私は、同人誌を書きます。一次創作です。男女カップリングしか自分で描いたり、作ったりはできません。
しかし、同性愛を扱う作品も、嫌いではありません。腐女子といわれる人たちがかいた男性同士の恋愛の作品も、嫌悪感なく読めます。
同性愛を扱う作品が苦手な人は、どうやって逃げますか?
テレビなどでも、腐女子向け表現は増えたと思います。
ファミレスで同人誌を広げる人もいます。
どう迷惑に感じますか?
自分もいろいろ読みますし嫌悪感はないですが、
それとは別に、電車など、個人のパーソナルスペースがないはずの場所で、自分のパーソナルスペースを開陳する行為はよくないとおもいます。
混んだ電車でじゃまになるほど新聞を広げる人と、書店のカバーをかけてほんの45度ほど開いた文庫サイズの同人誌だかラノベだかわからないものを読む人では、前者のほうが圧倒的に迷惑に感じます。
また、ファミレスでは、料理を注文して清潔に摂取する以外の目的で長居することは迷惑です。ものを注文して食べる目的できているし、ゴハンをまきちらしたりしないのなら、こちらの会話がろくにできないほどうるさくてもしょうがないとおもいます。グループの中で食べ終えた人が同人誌を読みはじめようが携帯ゲームをしようが(そのグループの中では許容されてるんでしょうし)別に気になりません。それより、完全に食べ終えた食器を前に30分も右翼・左翼・武装などの談義を大声でしているおじさんたちのほうがどうみても迷惑だった経験があります。(あの人たちなんともおもわないのかな、すぐとなりがウェイティングで人がいっぱい待ってるのにね、とあきれて口に出してしまいました)
たぶんそういう話じゃないだろうなとおもって一歩ふみこみます。
同性愛と異性愛とは表現をつきつめれば時に下品なゲテモノにみえてしまうことではまったく平等です。
異性愛ではレディースコミックなども花をまきちらしてアーッなんていうシーン、あとタブロイド判の夕刊にのっているえげつないSM小説などがあります。お座に出せないながら内緒で楽しむものとしての歴史をほこっております。また少女漫画やハーレクイン小説なども、愚にもつかないという扱いですが愛好者は多くいます。「オレ、ハーレクインとかレディコミ読まないんだけど、姉貴によまされたらきもちわるくて」という人もいるんじゃないでしょうか。同じように「おじさんが読んでる新聞のあの小説どうにかならないの?どこがどう悪いとはいえないし、一部の人にとってはリアルで楽しいんだろうけど私は見ていて本当に気持悪い!目に入るのも腹が立つわ」という人も多いとおもいます。
さて、同性愛も同じくらいバリエーションがあり(そして商業ではない分公的な規制がゆるく)、表紙肌色汁まみれから、一見友情ものにしかみえないとか、表紙が無地でタイトルも意味不明なため全く内容がわからないものまで存在します。そして、あなたが一度創作活動をはじめたのならばわかるでしょうが、一見友情ものにしかみえない人畜無害なつもりでつくったものであっても、たとえば病気で入院するシーンなどがあったため「この本は死にネタ・病気ネタなどが嫌いな人にとって地雷だった。勘弁してくれとおもった。」などという感想をもらう可能性は皆無ではないのです。(それに負けていては創作にはならないのですが)
地雷、いわゆるトラウマをひきおこすようなきっかけになる表現は個人ごとに何万種類もあります。マンガだと全く同じストーリーでも絵柄、顔だちだけで好き嫌いがわかれる場合だって多いです。小説もこういうねっとりした文体は苦手だなどという好き嫌いの問題も多いのです。
でもまあ、一般的な基準では、特に繁殖目的で行動しているわけじゃない一般の人に繁殖期のホモサピエンスの表現を目につくようにするのは公序良俗違反。ファミレスでも、電車でも、普通に、ごく常識的にまわりに気遣いをもってふるまえば攻撃されることはないかとおもいます。
ちょっと答え残した部分があるので一問一答で。
Q:同性愛を扱う作品が苦手な人は、どうやって逃げますか?
→A:自分は、よみたくない地雷ものについての自分なりの嗅覚をとぎすましています。まるごと切り捨てると、良い作品がまじっていてもみのがすかもしれないので、作家買い、クチコミ買いという形で効率よく探しています。その中で、自主規制というか、注意書きが書いてあるものは多くなってきて助かっています。(注意書き例:「この作品には同性愛的な表現がふくまれます。18歳以下の方の閲覧を禁じます」、「この作品は過激な表現(切断、腐敗などのグロテスクな表現)を含みます。これらが苦手な方の閲覧を禁止します」などと具体的な表現で扉ページ、紹介ページなどにかいてある)
Q:テレビなどでも、腐女子向け表現は増えたと思います。
→A:必ずしも向けということではないとおもいますし、一般的ととれるものはふじょし向け表現と思わなければいいとおもいます。実際、みんなが騒いでいるジャンルでもわたしはそうは思えないというものがたくさんあり、家族と普通にたのしんでいます。男性アニメオタク向けの萌えアニメが需要にしたがって増え、さらにはオタク自身も登場するメタな作品が増えたのと同じことだとおもいます。実際、需要は、フジョシだけで支えられるものではありません。おおかたの人も見ていて不愉快ではないから需要が生まれ、売れるのです。それを個人個人がどうとらえるかは別の問題です。(フジョシに媚びてるなどという言い方でいやがる人もいますが、実際つくってみればわかることです。自分が想定したフジョシだけに媚びたって、「売れる」作品がつくれるものではありません。断言します)また、悪い方面の推測をどう表現するかもその人個人の問題だとおもいます(TPOをわきまえないヘイトスピーチのほうが刺さりやすいためネットではよく目立ちますが、私はワル目立ち、ページビューを稼ぎたいだけだとおもい無視していますし、たとえばnikoniko動画ではコメント非表示などをつかいます)。
今回は敢えて悪口を募集して自分を鍛えたいのかもしれませんが、人によって地雷は本当に何万種類もあり微妙な問題になっています(フジョシにとっては好きなジャンルの裏返しが地雷ともいえます)ので、ご希望に添えずすみません。また、基本原則として、十分にわきまえてふるまっている人を攻撃する言葉は単なるヘイトスピーチですのでなかなか言えません。参考までに、オタクへの攻撃の言葉、萌え作品への攻撃を性別を逆にすれば同性愛表現を好む女性やその作品への言葉とほとんど同じことだとおもっています。
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余談ですが
東京新聞:春画 アートなのに… 国内巡回展は開催難航:社会(TOKYO Web)
江戸時代のポルノにあたる春画展もなかなかうまく開催できないでいるそうで、やっぱりほどほどに棲み分けが必要だという社会の判断なのかなー。
自分は、現実の同性愛も異性愛もどちらも「愛」より生じたものだと思っており、容認派です。
ですが、自分が高校生の頃から周囲で流行しだした「ヤオイ」はどうも受け付けません。友達や後輩がハマるのは別に構わないのですが、自分は興味がわかないのです。
なお迷惑には感じません。ただ、共感できないだけです。好きな方はどうぞお好きにとしか申し上げようがないのです。
ファンタジーの世界の中で遊ぶ範囲なら、自由だと思っています。
1)リアリティがない。
男性のゲイ向けアダルトビデオを見るほうが、まだリアリティを感じるのです。
ヤオイの同人誌などを見ると、何か空虚な感じがします。まあ、男性向けの異性愛同人本の多くでも同じように空虚に感じてしまう自分には、同人本の多くが向いていないのだと思いますが。
2)空想恋愛を描くことで、現実恋愛から逃げている
これは、一部の評論家(もしくは評論家モドキ)がネットで書いていたりすることですが、ヤオイ系の作品にハマる女性は、現実に恋愛をすることから逃げているという話があります。
確かに、現実の恋愛は厳しいですし、空想妄想恋愛のようには行きません。
金銭や日常生活、相性、個性、趣味、思考、志向、嗜好……現実のカップル(同性愛異性愛問わず)が付き合うようになれば、様々な「生々しい」問題が出てきます。
しかし、ファンタジーの世界の空想妄想恋愛であれば、多少のトラブルは演出としてありますが、大抵の問題は解決されるか、もしくはバッドエンドという「フィクションの手法としての終わり方」になりますよね。
現実の恋愛の終わり方は、中には殺人など犯罪などになり、被害者も加害者という立場になったりします。そういう小説もあるでしょうが、現実のストーカー殺人の裁判記事などを読むと、胸が痛いものがあります。
そうでなくても、離婚をするのは結婚するよりも「しんどい」ものがあります。離婚調停などにならず、慰謝料などもなくても、しんどいものです。
そういう「現実の恋愛のあれこれ」を知ってしまった今の自分には、「ああ、ファンタジーだよね」としか思えないのです。
そして、今の恋愛ものを読んだり、アニメの学園ラブコメを見るよりかは、恋愛もの集大成とも言える「源氏物語」の現代語訳版を40歳前ぐらいから読むようになりました。
学生の頃は嫌でたまらなかったのですが、この歳になると、共感できる部分もあったりして面白いものがあります。
さて、そんな訳で、「恋に恋する」男女の場合、ファンタジーの世界にたゆたっても構わないと思っています。ただ、その嗜好を他の人に押し付けなければいいと思ってます。カップリング論争とか、自分からすれば不毛だなと思いますね。