と呼んでおります。
器にカリカリを足すと食べ始めますが、器にカリカリがたくさん入っているにもかかわらず、より多くの「盛り」を要求する時もあります。
そういう時には、「入ってるじゃ!召し上がってぇ!」と言うと、なぜか食べ始めます。語尾に「じゃ」がつくのは、湯河原の方言です。
http://www.youtube.com/watch?v=ZpXqAWpRcT0
猫って、人間からの語りかけを、かなりの程度理解していると思います。
しゃべることが出来ないだけで、何を言いたいのかは、日常的に繰り返している言葉なら、ほぼ分かっているんじゃないかと思います。
猫は人間の語りかける言葉の意味を、かなり理解していますね。言葉の響きのニュアンスからだけでなく、単語の違いも理解しているようです。
猫はほぼ人間の五歳児に相当する知能指数を持っているという人もいますから、その通りだとするとかなりの語彙を理解している可能性もあります。いや、実際そう感じられる事が少なくありませんね。
あとは人間の側が猫のボディランゲージを理解出来るようになれば。これでかなりコミュニケーションが進みそうです。猫の背中が語る言葉。これも重要ですね~(^-^)
「スニーカーのひもを集めてみよう」
子供時代はなんといっても運動するのに最適な靴が一番の普段使いになることにまちがいありません。
運動に適した靴となるとスニーカーの種類ということになります。
スニーカーもいろいろな形があって、スリッポンで履ける小さなお子さん向けから、マジックテープで調節できるもの、ファスナーつきのもの、そして、紐のスニーカーといったところが代表的でしょうか。
幼児の頃は履いたり脱いだりするのも大変ですから、マジックテープやファスナーつきのものを履くのが便利でもありますが、もう小学校も高学年になれば、ひもで調節する一般的スニーカーが機能的にも見た目にも好まれてくるように思います。
ところで、子供は成長がはやいですから、靴はどんどん小さくなり、買い換えることが多くなります。
こぐま保育園さんのサイトでは靴のサイズは半年に1度くらいは見直すようにし、数ヶ月で履きつぶすつもりで買い換えましょう、と呼びかけています。
http://www3.ocn.ne.jp/~koguma/kennkou/kennmem/11.htm
こちらの指標は幼児のものだとはいえ、小学生になっても、大人に比べると靴の寿命は短いといっていいと思います。
そうなると、せっかくお気に入りの靴を買ってもらっても、ほどなく自分とは合わなくなってしまい、ちょっと気の毒ではあります。
私は小学生の頃、色つきのスニーカーをよく履いていましたが、買うときに靴ひもの色も随分と凝ったものです。
そのときの記憶から、靴はなかなかお気に入りのものがないときでも、靴ひもをお気に入りのものに変えたら、随分気分もかわるのではないかと思いました。
そこで、スニーカーを買ったときについてきたひもばかりではなく、よく別売りでうられてる、交換用のひもにいろんなデザインなのがありますから、折をみて、親子で集めておくといいかもしれないと考えました。
たとえば、インターネットで靴ひも通販を検索してみても、いろんなのがありますし、店頭へ赴いて選ぶのもいいと思います。
新しい靴になったとき、お気に入りのひもを使うことで、個性的なスニーカーに変身します。
またまだ換える必要のない靴でも、ひもを変えることでちょっとしたおしゃれにもなります。
ひもといえば、結び方もおしゃれのひとつになりますね。
いろんな結び方についてはこちらが参考になるかと思います。
らばQこれはおしゃれ、15の靴ひもの結び方
最後に、靴はつい大き目のものを選んでしまいがちですが、あわない靴は足を痛めてしまう可能性がでてきてしまいます。
専門家のお話によれば、靴の爪先と足指の先端が7ミリ程度余裕のあるもので、かかと部分を覆うところがしっかりしていて、靴先3分の1のところでしなやかに曲がるものが動きやすいとのことでした。
「ネタ多し、話すの少なし」
誰か一緒に暮らすと話すねたは無限にあります。
その一緒に暮らす相手が祖父であろうと父であろうと親戚の子供であろうと。
こんな会話
「これ美味しかった?」
「うん」
「よかったね」
とか
「宿題やれよ」
「わかってるよ」
まあ、簡単な会話ですが、話の内容が深くなく、親孝行もろくにできないと思います。
最近の家ではこんな家族・親子が増えてきているかもしれません。
僕の家では、食事、団欒のとき、「1つのことについて深く話し合う」ネタか「いろんなネタを飛ばしていく」ようにしています。
こうすれば、会話は弾みますし、何よりも発展するかと思います。
発展しすぎて別の内容にいってしまうときもあります。
考える内容があれば、笑える内容もある。
家族と話し合うってことも飽きませんもんね(この表現がいいのか・・・)。
話すネタが少なくても架空へと発展していってしまいます。
まあ、要に長く話しましょう。
話すネタなんていくらでもあります。
それをどうもって行って深めていって発展していくかを考えれば、きっといい時間になると思います。
家族の絆ももちろん深まります。
会話っていつもやっているけど回数しだいで家族が変わりますもん。
すごいですよね。
「靴の臭いで家族の健康を気遣う学び」
靴の臭いというのは本当に皆さん苦手だと思います。
つい顔をしかめてしまったりして、手で触るのも嫌だと感じるのではないでしょうか。
私も子供の頃は特に父親の靴などが匂っていると母親に告げ口のように文句を言っていたものです。
父親の靴が下駄箱や玄関に放られていると触るのも嫌だと思って、どけたくてもどかせないと嫌悪感を抱いていたこともありました。
しかしこの頃少しそういった気持ちに変化をもたらす事がありました。
ある日、父の靴の臭いが嫌だという話を知人としていた時のことです。
知人はそれを聞いて、「それって不潔だとかそういうんじゃなくて、精神的なものから来ている場合もあるんだよ。お父さん、ストレス沢山抱えてるんじゃない?」
そんな事を言われました。
大きなストレスや精神的な負担を抱えていたりすると普通よりも汗が多くでてしまって、これが足の臭いの原因になっていたりするとのこと。
思い返せば父は綺麗好きなので毎日足は綺麗に洗っているし、不潔にしていることが原因ではなかったように思いました。
毎日仕事へ通勤し、一日靴を履いて歩きまわり、多大なストレスも抱えていたこととと思います。
単に臭いから嫌だと敬遠していたものでしたが、父の抱えているものに気づいてあげれてなかった自分が恥ずかしく思いました。
それから、考えが一気に代わり、靴の臭いこそ、健康のバロメーターであり、気遣うべき時なのかもしれないと思ったのです。
単に臭いから汚い・不潔と思うのではなくて、その背景に隠されている事に気づいてあげたいと思いました。
せめてもと私は父に5本指ソックスをプレゼントしました。
靴はどうしても蒸れやすいので、5本指の靴下はとても良いとのこと。
何もしてあげれないけれど、自分ができることは、父を陰ながらも優しくささえて揚げることだと思いました。
健康あってこその毎日であり、一家を支える父の大きなプレッシャーを少しでも気付いて解ってあげることも家族の愛情だと思いました。
靴というのはその人の人柄が出る気がします。
毎日一生懸命働いてボロボロとなった父の靴を見るたびに、家族への愛情と懸命さ、ひたむきさ、真面目さを感じるのです。
小さなお子さんのいる家庭では、どうしても子供たちは臭いに敏感に素直に反応し、嫌がったりしてしまうかもしれません。
でも、ここは大人が子供に対して教えてあげる場だと思いました。
お父さんの靴、臭い~なんて子供さんたちが言う時があれば、これは、お父さんが毎日頑張っている証なんだよと教えてあげましょう。
そこには小さな学びと、父親の偉大さを伝えられる良い場になるのではないでしょうか。
「会話が楽しい」
僕は友達と話すのが好きです。
しかし、僕は政治だとか落語だとかApple製品などの中学生にしては会わない趣味なので、自分に合う話しは出来ませんが部活の話しだとかネタを拾っては話すので些細な内容でも意外と話し続けれるので毎日友達とかで話しています。
特に話していて嬉しいのは友達が笑ってくれることです。
笑ってくれることは有難い事です。
しかし、ネタを考えるのも大変ですけどね。
靴のことについてお話したらいかがでしょうか?
お子さんに合いそうな靴のことを話すという日課にして盛り上げましょう。
気に入りそうな靴の話をすると喜ぶし、笑顔で楽しく話し、もっと仲良く(?)なるチャンスです。
子供は大人よりも感受性が強いので、大人にとってはたいしたことでなくても、うまく言葉が回らず、大人の理不尽でいつのまにか納得させられてしまうことが子供時代にもよくありました・・・。
なので、たいしたことでなくても子供目線で大人はよく子供の話を聞くことが大切でしょうね。
「風呂場での語り合い」
幼い頃の記憶の中にある、風呂で父親や母親といっぱい遊んで貰ったことは、今でもとってもいい思い出でである。
風呂の中では、裸の付き合いをするだけあって普段よりもコミュニケーションがとれ、親子の絆が深まる。
普段朝早く出勤し、夜遅く帰る生活をしていると、子供たちとゆっくり話す時間がなかなかとれない。
そんな中で風呂の時間は一日のうちではほんのちょっとだけだけど、あるとないとじゃ全然違う、とても貴重なコミュニケーションタイム。
そして風呂ではもちろん体を洗うのだが、互いの体を洗いあうのがまたいい。
子供たちは自身の身体を洗ってもらうことも嬉しそうだが、親の背中を流して感謝されるのも嬉しいらしい。
もちろん、そこには当たり前のように会話が生じる。
子供が保育園に通い始めて、親子が離れている時間が増えた。
体を洗いながら、その日の出来事を聞きながら、子供たちの調子や体に傷やアザなどを含めて、全身のチェック。
以前はよく保育園でお絵描きをした際に、ついでに手足にも作品が出来ていた。
「これはトリケラトプスの角の先だったの」
「私アンパンマン描いた!」
とそこから広がる保育園での話がまた面白い。
最近は、肘や膝小僧に生傷が耐えない。
それは散歩中でふざけたり、運動会の練習中に転んだ場合が多いが、時には誰かと戦いごっこやケンカをして出来た傷もある。
大抵の傷の理由は先生からの連絡帳に書いてあるが、先生も気がついていない傷も案外多い。
ケンカの場合はこちらもやり返して、相手の傷もひどいのかもということを念頭に置きつつ、話をよく聞きながら傷の具合をチェックする。
場合によっては保育園や保護者同士で交流をして、大ごとになるのを防ぐ必要もある。
ところで父親は母親と違って無駄に風呂が長いらしく、ついつい遊び過ぎては妻からの注意を受ける。
「いつまで入ってるの~。いい加減にして早く上がりなさいよ~」
こうして一緒になって叱られていると、親子というよりも兄弟のような仲間意識が生まれる。
湯舟に浸かりながら、子供たちが自分と話すのを楽しみにしてくれるバスタイムは、我が家では何よりのリラックスタイム。
子供たちは保育園で色々あっても、体を洗って湯船につかって温まり、一日の出来事を親に話してすっきりすればパジャマに着替えるころにはすっかり気持ちも落ち着いて、布団に入れば心地よい眠りにつくことができる。
もちろん、自分にとっても風呂は大事な休息の場。
子供の話を聞く傍ら、自分の子供の頃の話や、今日あった面白い話をするようにしている。
おかげで毎日子供たちに話せる何かいいことがないかと、周りをよく観察するクセがついたw
また自分は温泉が好きで、昔はよく両親や友達を誘って日帰り温泉旅行をしていたが、最近は忙しく、なかなか出かけることができないので、かわりに妻が作った季節のハーブや果実の皮などから作ったイエでの薬湯を楽しんでいる。
もとは母親が実家に生えていた、カモミールやミントにヨモギ、そしていただいたり八百屋で買った柚子、蜜柑の皮などを使って手作りしてくれていたもの。
それを今は妻が引き継いでくれている。
お金を出せば市販の入浴剤は簡単に手に入るが、自宅で育てたセージやミントなどを布の袋に入れ、よく揉めば、それだけでも自然の香気に包まれいい気分。
その時々の植物により風呂の中で、時季を感じることが出来る。
こうした様々な体験と会話のカケラが子供たちの心のどこかに残り、将来新しい家族と実家でのお風呂の入り方をネタに、楽しい会話を繰り広げてもらえれば思っている。
「証拠・証」
何故秋は運動の秋なのか?という人もいるかと思います。
実は運動によって代謝を高めるのに、1番最適なのは9月から11月なので、運動の秋といわれているそうです。
運動といってもいろいろありますよね。
そこで大切なのが靴選び。
いろいろな靴かあって、自分に合うものを探すのに時間がかかったりします。
僕の家ではよく話し合って靴などを買っています。
まあ、子供なんてすぐに成長してくるので、靴も替える時期が多くなりますが、
その分、いい靴を買いたいと思っています。
短い期間しか履けないから、一番気にいった靴を買うようにしていますね。
・・・・・で、成長して使わなくなった靴
もうぼろぼろで使えないような靴は、
捨てないでそのまま残しておいています。
まあ、一応そのぐらいのスペースがあるのでいいですが。
さすがにダメになったときは、履けるもののみ近所にあげています(お子さんを持っているお宅に)。
そのちっちゃなぼろぼろの靴を見てると、
「あの時はこんな靴を履いていたのにもうこんなに大きくなって・・・・」
とか
「こんな靴を履いていたんだ・・・」
なんて思ったりします。
子供の成長の証として、靴は捨てません。
やはり妙に秋に履いた靴がぼろぼろになっています^^
「インソールで、足元を快適に」
昔からよくお洒落は足元から、と言われていますね。
子どもの頃、靴のかかとを踏んで履いていたら、親からきつく注意をされたことを覚えています。
洋服をどんなに素敵に着こなしていても、靴の履き方が悪かったり、汚れていたりするとせっかくのお洒落が台無しです。
そして、見た目の汚れ以外に、臭いにも注意が必要です。
これから涼しくなる時期ですが、靴の中は年間を通して蒸れてしまうので、気をつけたいですね。
そこで靴の中を快適に保つために、インソール(中敷き)を上手に使ってみませんか?
インソールにはさまざまな種類、サイズがあって、値段もそう高くありません。
もちろんサイズは自在にピッタリサイズにカットできるます。
1組ではなく何組か用意しておき、交換して使うようにしましょう。
気になる臭いや水虫などのトラブル対策にも、インソールを活用して靴中の環境を整えることが、とても効果的です。
家に帰ったらすぐにインソールを取り出すことで、靴中の湿気がなくなるのが格段に速くなります。
これは人だけでなく、靴にも優しい習慣ですね。
ところで、私もそうでしたがインソールは、いろんなタイプが市販されていて、どれがいいのかしら?と迷われる方も多いと思います。
どんな目的で使いたいのかをしっかり意識して、あとは「素材」に注目して選んでみてください。
インソールの素材は様々で、天然皮革・合成皮革・ナイロン・タオル地・不織布・そして紙製のものまであったりします。
この中でオススメな素材はレザーインソール。
吸湿性と通気性に優れていて、靴の中をさらりと気持ちよく保ってくれます。
さらには衝撃吸収力もあるので、歩行際の衝撃をやわらげ、疲れにくくなるんです。
もちろん他の素材でもOKですが、吸湿性と通気性に優れているかをチェックしてみて下さい。
そして靴の左右を間違える子には、ピッタリのインソールの活用法があります。
それは左に⊂、右に⊃のように描き、左右の靴をキチンと揃えると、靴中に〇の模様が浮かぶようにすること。
もちろん〇だけじゃなく、かわいい絵になるように描くと子どもは大喜びです。
これは靴の底に書いてもいいのですが、インソールを使うと隠れてしまうので、インソールに直接マーク♪するのがいいですね。
この方法を試してから娘は毎日楽しみながら、左右を間違えずに靴を履けるようになりました。
それから、いくつか用意したインソールにはそれぞれ別の絵を描いておくと、インソールを交換するとマークが変わって、まるで新しい靴になったかのような新鮮な気分にもなります。
もうすぐ娘の靴がサイズアップするので、新しい靴を用意していますが、新しい靴のインソールにもハートや動物(うさぎとネコ)のマークを描いてあります。
絵などを描くのが苦手な方は、スタンプやはがれにくい布用のシール、ステッカーなどを利用してもいいと思います。
もちろん大人でも、靴の中のデザインを自分好みにアレンジしてお洒落にしたら、お出かけが楽しくなれることでしょう。
お気に入りの靴の内側が磨り減ってしまった場合も、新しいインソールを入れることで、まるで新品のように生まれ変わります。
ただ靴を選ぶ際に、デザインを重視しすぎると靴擦れを起こしたり将来、痛みや外反母趾など骨に問題が生じる恐れがあります。
子ども靴を選ぶ時には、デザインより履き心地を重視しましょう。
また、子どもは足の成長が早いため、つい雨の日にしか履かない長靴などは大きめサイズをセレクトしてしまいがちですが、少し大きめの場合はインソールで靴と足とのフィット感を高めると履き心地が改善され快適に歩けるようになります。
子どもの靴は大人の靴に比べてかなり寿命が短いものですが、吸湿性、通気性に優れ、足にピッタリフィットしたインソールを活用して、いつでも快適に靴を履き続けられるようにしてあげたいですね。
「自動車さんにごあいさつが日課」
勤務地によって電車通勤になった時もありましたが、通算すると自動車通勤の方が主。そんな父の車に毎朝欠かさずあいさつするのが私の日課でした。
今は近くの月極駐車場に車を置いていますが、子供のころは庭の一角にカーポートが設けられていました。毎日、朝ご飯前に庭に出て、車に「おはよう、今日も一日安全にお願いね」と声をかけるんです。ついでに新聞を取って「はい、おとうさん」。父はこの新聞取りが私の日課だったと思っているようですが、本当は車へのあいさつがメインでした。
きっかけは、目の前で交通事故を見てしまったことからでした。向こうから来た車がセンターラインをオーバーしたかと思ったら、反対から来た車と正面衝突。あ、あぶない!と思った瞬間のできごとでした。幸い人はけがをせずに済んだみたいで救急車は来ませんでしたが、パトカーが来て大騒ぎになりました。
私はしばらく、事故の瞬間の映像が目に焼き付いて消えませんでした。もしあんなことがうちの車にも起こったらと思うと、恐くてたまらなくなりました。そこで、うちの車に、どうか安全を守ってね、お願いねと声をかけはじめたんです。
最初の日は土曜だったので、昼間、車に声がかけられました。翌日も日曜ですから昼間できました。でもその次の月曜日は朝早いうちに声をかけないとチャンスがなくなってしまいます。あわてて庭に出て、車に声をかけました。
こんなことが毎日続くようになると、車さんと大の仲良しになった気がします。だから買い換えの時は寂しかったなぁ。そんな時は特別ていねいにお話しして、今まで安全にお父さんと私たちを守ってくれてありがとう、次に乗る人のことも守ってね、なんて、思い切りテレパシーを飛ばして念じました。
こうしたことが車さんに届いたのか、それとも父の安全運転が徹底しているのか、父は今でも無事故無違反の優良ドライバーです。ゴールド免許制度ができてからは、一度も青免許に戻ったことがありません。もちろん物損事故も起こしたことはありません。こうしてみると、父は安全運転が日課と言えそうです。
「イエの歴史を話してもらおう」
親戚を探すと、その家系の歴史にとても詳しい人がいるかもしれません。もしそういう人がいたら、ぜひ話をしてもらいましょう。うちの親戚には一族の系図の編纂に長年取り組んでいる人がいて、遠い親戚が居たとされる地方の郷土史まで調べ上げて、様々な歴史を掴んでいます。ですから、その人に話をしてもらうと、昔話として伝えられているようなお話しのいくつかが、わが家のご先祖様につながっているなどの、とても興味深い話が聞けます。
あるいは、年長者から聞くちょっと昔の話も、それと同じくらい興味深いと思います。たとえば今の子供のおじいさんおばあさんの世代なら、まだ戦後の様子が色濃く残っていたような時代を子供として過ごしてきた、そんなイエの話が色々聞けると思います。現代とつながっているようで全然違う、でも全く違うようでやはりつながっている、そんな楽しい話が色々飛びだしてくると思います。
あるいは、お父さんお母さんに、結婚する時からの話を聞いてみるのも楽しそうですね。どんななれ初めで結婚したのか。ボクを、ワタシをお腹に宿してからはどんなだったのか。生まれる瞬間はどんなだったのか。お母さんだけでなく、お父さんにも、忘れられない思い出があるはずです。そんな話を色々してもらいましょう。
イエへの愛着を生み出す心の一つに、私は帰属意識があると思っています。自分がこのイエの一員であるという実感ですね。イエの歴史を知ることは、この実感を育むために、きっと大きく役立つと思います。
地域の歴史は学校で習うと思いますし、総合学習の時間などに土地の人達に話してもらったりする機会もあるかもしれません。それと同じように、イエが積み重ねてきた歴史にも光を当ててみたら、きっと得るものは大きいと思いますし、何より楽しく、心に残る時間が過ごせると思います。
「ベタだと言うなかれ…やっぱり日課は一日一善」
小学生のころ、朝礼で校長先生がおっしゃいました。「人は一日を過ごす中で、どれだけ良くない行いをしてしまうでしょうか」と。気が付かないうちに心ない言葉で人を傷つけているかもしれない。知らないうちに虫などの小さな生き物を殺してしまっているかもしれない。どんなに気を付けていても、知らず知らずのうちに。それが人間。だからせめて一日一回くらいその反対。意識をしながら、何か良い行いをしてみましょうと。
あー、そうか、そうやって意識しながら何かをすることで、無意識のうちにやってしまう良くないことも減らしていける練習になるのかなと。当時の私はそんなふうに考えたようです。その解釈が的を射たものであるかどうかは別としても、とにかくそれからは、何か一つ、毎日善行のチャンスを探すことが習慣になりました。
一番楽なのは校内の清掃ですね。当番がいない場所を見つけて時々そこを自主清掃。これはおそらく善行です。
教室の花瓶の水替えも、誰もやっていないことが明らかな日は狙い目でした。特に夏場はこまめに水を換えた方がいいですし、水替えと一緒に花の茎を切り戻すと長持ちします。
これらはおまじないと同じで、人に見られると効果が無くなるような気がしていました。実際にはそんなことはないはずですが、子供ってそういうことにこだわるんですね。ですから誰にも知られないように、密かにやっていました。その方がスリルがあって楽しかったですし(笑)。
学校で何も出来なかった時には、イエに帰ってから密かにトイレを磨いたりしていました。修身的な意味でトイレ掃除を推奨する大人もいますが、私は単純に、鍵を掛けてしまえば密室になるから誰にも見られずに掃除が出来ると、ただそれだけの理由でした。
どうしても何も良い行いが出来なかった日は、寝る前に清水の舞台から飛び降りた気持ちで小銭を袋に包み、明日これをスーパーに置かれている募金箱に入れようと固く決意する私でした。1回10円程度ですが、子供の小遣いから出すんですから、これは大金でしたよ。
とにかくこんなふうに、ちょっと変な思い込みも混ざっていましたが、意識して何か一つ、良いと思われることをするというのが私の日課でした。今もその習慣がちょっと残っていて、会社のトイレが汚れていたりすると、ラッキーとか思って掃除してしまう癖が付いています。それが立派なことだと言うつもりはありませんが、ラッキーと思えてしまう自分は、結構好きだったりします。
ぼくの場合かなり変ですが、立った状態で、
足を開き、開いたときに出来た、
空間をのぞくこと
変だと思いますがこれにより見えなかったものが
見えてきます。
勉強しているときも困ったらすかさず、
その行動を起こし、
見落としは無いか、
よくよく頭をひねったり、
絵を描いているとき、
何もアイディアがでないときも、
やっています。
(自分の家だけです。)
そうすれば何かとひらめきます。
しかしやりすぎは注意です!!!
「一日一つ、何かを覚える」
私はモールス符号でした。無線のトンツーです。Aなら「トツー」。Bなら「ツートトト」。毎日一文字ずつ覚えようと思いました。これは意外に成功でした。一気にアルファベット26文字を覚えようとすると、たとえばFの「トトツート」とLの「トツートト」がごっちゃになってしまったりするのですが、一日一つずつ覚えていけば、そういうことが防げます。
続いて覚えたのは、やはり無線で使う「和文通話表」というものでした。これは「あさひのあ」「いろはのい」のように文字に説明を付けて読み上げながら間違いなく伝えていくためのものです。これも一日一文字ずつ覚えていきました。「あさひのあ」なら本当に朝日をイメージしながら記憶に焼き付けていくのがコツでした。
私は東京生まれ東京育ちですが、東京23区も案外知らない名前があったり、どこにあるのかを知らなかったりしましたので、これも一日一つずつ覚えていきました。一日一つ覚えればいいので余裕があり、何がある場所かなども一緒に調べて記憶していくことが出来ました。私はこの時初めて、国会議事堂も秋葉原も同じ千代田区なんだということを知りました。ちょっとびっくりでした。
県庁所在地を覚えてみようと思い立った時は、北海道から順にやっていってもよかったのですが、それでは面白く無さそうだったので、全都道府県を書き込んだあみだくじを作り、1日1つ選んで、その日に当たった所を覚えるようにしました。子供なので県名すらよく知らない所も結構あり、それを地図で探すのも楽しみになりました。
物事の記憶には、複数の物を関連させて連続的に覚えていった方がいいものもありますが、一日一つと決めて無理なく覚えていった方が深く記憶に刻まれていくものもあります。私は大人になってから、万葉集や百人一首などの和歌も子供のころに覚えたかったなぁと思いました。今になって、一日一首ずつ覚えようとしています。
これを見ているお父さんお母さん。知っていると思うことでも意外に記憶があやふやというものもあるでしょうから、これを機会にお子さんと一緒に、一日一つ、何かを記憶に刻みつけていく日課を始めてみませんか。楽しく知識を増やしながら脳のトレーニングにもなって、親子の会話の種にもなる、楽しいひとときが過ごせると思います。
「朝、軽く体操」
朝おきると眠くなります。
二度寝したい・・・
最近寝起きが悪いです。。。
むくむくと起きながら、まずは外の空気を吸う。
・・・・眠気が覚めない。
そこで、僕は軽く体操をしています。といっても家の中で。
別にラジオ体操って言うわけではありません。
完全自作。一部パクリ。
僕は軽く体を動かすと眠気が吹っ飛びます。自分でも不思議って思います。
その後朝の用意とかをしています。
前までは体操はしていなく、眠いまま朝食を食べて準備をして・・・って、
なんだか朝がいやな日が続いていました。
だけど、ある日、
「ふぁ~~。体でも動かしてみるか。」
なんて軽く動かしたら、眠気が覚めた、と。
ほう、これはすごいじゃないかなんて思って、
この後は毎日やっています。
眠れる時間が少ない日でも、多い日でも毎日欠かさずやっています。
なんか日課みたいになっちゃっているようです。
今後も続ける予定です。
別に無理もしない簡単な体操なので続けられると思いましたね。
それをした後は、すっきりして、てきぱき行動できて、まあいいかと思っています。
脳も良く回転しますし、続ける甲斐はあったと思っています。
どうやってやればいいのかということですが、僕はなかなか上手く言葉で説明できないタイプなので・・・(なおかつ絵も下手)
ただ頭を起こす体操なので、方法はどうでもいいと思ってます。
僕も体操していくうちに、内容が変わってきてます^^
まあ、そういうことです。
「お話し作ろう」
「話す」のテーマが「お話し」に発展してもいいですよね? というわけで、以前、お父さんが創作子守り童話を語ってくれるという素敵な投稿がありましたが、私の父も、なかなかの創作話の名人だったんです。しかもそのやり方がまた独特。子供の出したお題に沿って、話を作ってくれるのです。
「まず場所と時代を決めよう。どこの国かな、いつの時代かな」
「うーんと、国は日本、時代は桃太郎がいたころ」
「よーし、今度は登場人物を決めよう。どんな人のお話にしようか」
「うーんとね、漁師。そうだ、漁師がいい。鬼が全部退治されちゃった後の鬼ヶ島に偶然船が流れ着くんだ」
「お、もう面白いお話しになってきたな。よし、それでいってみよう」
さあ、父のお話劇場が始まります。
大手柄を立てて桃太郎が戻ってくると、もうどこの村でもその話題で持ち切りになりました。主人公の漁師の村でも、そりゃもう大変な話題です。漁師は、すごい英雄もいるものだなあ、でも、退治されてしまった鬼はその後どうしているんだろうかと思いながら船を漕ぎ出しました。すると、突然嵐のような大風と大波に襲われてしまいました。船は木の葉のように揺られながら、やがて小さな島に流れ着きました。
ここまでが私の作った設定です。ここから父のお話はどんどん膨らんでいきました。島に流れ着いた漁師は、畑を作って耕しはじめました。育てれば野菜になりそうな草を色々見つけたからです。
ふー、畑仕事は疲れました、休憩です。漁師は持っていた炒り豆をおやつ代わりにポリポリ食べはじめました。するとどこからか、隠れていた鬼達がぞろぞろ出てきて言いました。
「オラ達を許してくれるなら、その豆、播いたら芽が出る豆に変えてやるぞ」
「んだ、オラ達は鬼だから、炒り豆を生の豆に戻す魔法が使えるだよ」
「みんなで耕して育てるべえ」
こうして岩だらけの島が、豊かな畑の島になりました。船に積んでいた藁に付いていたモミを播いたら、それも立派な稲になりました。一粒が百粒になって、百粒が万粒になって、やがて鬼ヶ島は、宝物があった頃よりも豊かな島になりました。めでたしめでたし。
なーんて、今から思えば、もう口から出任せのオンパレード。でも楽しいでしょ?
子供は少し大きくなってしまうと、こういうフィクションの世界には安住しなくなって、すぐ現実的なツッコミをして白けさせてしまったりしがちです。ところが父のやり方だと、子供自身が物語の種まきをする立場。お話しが始まる前から、その世界を共有しています。ですから、どんなに突っ込みどころ満載の荒唐無稽なお話しになろうとも、子供の心の中では、語り手の表現力以上の生き生きとした物語となって広がっているんですね。
こんな楽しいお話しの時間が、休日の昼間や、夕方のお散歩の最中にも、もちろん寝る前のひとときにも、多種多様に展開されていきました。
今思うと、父は特別お話し作りに長けていたわけではなかったろうと思います。文筆活動に携わっていたなんていう話は聞いたことがありませんし、読み聞かせのポランティアをやっていたとか、そんな経歴もなかったと思います。
でも、どうすればお話作りを親子でより楽しんでいけるようになるか。その工夫には素晴らしいものがありました。皆さんもぜひ、親子で一つのお話しを作り上げていくプロジェクトを楽しんでみてください。専門的な技能なんか、何一つ要らないと思います。親子で共有する世界に思い切り想像の翼を広げてみる。それだけで、どんな名作にも負けない物語世界が、目の前に展開されていくと思います。
「登山靴」
今年の7月に突然「登山」に目覚めました。以来、狂ったように山に登っています。
7月3日に岐阜県の「夜叉が池」に行きました。私は以前からこの池に行きたくて前日の7月2日にアクセス道路の通行止めが解除されたとの情報を得て嬉々としてそこへ向かいました。しかし肝心の池のことはよく調べずに何も考えず駐車場へ行くと、周りの人は登山重装備のハイカーばかり、自分はスニーカー、Gパン、荷物はデジタル一眼レフとエビアンのペットボトル350CCのみという今から考えると全く無謀な格好でした。そうです「夜叉が池」は標高1千メートル以上のところにある池だったのです。それでもまだ自分の無謀さに気が付かず、ちょっと登ればすぐにたどり着くだろうと思い登山口へ、すれ違う人に「こんにちは」と言われ(みんな礼儀正しい人が多いな)などと登山者同士のマナーも知らなかった私は15分で息が上がり水を飲み干してしまいます。途中で何度も「帰ろう」と思いましたが何とか思い直してやっとの思いで辿り着いた頂上には すばらしい光景が待っていてくれました。
みんながお弁当を食べる中、途中の水場で汲んだ水を飲み干して夢中でシャッターを切り、山頂の爽やかな風に当たり下山しました。
下山後「そうだ!これからは山に登ろう!」と突然思い立ちスニーカーで何度も滑ったのを思い出し「まずは靴から」と安物の「登山靴」を購入。それからは週末となれば近くの低山に出かけています。でも近所のいつも何気なく眺めていた山の頂は実際に登ってみると想像を遥かに超えたすばらしい場所であって毎回感動しています。そんな「天国」に安全に連れて行ってくれる私の「登山靴」いつまでも大切にしたいものです。
「靴にお手紙を書いてみよう」
身につける物の中で、靴は、帽子や服に比べて、ちょっと離れた存在かもしれません。
位置的に足元ですし、子供のうちは意識して「今日はこの靴」なんて選ぶことも少ないのではないかと思います。
でも、どこに行くにも靴は一緒。
学校の行き帰りも遊びに行く時も、いつも靴は一緒にいてくれます。
私はそんな靴に、お手紙を書いてみたことがありました。
用意するのは、七夕の短冊みたいな形の縦長の紙。
何でもいいですが、きれいな紙を見つけたら、あ、これは靴にお手紙を書く時に使おうって、大切にとっておくんです。
で、楽しい一日を過ごして帰ってきたら、靴にお手紙。
「今日はとっても楽しかった。靴さん、私をすてきな所に運んでくれてありがとう」
「今日はたくさん歩いたね。疲れたでしょう。ゆっくり休んでね」
遅刻しそうになっちゃったけど靴さんのおかげで滑り込みセーフ、なんていう時も、お礼のお手紙を書きましょう。
靴を汚してしまったりした日は、ゴメンナサイのお手紙を。
「水たまりに足を突っ込んじゃったよぅ、ごめんね」
「変な物踏んじゃった、できるだけきれいにしたけどごめんね」
こんなふうに色々な気持ちを短冊に書き込んで、靴の中にそっと差し込んでから靴箱にしまうのです。
スニーカーを洗ったり、革靴のお手入れなどができるようになったら、乾かし終わったり、お手入れが終わったりした時も、靴にお手紙を書きましょう。
「いっしょうけんめいきれいにしたよ。きもちよくなった?」
「いつまでも大切にするから長持ちしてね」
ちょっと面倒な靴のお手入れも、これで楽しくなります。
靴って、考えてみると、とっても特別な存在です。
帽子や洋服は、もしかすると歳の近い兄弟姉妹で共用することもあるかもしれません。
でも、靴はサイズが同じでも、おそらく違う人の物は履かないんじゃないですか?
仮に履いたとしても、足に馴染まなくて変な感じがすると思います。
つまり、世界中で自分だけが使える、超特別なアイテムなんです。
靴は自分だけの親友と考えていいですね。
だから、いつも靴と心を通わせて、大切に大切に履いていきましょう。
お手紙と一緒に、備長炭を砕いて布袋に入れた物を一緒に靴の中に入れてあげると、湿気や臭いも取ってくれて、靴が二倍喜びます。
こうして靴にお手紙を書いたり炭袋を入れてあげたりする習慣が付くと、脱いだ靴を必ず靴箱にしまうようにもなりますから、玄関が片付いて、お家の人も喜んでくれると思います♪
「靴にまつわる言い伝え」
よく言われるのは、日が暮れてから新しい靴をおろしてはいけないという話。これはきっと、履き慣れない靴で夜道を歩くのは危険という考え方からでしょうね。
天候の良くない日に新しい靴をおろすのも良くないといわれます。昔は砂利道が多かったですから、やはり履き慣れない靴で足元の良くない道を歩くことは避けるべきと考えられたのでしょう。また、雨の日に降ろした靴は、履くたびに雨に降られるという話もあります。
新しい靴をおろす時に靴底にペッと唾を吹きかけるのは、こうした縁起の低下を回復するおまじない。唾を吹きかけるという動作は、おそらく「ちちんぷいぷい」の発展形ではないかと思います。息を吹きかけるおまじないが派手になったのですね、きっと。
靴の裏に縁起のよい字を書いてから履くという習慣を持つ人もいます。その発展形でしょうか。夜や雨の日に靴をおろす時は靴底に炭を塗りつけるという話も聞いたことがあります。
こうした靴にまつわる言い伝えは極めて局地的で、地域というよりイエ単位で言い伝えられていることが多いようです。つまり同じ地域でも、イエが違うと、もう言い伝えも違うということです。
でも、わが親戚一同には、ちょっといい共通の言い伝えもあります。それは、子供が初めて履く靴は遠方から贈られると良い、というものです。贈り主が遠方であればあるほど、その子は健康に育つと言われています。
これはおそらく、初めて履く靴を贈ってくれる人は「這えば立て、立てば歩めの親心」を贈ってくれる第二の親とも言える存在であり、その子が育った時はきっと贈り主の所にお礼に行く、相手が遠ければ遠いほどそれに耐えられる丈夫な子に育つ、といった意味ではないかと思います。
とにかく、遠方であればあるほど喜ばれますから、一族に赤ちゃんが生まれると、誰が靴を贈る役目を請け負うかが話題になります。そしてその役目に決まった人は、遠くて会えない赤ちゃんをわが子のように思いつつ、そろそろ這いはじめたかとか、立っちは出来るようになったかなどと、文字通り遠くから成長を見守り続けることになるのです。
もっとも、実際に履かせる靴は、サイズや適する固さなどに個人差がありますから、現物ではなく商品券などの形で贈ることになりますが、それでも子供を思う心は、いささかも変わるものではありません。少子化と言われる今のような時代にこそ、こういう習慣を大切にしていきたいなぁと思います。
「子ども達とのお散歩」
先日の満月は月がオレンジ色に光っていてなんとも幻想的な夜でした。
「お月様が大~変!オレンジ色になってる~!!」
と子ども達も大興奮。
わが家では保育園の帰り道には、息子と娘、二人の子どもとお喋りしながら歩いて帰るのが日課になっています。
子ども達の一日の出来事をじっくり聞くよう心がけ、時には、一緒に歌を歌ったりしながら帰宅します。
保育園でお散歩にいく時には先生かお友達と手と手を繋ぐように指導されている子ども達。
わが家でも、小さい頃から外を歩く時には娘を真ん中にして三人で手を繋ぐのがお約束です。
帰り道の話題は子ども達の保育園での話から、その日見つけたアリの行列やお月様の様子、雨の日には雨雲の向こうの宇宙の話まで。
同じ時間でも夏は明るく冬は真っ暗になるので、同じ道でも景色ががらりと変わってしまいます。
月が出ている日には、お月様見つけたよ!と報告してくれます。
昼間のうっすら見える月を発見した時には自慢げです。
満月から少しずつ月が欠けてくると、
「あ、今日はお月様レモンだね~」
もう少し欠けて半月になると、
「お月様半分こだね~」
最近は月がイエに帰るまで、一緒に動くのが気になる様子です。
保育園の先生や上級生、お友達たちのおかげで語彙も増え、二人とも言葉がずいぶん上達しました。
少しずつ、成長している姿が日々の散歩でよくわかります^^
春には虫が活発に活動している様子がみられ、あちこちの庭に咲く花も素敵です。
住宅地が多く、花を育てているお宅も多いため、花の名前を教えてもらっては、次の日にはすっかり忘れてしまっているのが面白い。
教えてもらったことは覚えているので、えっと、う~んと、と頑張って思い出そうとしています。
夏はセミやセミの抜け殻、アリの行列に、クモの巣の調査隊になっちゃいます。
セミ取りならぬ、セミ探し(あそこに居る!という報告だけで捕まえません)に夢中になって、帰るまでに1時間以上かかることもありました。
秋にはマツボックリやドングリ拾いに、落ち葉集め、そして虫の鳴き声に耳を澄ませます。
ねこじゃらしをフリフリ、引っ付き虫をくっつけながら帰宅します。洗濯する前によくチェックしてはずさないと大変です。
冬には、電飾を飾っているイエを見つけたり、夜空を眺めて星を見つけたりします。耳が痛い~と真冬には泣きべそをかく息子のために耳あてをつけた姿がかわいらしい。
去年度はサザンカの花びらを見てはハートがいっぱい落ちてるよ^^と教えてくれました。
園からイエまでは大人の足では10分くらいですが、子どもと一緒だと2~30分はかかります。
保育園には長男が11ヶ月の時から通っているのですが、自分の鞄と子ども二人の荷物を抱えての帰宅は、おかげ様でいい運動になります^^
この毎日続ける送迎が無くなったら母としてはちょっぴり楽になるけれど、それはそれで寂しいだろうなぁ…。
季節を感じることが上手な子ども達に、私の方が教えられているなぁと思うことがいっぱいあります。
「楽しい靴飛ばし」
ちょっとお行儀が悪いかもしれませんが、履いている靴を飛ばす遊びがありました。これをご覧の皆さんも、やった記憶がある人、結構いらっしゃるのではないでしょうか。
一口に靴飛ばしと言っても、色んなバージョンがあります。一番シンプルなのは、単純に足を蹴り出すようにして靴を飛ばす遊び方。友だちと一緒の時は、地面に線を引いてそこから先に出てはいけないルールにして、どちらが遠くに飛ばせるかを競いました。一人の時は、的を決めて、それを目がけて蹴り出します。もちろん複数でやっても楽しかったですね。
ダイナミックなのは、ブランコを利用した靴飛ばしでした。立ち乗りで飛ばそうとすると危険なので、ブランコには座って乗るのが私達のルールでした。ブランコを漕ぎ、うまくタイミングを合わせて飛ばすと…。時には予想外に飛んで本人もビックリ。片足ケンケンで靴を取りに行くのが難行苦行に思えるほど、などということもありました。
もちろん、他に遊んでいる人がいる時は危なくて出来ない遊びですから、靴飛ばしをやりたい時は、一緒の場所で遊んでいる子供みんなに声を掛けます。「靴飛ばしやりたいものこの指とまれ」。こうして全員が集まれば靴飛ばし開始です。靴飛ばしは、学年の枠組みを超えた幅広い子供の交流を生み出してくれる遊びでもありました。
呼びかけてもその場にいる全員の足並みが揃わなかった時は、危なくない靴飛ばし。前方ではなく上を目がけて靴を飛ばして、落下した時の裏表で明日の天気を占ったりする遊び方ですね。運動会や遠足の前にもよくやりました。
今の子供はこういう単純な遊びはするのでしょうか。公園によっては、ボールも靴も、一律飛ばす物は禁止、なんていう所もあるかもしれませんね。でも、お父さん達が企画して、子供達の靴飛ばし大会を開いた所もありました。
http://www.news24.jp/articles/2010/02/25/07154228.html
こういう遊びに対しては、行儀が悪いとか、靴を粗末に扱っていると受けとめる向きもあるかもしれません。でも、時には大人も、天真爛漫に遊んでみてもいいと思うのです。もしご家庭のポリシーに反しないようでしたら、物を飛ばすことが禁止されない、なおかつ他者に迷惑にならない場所を探して、親子で靴飛ばし大会も楽しいのではないでしょうか。終わった後で靴に「楽しく遊んでくれてありがとう」とお礼をして、その後大切に履いていくようにすれば、物を粗末に扱う悪習には発展しないと思います。
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