んー難しい質問ですね。
私も死刑は殺人にならないのか?って疑問に思ったことがあります。
けど人は・・・。生きる権利を持っているから生まれたのであって
あの子は死んでもいいなんてのは人にきめれるこっちゃぁないし
そもそもおなじ位置に立っている人類に上下も格差もないとおもうんです。
だから人は人を殺す権利はなく
人をけなす権利も無く
いったい人間にはなんの権限があって生まれたんでしょうね?
私にもわからないけれど
人を殺しちゃいけないのは人がみーんな人だからだとおもいます。
意味のわからない回答ですみません。
よくわからないけど、
普通に考えて、殺された側の家族や友人たちがどれだけ悲しい思いをするか…
それでも殺人は絶えないからわざわざこんな法律を作ったのかなぁ…
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=138378
ウルナンム法典(約4100年前)は、ハムラビ法典より300年ほど古く、最古の法典とされている。
【殺人】
第1条:もし人がほかの人の頭に武器を打ち下ろしたならば、その人は殺されなければならない。
と、世界最古の法典にも、一番最初にあるんですね。
なぜならば
人を殺してもよいことにすると
他人が自分を殺してもよいことになってしまうからです。
多くの人は自分が殺されてしまうのは嫌ですから、
他人が自分を殺しに来るのを防ぐために、
人を殺してはいけないというルールができました。
別に自分は殺されてもかまいませんよ。
殺されるようなことをしたならば。
はい。
仰るように「殺されるようなことをしたなら、自分は殺されてもかまいません」(殺されても仕方ない)という意見は
多くの人が納得せざるを得ない意見です。
だからこそ、
人を殺してはいけないというルールの例外として、
死刑という、特定の状況で人を殺してもよいルールが存在するわけですね。
傷ついた本人が行えばいい話ではないでしょうか?
逆に聞きたいのですが、人を殺して面倒くさくない?
人殺しなんて、デリメリ考えた時点で、疲れます。
そういう法律がなければめんどくさくありません。
隠す必要がないので。
後、別に自分は人を殺したいなんて言っていませんが。
どうして第三者に殺されなければならないのですか?
案外第三者に殺される確率高いよ。対人事故で車にはねられて死ぬ人多いではないですか。
法律無ければ、今住んでいる所で、殺人して殺人する前の様に、周りの人見てくれますか?私は出来ません。
IF考えたら、それだけで疲れるけどなぁ。
まぁ、被害者の親や、近親者と、加害者の親と近親者でも、縁切りあるし。自動車にひかれて死んだ、電車事故それで亡くなった大体最初は過失割合は、6:4出過失割合は発生しますがね。
そうですね
人が集団で生きて行くために必要だからです。
元々人間として普遍的に備わった感覚というか禁忌だと思うのですが、
ルールになっているのは、ときどき感覚の違う変な人が居て皆が迷惑するからです。
そうなんですか…。
誤解されているようですが、「人を殺してはいけない」と明文化された法律はありません。
まあ、規制しても従わなければ同じだが。
刑法などで規定があって、色々なケースで罰則が決められていて、判例も豊富にある。
つまり、法律では殺人者は一定の刑罰を受けるように決められています。
例えば、一番一般的な殺人は交通事故ですが、業務上過失致死罪は5年以下の懲役・禁錮又は100万円以下の罰金になります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E7%BD%AA_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)
絶対的な禁則としてあるのは一般常識や社会的な倫理観などの分野です。
「人を殺してはいけない」法律がないのは知っていますが、人を殺せば何らかの罪に問われるのでまとめました。
一般常識ってなんですか?
何が常識で、何が常識じゃないんですか?
一般常識は時代とともに変化する、その時代の人々に概ね共通する知識です。
現在では常識の事も過去には違っている事もありました。
例えば戦国時代だと戦で人を殺すのは「手柄」でした。
第二次大戦中にはアメリカ兵(鬼畜米英)を殺すのは褒められる事でした。
戦争以外にも、宗教上の理由での殺人が正当化される事は多々あります。
ヨーロッパの中世の宗教裁判など代表例でしょう。
これらは社会的な必要を満たすための殺人と言えます。
理由が無い場合の殺人は、その社会の損失を意味しますから、禁止されます。
人間社会の都合により時代によって移り変わるのが一般常識です。
とりあえず、現在の日本では一般常識では殺人は禁忌とされています。
アフガニスタンではタリバンがアメリカ人を皆殺しにする事を望んでいます。
では、未来がどうなるかはわからないんですね。
当然、分かりません。
身分制社会では上意討ちなどありましたし、現在の禁忌は人間社会の都合によるものですから。
そうですね
感情で動くことは時に良いことをもたらすかもしれませんが大抵の場合は考えなしに行うためにおかしな事象を引き起こします。感情で動くことで最も忌避すべきことが殺すことです。殺すということは相手が今まで築きあげてきた物を抹消するだけでなく相手のコミュニティから負の感情を集めてしまうでしょう。感情で動くということはこのまま相手の負の感情が最大になった場合に起こる事は、殺した相手を殺す、若しくは親しい間柄にまで手は伸びる。
これを抑えるためには明確な規範を作り殺すという行動まで辿り着かないように不満を抽出し解決する事が重要で、その為に、いつ頃かは定かではありませんが法律が作られ人が人を殺す事を禁じたのでは無いでしょうか。
そうなんですか…。
どうして人を殺してはいけないのですか?
人の命というものの重さが、本当のところ、まだわかっていないからだと思います。さまざまな分野のさまざまな学者たちが、生命について日夜研究をしていますが、まだまだわからないことがたくさんあります。わからないからこそ、神秘に包まれているからこそ、人の命をむげに奪うことがタブーとされているのだと思います。誤解を招く言い方かもしれませんが、わからないからこそ、大切にしなくてはならないものと信じられているのだと思います。
人の命がこれくらい大切だ、と言うことができるでしょうか。このくらい、とラインを引くことができるでしょうか。誰にもできないと思います。
では死刑はどうなんですか?
あれは人の命を奪うことにはならないのですか?
例えばの話、あなたが所有し飼っている羊達が殺し合いを始めたとしたらどうしますか?
私なら損なので殺し合いを止めます。
殺し合いを止めたとしても覆水盆に返らず。
失った財貨は元に戻りません、となれば事前に防ぐのが最良です。
物事を事前に防ぐには、原因を知ることが大切です。
なぜ殺し合いが始まったのか、それをシンプルに考えると
最初の一匹が殺されたから、これがもっとも妥当な答えな気がします。
とりあえず殺し合いを防ぐため、ルールを作り罰する事にしましょう
ところでなぜ最初の一匹が殺されたのでしょうか?
調べた結果、なんと被害者は無辜の民ではなかったのです。
こうして窃盗や恐喝や詐欺も罰せられる事になりました。
(省略)
と言う妄想を寝る前に良くしていました。
太古の昔的に考えて、現実もこれに近いんじゃないでしょうか。
たぶん
人間はだれかに飼われているわけではありません。
人の命を損得考えるのはよくないと思います。
ですが、殺しあいの最初のあたりは「あぁ」って感じですね
小さな村単位で考えてみてください。簡単に殺人が起こってしまうと、その共同体の生産力は簡単に減少してしまいます。
共同体の隆盛はその余剰生産に直結するので、殺人が禁忌というよりも、殺人を禁忌とする共同体のみが生き残ったと見るべきかもしれません。
死刑はもちろん殺人の一種ですが、その考え方からすれば「共同体の生産力を損なわせる人間は私刑にして構わない」と見ることが出来ます。
確かにそうですが、殺しが起きるほど最悪な村などなくなってしまったほうがういいのではないでしょうか?
あの、スミマセン。最後の「しけい」と言う言葉が「死刑」ではなく、「私刑」になっていますよ…
なんだか、伝わってない感じですね。
共同体を一個の生物として捉えた場合、殺人の容認は致命的な欠陥であり、そのような共同体は原始の段階で淘汰されてしまったのではないかと言ってるんですが。多細胞生物でありながら、免疫細胞を持たないぐらいの欠陥ではないかと。
つまり、殺人は善悪の問題ではない。
象の鼻が長いことに善悪を求めたりしませんよね。あれも淘汰の結果でしかないので。
あと、私刑の字はわざとです。生物のもつ自浄作用のような感覚で捉えてもらいたかったので。
人権意識が高まったからでしょうね。
人権意識が低かった時代は、人殺しが正当化されていることもありました。日本でも、武士による「切り捨てご免」などという制度がありましたし。法律ができたのは、人権意識の高まりに押されたからでしょう。
確かにそうですね…。
もともとは「集団の内側の仲間は殺すな、殺すと殺し合いになって集団は潰れる」程度の「規範」だったと思うんです。
国家ができたときに、「集団の外側であっても、国家の内側の仲間は殺すな、殺すと集団同士で殺し合いになって国家は潰れる」となったと思うんです。
国家は複数の集団を統合したものであって、同じ常識と道徳を持つ集団ではないので、とりあえず国家内の誰にでも通じるようルールをはっきり示す仕組みが必要になりました。これが「(文字で書かれた成文)法」であったと思うんです。
刑罰で死刑があることについては是非がありますが、当時としては「死なせたら殺す、そうしないと抑止効果が出ないからもっと死ぬだろう、それはダメだから殺してでも罰する」というわかりやすい報復の理論だったのだと思います。これは今の日本でも基本的に同じですね。
国家間では国家内ほど強い法は働かないし、のですが、法から抽出された倫理レベルでは「殺人禁止のルールは広く人類レベルで認められるので、殺人禁止は人類レベルの倫理である」となっていると思います。
でも、規範や法よりは弱いので、弱いなりにしか守られていません。戦争では国家の利益が、弱い国家間の倫理を上回って、邪魔な陣地にいる敵は殺してでも排除する、ということが普通ですね。
また、国家は支配力と物理力を集中させているだけあってなかなか潰れないし、(国連はともかく)これより上位で戦争を停められる存在もないので、「国家が潰れるから戦争による殺人はやめろ」と言っても、飲む国家は飲むし、飲まない国家は飲まない。といった感じです。
そうですね
当然の事です。人を殺しても良いようになったら、どうなるか考えて見て下さい。
何でも命を懸けて取り合う。殺しあう。最悪じゃないですか。昔はそうだったけど、それを「平和条約」などで(人を殺すバカな)連中の心を洗ったのです。
もしもあなたが、人を殺しても良い世界に生まれたらどうします?ここまで生きているか、このような恵まれた生活をできているかなど、人生をより平和に楽しむ為のものだと思います。
法律があるからこそ、僕たちは守られる。法律があるかあらこそ、生きていけるんです!
ですが、こういう質問があると、法律や命の大切さなどを学べますね(笑)
(付け加えで)死刑は人間を殺したりする人は「罪」<法律にはむかう事>人間として必要のない存在(死刑囚は、人間の平和な生活を奪っている人達だけなので、人間を守るために行動している殺し方なのでしょうがないと思われます。
命をかけて守る。
命をかけて約束する。
そんなくだらないことがありますか?
もし、そんな法律がなかったら命の大切さが今以上にわかるような気がします。
死刑囚は人間として必要と無い存在なんですか?
この世の中に必要のない存在の人間っているんですか?
鍵開けのプロが捕まったのならば、開かなくなった金庫を開けられますが、ほぼいらないと思います。死刑囚なら…
この法律が無かったら、逆に市民は命の大切さ・平和を知らない事になります。
だって、みんなが殺しあっている中で、「命は大切だ。」なんて思わないでしょう?
殺される前に殺す。と言う精神状態になったらどうなると思いますか?
よく考えて見て下さい。
自分はそうは思いません。
確かに法律がなかったら平和を知ることはないと思いますが、
命の大切さは知っていると思います。
今、自分たちは生きていることが当たり前になっていますが、
もし殺し合いがあれば、今日生きていることに感謝するでしょう。
中国の一人っ子政策。もある意味失敗だけど、スケープゴートにされた妊婦2人目を7ヶ月で、むりやり堕胎。これは、一応中国の法律上是になるけど、7ヶ月で堕胎なんて、日本からみたら、法律上殺人だよね。
まぁ、中国も2~30年後には、スッゲー少子化は考えられるけど。一応法律あるじゃん。カテゴリー違うけど。
でも、あの堕胎された夫婦も、スケープゴートなら、国から金貰っているよね。
確かに…。
殺すことは動物の特権だからではないでしょうか。
というのも、生存競争の中では敵を食うために殺します。
人間は共食いをしませんから、殺してはいけないのです。
あなたが人間を召し上がるなら別ですよ。
社会のルールはそれを作ったり編集できる者が得をするようにできているので、人殺しのような社会の大半が本能的に激しく嫌悪する行為は厳しく罰せられるし絶対悪として扱われるのだと思う。社会に対して発言権のないもの・権力者と共感を得られないものを殺しても、現代日本では家畜とかになると思うけれど、罰せられないし、続けていくうちに罪悪感も薄れていくのは想像できる。結局人殺しが絶対悪という考えも、社会のパワーバランスの中で生まれた一つのルールに過ぎないのだと思う。殺すと罰せられる対象の線引も権力者の慈愛と欲のせめぎ合いで決められている気がする。まあ、普段生きていく中ではごちゃごちゃ考えずに「ダメなものはダメ」とするべきでしょうが。。
ダメなものはダメ…なんですけど、どうして?って聞きたくなります。
自分は、殺人を進める気もする気もありません。
ただ、気になっただけです
では、結果論で考えてみます。
例えば以下の集団が居たとします;
A 「いかなる場合も、人を殺してはいけない」という法律/倫理を持つグループ
B 「いかなる場合も、人を殺してもよい」という法律/倫理を持つグループ
C 「同グループの人は殺してはいけない」という法律/倫理を持つグループ
この3グループが喧嘩(戦争)をはじめた場合、
まずAは殺人を一切禁じているので無抵抗のまま全滅するでしょう。
Bはどんどん他のグループの人を殺していきますが、
同じグループの人を殺すことも許されているので、仲間割れが起これば容易に自滅します。
Cも他のグループの人を殺していきますが、同グループの人は殺せないので自滅はしにくいです。
結果的にCのグループが最も生存確率が高いわけです。
ようは、一番生存確率の高い法律や倫理を選んだ集団(国)が生き残るわけで、
多くの現存する国が殺人を罰しているということはそれが集団を生かすために有効な手段だったからです。
話を戻すと、「人を殺してはいけない」という法律を作らなかった集団は昔に滅亡してしまったため、
現在あるのは「人を殺してはいけない」という法律を持った集団ばかりなのです。
みなさん回答されてますが、
理由は一つではない。
1)殺す⇒人が死ぬ⇒関係者が悲しむ
2)人が死ぬ=人がいなくなる=人口減る=発展しない
3)各地で争いが増える((もちろん死傷者もでる。
つーかさぁ、殺したいの??
何でそんな事聞く?www
そういう事を質問者さんに聞くあなたもあなたでしょうね。
↑そうか?
数週間もたてば大体の人の悲しみは薄まります。
自分の祖父が亡くなった時に次の日には悲しみがありませんでした。
切なかったです。
自分は人を殺したいと思ったことはありますが、実際に殺すつもりは全然ありません。聞いた理由は何となくです。
↑そうですか、
そういう意味なら話が変わってきますねぇ。。。
こちらは参考になるでしょうか。不毛な報復の連鎖を断ち切るため(、公に権限を与えられた者以外は、個人的に人を裁いたり処罰したらダメ)ってことなのかな。(^_^;
●仇討ち禁止令(復讐禁止令)
http://tamutamu2011.kuronowish.com/adauti.htm
●ゴータマ・ブッダの教え
実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みのやむことがない。怨みをすててこそやむ。これは永遠の真理である。
http://www.geocities.jp/p3ejp/buddha_body.html
●決闘罪ニ関スル件
決闘の放置は社会秩序の維持に悪影響をもたらすことから本法が制定された。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%BA%E9%97%98%E7%BD%AA%E3%83%8B%E9%96%A2%E3%82%B9%E3%83%AB%E4%BB%B6
別の角度からのアプローチとしては、下記引用部の周辺も参考になるかも知れません。
●「浮気はなぜいけないのか?」について議論しましょう。-女と男の心のヘルス-癒しの心理学-専門家による恋愛相談
周りのみんなも同じルールで行動したとしたら、破綻しないかどうか、それを考えよ
権限を与えられたものって誰ですか?
もっとポジティブに生きていけよ
そうですね…。
がんばってみます
人間的尊重を問いますね。
恨みや怒りはいつでもついてくるのに、それを抑えれる法律がなければ、今の社会はないんだろうな。
虫に対しては、そんな法律がないから、みんなプチプチ殺していっちゃう。
人が人を殺せばその人の親しい人に殺されて、
憎しみの連鎖は誰かが耐えなければ一生続く事になる。
感情がある限りは殺人は耐えないんでしょうね。
中にはただ人を殺したいとかそういう頭が狂ってる人も居ますが、ほぼの人は
ちゃんと理由があって殺人を犯すんです。
どんなに自分が悪者になって笑われて馬鹿にされて、憎しみが溢れてもそこで
誰かに相談すれば憎しみは少しでも無くなる。
何もかも自分次第、人間次第で殺人は止められる。
まあそれが出来ないから法律があるんですよね。
そんなことを思っていたら、こんなところに質問せずに実行をしています。
法律を聞くよりも、殺人方法を聞いています。
こんな質問をしている自分ですから信じてもらえないかもしれません。
しかし、全然人を殺すつもりはありません