このことについて、アメリカの誰か要人が、浦上天主堂の関係者あるいは、ローマカトリック教会の要人に、謝罪したことはありますか。
写真は高瀬毅著「ナガサキ消えたもう一つの原爆ドーム」。昭和30年代になって、アメリカが浦上天主堂の焼け残った跡を、解体させようとした裏話が出ています。
アメリカは日本に謝罪する気は現在でもまったくないようです。オバマ政権が平和記念式典にルース駐日大使を派遣したことで2年ほど前にも揉めましたが、現在でも公式に謝罪したという記録はありません。もしそうならば賠償金が支払われてしかるべきだとおもいます。
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「キリスト者であることの前に、敵対国である大日本帝国の領土に住む大日本帝国国民」であり、
「キリスト者であることの前に、敵対国と戦うアメリカ合衆国軍の軍人や合衆国の政治家」だったのではないでしょうか。
戦争というものの前に、おおくのものは、はかないのです。
戦争とは、敵対した相手を徹底的にたたきつぶし、言うことを聞かせる手段なのです。
大日本帝国をひねり潰すため、政治的判断から原爆投下にゴーサインが出たのです。
戦争や政治とは、それだけ大きな事、大きな力が発生するものなのだと個人的に思いますし、それゆえ、恐ろしいものなのだと思います。
当初、2発目の原爆は現在の北九州市に投下予定でしたが、天候が悪く、次の目標であった長崎市に投下されたのです。
◆長崎市への原子爆弾投下 - Wikipedia :http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%B4%8E%E5%B8%82%E3%81%B8%E3%81%AE%E5%8E%9F%E5%AD%90%E7%88%86%E5%BC%BE%E6%8A%95%E4%B8%8B
◆長崎原爆中心地(原爆落下中心地)【ここは長崎ん町】 :http://isidatami.sakura.ne.jp/heiwa1.html
上記によれば、浦上天主堂をピンポイントに目標としたわけではないことがわかります。厳密な標準合わせは難しかったのでしょう。浦上天主堂を含む浦上地区が結果として中心地となってしまったと個人的に感じます。
軍需工場等が多い場所であり、地理的に原爆投下による効果が高い場所の一つとして長崎市が選ばれ、そのために「長崎市」に原爆が投下されたのです。浦上天主堂を狙った訳ではないのです。
また、長崎市には捕虜収容施設もあり、そこに収容されていた連合軍兵士も被爆したともあります。
それらの点について、この疑問を考えるにあたり、心にとめていただければと思い、コメントさせていただきました。