動物には罪があったとは思えませんし、神様のやることにしてはおおざっぱだと思うんですが。
あと、清水義範さんの小説によると「魚は生きてるんじゃないか、というのは悪い子です」「魚のことを考えてはいけません」「わすれましょう」だそうですが、たしかに魚やイルカやクジラはセーフだったんでしょうか?
1. これってとばっちりだと思いませんか?
おっしゃる通りです。
これがとばっちりである事は、キリスト教徒の方も書いています。
洪水で人間以外の動物たちまで滅ぼされたのは、動物たちの支配者である人間が堕落したとばっちりです。
創世記9章1~19 | 布忠.com
とは言え、「神様のやることにしてはおおざっぱ」と言うには当たりません。
神様は明示的に動物も全滅させたのです。
創世記から引用します。
6:5
創世記(口語訳) - Wikisource
主は人の悪が地にはびこり、すべてその心に思いはかることが、いつも悪い事ばかりであるのを見られた。
6:6
主は地の上に人を造ったのを悔いて、心を痛め、
6:7
「わたしが創造した人を地のおもてからぬぐい去ろう。人も獣も、這うものも、空の鳥までも。わたしは、これらを造ったことを悔いる」と言われた。
ここから推測されるのは、「人間だけじゃなく、獣とか鳥とかを作ったのも間違いだったんじゃね?」という神様の思いです。
これに従って大洪水を起こしたわけですから、「おおざっぱ」どころではなく、実に論理的であると言えましょう。
2. 魚やイルカやクジラはセーフだったんでしょうか?
セーフでした。
再び、創世記から引用します。
7:21
創世記(口語訳) - Wikisource
地の上に動くすべて肉なるものは、鳥も家畜も獣も、地に群がるすべての這うものも、すべての人もみな滅びた。
7:22
すなわち鼻に命の息のあるすべてのもの、陸にいたすべてのものは死んだ。
海生生物が滅びたとはどこにも書いてありませんし、上記した「6:7」にも海生生物を滅ぼそうという言及はありません。
ここから推測されるのは、「1からやり直すのはめんどいなー。天地創造の五日目あたりからやり直すか」という神様の思いです。
PC の調子が悪いけど、いきなり OS の再インストールではなく、システムの復元を使って適当な復元ポイントまでさかのぼってみる、というやつですね。
「ノアの方舟」がなければ、地球はクジラとイルカが支配する海洋惑星になっていた事でしょう。
ところが、ジェノサイドに忙しくてノアの事などすっかり忘れていた神がふと気付いてみると、ノアたちが方舟で頑張っているではありませんか。
(Wikisource の口語旧約聖書では「8:1 神はノアと、箱舟の中にいたすべての生き物と、すべての家畜とを心にとめられた。」となってますが、「ジェームズ王欽定訳聖書」では "And God remembered Noah, and every living thing..." となってますので、忘れていたに違いありません)
「うい奴よのう。ここは一つ、こいつに機会を与えてやろう」というわけで、洪水が収まったのです。
あと、海生生物は自然発生すると考えられていたので数に入れてもらえなかった、という可能性もあります。
かのアリストテレスも「ウナギ・エビ・タコ・イカなどは海底の泥から産まれる」と書いているそうですから。(自然発生説)
最後に余談ですが、「ノアの方舟に動物は何匹ずつ乗っていたか?」は、長年の論争となっています。
7:2
創世記(口語訳) - Wikisource
あなたはすべての清い獣の中から雄と雌とを七つずつ取り、清くない獣の中から雄と雌とを二つずつ取り、
7:3
また空の鳥の中から雄と雌とを七つずつ取って、その種類が全地のおもてに生き残るようにしなさい。
とあるからです。
大きく三つの説がありまして、
決定打となる定説はないようです。
以上、お役に立てることを祈りつつ。
えっとね、聖書の通りだったと仮定した場合、全ての陸上生物は全滅します。
なんとか現象って言ったかな。
遺伝子プールの大きさが一定数以下になった種は近親交配から正常な個体が減少し続け、滅亡することが運命付けられてしまいます。
例えば「トキ」とか「パンダ」など話題になるけど、ああいった極端に個体数の少ない種は遺伝子操作して数を増やすか滅亡するかのどちらかしかない。
一組のカップルだけでは駄目なんですね。
そういう意味では絶滅危惧種はもの凄く危ない。
おそらく数百年後には、現在レッドデータバンクに登録されている種で生存している種は数えるほどしかないと思う。
だから、あの辺りは、しょせんは絵空事の宗教なんですねぇ。
昆虫はどうしたんでしたっけ。
洪水は、温暖化のせいらしいですよね。
メトセラとか何万年でも生きる設定もあるし、ノアの件は逆目でしょう。
宗教が成立した過程を考えれば教理に正確さを求めるのは無駄な努力だと思います。
だから海の上歩いたなんて本当なんですかね?
そしていつも年寄りに描かれてしまうヨセフさん超不憫!
マリアを精霊なんかに盗られてしまったヨセフさん超不憫!
神様は人の婚約者になんてことをするんだ!可哀そうだろう!
ふむふむ。やっぱり聖書といえども、時代というか成立した過程に縛られる面もあると考えた方がよさそうですね。
小生はキリスト教系の幼稚園に通っていたせいか「聖書は神の言葉」「聖書の神は、浮気者で恐妻家?のゼウスや北欧神話で巨人族のペテンにかかったことがあるトールや引きこもってしかもしかもえろい?踊りトラップに引っかかる天照大神 などとは一線を画する全知全能の存在」と思っていたのですが、ちょっとばかり修正しようかとも思いました。
京 さん
イエスさま(幼稚園の時からの習慣で「さま」とつけないとしっくりきません)は神様・神の子ですから、海(ガラリヤ湖だったかな)の上も歩けるでしょう。パンを大人数に分けるわ病は癒すわ、死んだ人も生き返らせるぐらいですから。
そういやヨセフ様は確かに影うすいですね。大学のイコノロジーの授業でなんかやった気がするのですが、それも忘れてしまうぐらい影薄いです(笑)。