なお、この質問を先週させていただきましたが、内容に記載ミスがあったため、再掲載させていただきます。
吉川英治は「野彦」(のびこ)という言葉を三国志以外の小説でも使用しています。
宮本武蔵・水の巻(第2巻)吉川英治著(青空文庫)
宝蔵院初代の槍法をうけて、隠れもない達人といわれる二代胤舜(いんしゅん)は、
「よしッ、やれっ」
その時、すさまじい声をもって、さっきから静観の槍先を横たえたまま、撓ため切っていた十数名の門下の坊主たちへ、号令したのである。
ぴゅうーっと、白い光はその途端に、蜂を放ったように八方へ走った。坊主あたまというものには、一種特別な剛毅と野蛮性がある。
くだ槍、片鎌、ささほ、十文字、おのおのがつかい馴れた一槍を横たえて、そのカンカチ頭とともに、血に飢えて躍ったのだ。
――ありゃあっ。
――えおうっ。
野彦(のびこ)を揚げて、もうその槍先の幾つかは血を塗っている。きょうこそまたとない、実地の稽古日のように。
――武蔵は、咄嗟とっさに、
(新手!)
と感じて飛び退しさっていた。
(見事に死のう!)
もう疲れて霞んでいる脳裏でふとそう考え、血糊ちのりでねばる刀の柄つかを両手でぎゅっと持ったまま、汗と血でふさがれた眼膜がんまくをじっと瞠みはっていたが、彼に向って来る槍は一つもなかった。
「……や?」
どう考えてもあり得ない光景が展開されていた。茫然と、彼は、その不可思議な事実を見まわしてしまった。
奈良の宝蔵院で宝蔵院流槍術の高弟阿含(あごん)を倒した宮本武蔵は、追いかけてきた宝蔵院の僧兵と決闘をするシーンです。
ここでの「野彦」と云うのは、文章から察するに、「大地に轟く様な大声」という解釈ができると思います。
山彦(ヤマビコ、英語でエコー)の野原バージョンではないでしょうか。残響がわんわん聞こえるような大声を、広野で出したのだから、ヤマビコではなくノビコと呼んだわけですね。あまり一般的な用語ではなく、ゲームエフェクト的な創作だとおもいます。
早速、教えていただきありがとうございました。同僚の米国人に説明しましたところ納得するとともに、親切な方がいらっしゃることに驚いていました。御礼申しあげます。