"日本は世界の秘境"なのである というような文面、文化的ガラパゴスである内容のような文章を見たような気がするんですが、
問題になるということは、原典があるはずなのですが
それをご存じないでしょうか?
さくっと検索すると、本多勝一「アラビア遊牧民」がひっかかりました。
本多勝一氏といえば、入試の国語の評論文でよく取り上げられますし、内容的にも合致しているので、たぶんこれかな…と思います。
本多勝一氏が「アラビア遊牧民」(朝日文庫)の中で語っていたことを思い出した。
http://so-shiedon.blog.so-net.ne.jp/2008-08-29
——とにかくだまされたら命がないのだから、人間は絶対に信用してはいけない。また、たとえ何か失敗しても、断じてそれを認めてはいかんのだ。100円の皿を割っても、もし過失を認めたら、相手がベドウィンなら弁償金を1000円要求するかもしれない。だから皿を割ったアラブはいう―—「この皿は今日割れる運命にあった。おれの意思とは関係ない。」さて、逆の場合を考えてみよう。皿を割った日本人なら、直ちにいうに違いない―—「まことにすみません」。ていねいな人は、さらに「私の責任です」などと追加するだろう。それが美徳なのだ。しかし、この美徳は、世界に通用する美徳ではない。まずアラビア人は正反対。インド人もアラビアに近いだろう。フランスだと「イタリアの皿ならもっと丈夫だ」というようなことをいうだろう。……日本とアラビアとを正反対の両極とすると、ヨーロッパ諸国は真ん中よりずっとアラビアよりである。隣りの中国でさえ、皿を割ってすぐにあやまる例なんぞ絶無に近い。……大ざっぱにいって次のような原則のあることがわかる―—「異民族の侵略を受けた経験が多い国ほど、自分の過失を認めない。日本人やエスキモーやモニ族(ニューギニアの高地人:注引用者)は、異民族との接触による悲惨な体験の少ない、ある意味ではお人好しの、珍しい民族である。」基本的な「ものの見方について」考えると、ベドウィンの特徴、ひいてはアラブの特徴は、日本の特殊性よりもずっと普遍的なのだ。私たちの民族的性格は、アラビアやヨーロッパや中国よりも、ニューギニアにより近いとさえ思われる。探検歴の豊富な日本人の一人・中尾佐助享受(栽培植物学)に、帰国してからこの話をすると、教授は言った―—「日本こそ、世界の最後の秘境かもしれないね」……
「異民族の侵略を受けた経験が多い国ほど、自分の過失を認めない。日本人やエスキモーやモニ族(ニューギニア高地人)は、異民族との接触による悲惨な体験の少ない、ある意味ではお人好しの、珍しい民族である」
http://paraunawa.wordpress.com/2011/06/30/%E6%9C%AC%E5%A4%9A%E5%8B%9D%E4%B8%80%E8%91%97%E3%80%8C%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%93%E3%82%A2%E9%81%8A%E7%89%A7%E6%B0%91%E3%80%8D%EF%BC%88%E6%9C%9D%E6%97%A5%E6%96%B0%E8%81%9E%E7%A4%BE%E3%80%81%EF%BC%93/
著者は「日本こそ秘境」なのだ、とも書く。つまりは今も昔も「ガラパゴス」。私の東南アジア、インド、アフリカ体験からも、納得するところがある。
アラビア遊牧民族=文化の違いについてもっともあれこれ考えさせられた、ぼくにとってこの三部作の中でも最も深い感銘を得た一冊。本書の結論部における、実は世界の中では日本という国こそがとてつもなく特殊な存在であり、ことによると最後の秘境とは日本その国ではないかという本田氏の指摘は目からウロコであり、たいへん興奮した。
http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:WsMu0560jBgJ:blog.livedoor.jp/shin0423/archives/1189740.html+&cd=14&hl=ja&ct=clnk&gl=jp
ご参考まで。