・マザー牧場 - Wikipedia
日本電波塔(東京タワーの運営会社)の他、産業経済新聞社、ラジオ大阪(以上フジサンケイグループ)、関西テレビ放送の創業者で、参議院議員の前田久吉が1962年に開設。
東京タワー建設候補地の一つとして前田が事前に取得していたものの、東京都港区の現在地に決定したため観光施設に転用された
・マザー牧場とは?|マザー牧場
マザー牧場は、産経新聞や東京タワーなどを創業した前田久吉がつくりました。大阪の郊外にあった前田の生家は貧しい農家で、お母さんはいつも口ぐせのように「家にも牛が一頭いたら、暮らしもずっと楽になるけど・・・」といっておりました。
このことが心の奥深く残っていた前田はこれからの日本にとって畜産振興が必要であることも考えあわせ、いまはなきお母さんに捧げる牧場という気持ちをこめて『マザー牧場』と名付けたのです。
質問主のryusu11さんからすると基本情報ですかね。
[追加]
・リクガメから始めました。:マザー牧場 - livedoor Blog(ブログ)
このマザー牧場のソフトクリームについて噂話を聞きました
それは、「うしの牧場」で売ってるソフトクリームとその他の店でソフトクリームの味が違うという噂話です
[追加2]
これはドンピシャでは
・鬼泪山にまつわる伝説を読み解く
《鬼泪山(きなだやま)にはマザー牧場もある。しかし、マザー牧場は有名だが、鬼泪山はあまり知られていない。伝説によれば、ヤマトタケル(日本武尊)が攻めてきて、鬼が泪(なみだ)を流して謝(あやま)ったので、「鬼泪山」という名がついたといわれている。「染川(そめがわ)」という名の川もあるが、その由来は、そのときに鬼が流した血で川が染まったので、「(血)染川」となったとされている。こういう伝説の存在を考えてみると、大和王権に抵抗した王権がこの地にあったのではないかと思われる。その王権が大和王権に支配されるのをよしとせずに戦ったのだと思う。》
≪関連≫ ⇒ 白土三平絵文学 - 鬼泪
[追加3]
おそらく取材などの基礎情報を求められているのだと思うので不要かも知れませんが
マザー牧場はかつてレトロゲームの聖地として有名だったようです。
・レトロゲーム博物館
レトロゲームマニアの桃源郷、マザー牧場
千葉県富津市にある「マザー牧場」には、かつて骨董品的なレトロゲームがかなりたくさんありました(現在では老朽化のためか、ほとんどが撤去されてしまったようです。残念)。
・≪インターネットアーカイブ≫裏マザー牧場
そして次は、目玉!!ゲームセンターです。
マニアなら知ってると思いますけど、ここのゲームコーナーは実にすごい。もう何処にもないようなゲームがそこらじゅうに設置してある。まず、入り口入ってすぐ右にあるコインロッカーのある建物では、アラレちゃんの乗り物がお出迎えしてくれる。
そして敷地内の長い長い上り坂のてっぺんに展望台があるんだけど、ここの最上階が(せっかく展望台なのに)だめなゲーセンになっているのだ。なにしろ、任天堂の「vs.TENNIS」とかがヘーキで稼働してる世界。すごい。あれだったら「グラディウス、アルキメンデス版」と交換してあげてもいい。せっかくの景色を後目に、だめなゲームをやる自分、ああ、なんてハッピー。
ただ一つだけ心残りがある。
昔モノマガジンから「レトロゲーム」についての取材を受けたときに、この桃源郷を紹介してしまいました。その結果、この聖地には渋谷洋一氏が赴き、大々的に紹介されてしまうことに・・・。その後ここに行ったときには、「今はレトロなゲームが大人気ダゼ!!」とかいうあまりにもローファイなPOPがいたるところに貼ってあって、私は悲しみのあまり、声が出せなかったのです・・・。
・マザー牧場いってみたら楽しかった - blog::941
こちらの写真もりだくさんのブログ記事で最近のゲームコーナーの様子が紹介されていますが
レトロゲームはなさそうです。アルパカが行進しているんですね・・o_Oa
・Awesome!!!!! やべえ
新し目のレトロゲーム(?)はあるようです。
[追加4]
・猿島 - Goto’sRoom
「猿島の春日」と「鹿野山の春日」を渡る大蛇とは?
(略)
明治17年まで猿島にあった春日神社(現在は横須賀市三春町に移転)の大祭の前後には、毎夜、上総の鹿野山(千葉県君津市)から大蛇が泳いで来て、同神社の守護神として北側の洞窟に棲んでいたそうです。
…といった伝説が残されています。鹿野山は清澄山・鋸山と並んで房総三山と称され、現在ではマザー牧場があることで知られた山です。山頂は3つの峰から成り立ち、それぞれ東から順に白鳥峰、熊野峰、そして春日峰と呼ばれます。これはもちろん偶然の一致じゃない!?
そこでさっそく鹿野山・春日峰に蛇伝説が残っているかどうかを調べてみることにしました。すると…やっぱりありましたよ!
鹿野山の春日峰には蛇堀があり、白蛇が棲んでいたため里人は近寄らなかった
…のだそうです。また更には、古代日本史上“超”有名なあの悲劇の皇子が房総で大蛇退治をしていたという伝説も…
鹿野山麓の鬼泪山[キナダヤマ]には9頭9尾の大蛇が棲みついていた。大蛇はたびたび村人を襲っては食べてしまうため、困り果てた村の長が朝廷に大蛇退治を請願したところ、日本武尊[ヤマトタケル]が派遣された。
これは[追加2]の「鬼泪山にまつわる伝説」と繋がりますね
・鹿野山 - Wikipedia
歴史
日本武尊が東征の際訪れ、先住民の豪族の阿久留王(あくるおう、「悪路王」ともいわれる)と戦い征伐したという伝説がある。598年、聖徳太子により神野寺が開山され、その後修験道の山として、また上総国と安房国を結ぶ街道の町として栄えた。
(略)
1956年には国土地理院の測地観測所が設置され、地磁気や人工衛星の観測などが行われている。1960年代、マザー牧場とゴルフ場がオープンし観光の山となった。