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江戸幕府は、公家にも領地を与えたという形を感じます(下記の「花押を署名した判物」)。すると、「所領の安堵とは、徳川家からの御恩を意味」している、よって反対給付として徳川家への奉公が必要である、つまり、公家も将軍家に奉公する立場、つまり、徳川の家来である。

とても違和感あるのですが、どこかおかしいでしょうか。

 下記は http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B1%E5%8D%B0%E7%8A%B6 の抜粋です。
家康以来、10万石もしくは四位以上の大名・摂関家及び清華家・大臣家・従一位の公家に対する知行安堵は花押を署記した判物、10万石以下の武士の知行安堵や寺社領の寄進・安堵は朱印状、将軍の私的な書状や軽微な事項では黒印状によって発給された。ただし、初期の頃は例外的な発給も多くあった。後に旗本には朱印状の交付はされなくなり、小規模寺社に対する寄進などには黒印状が用いられるなどの変遷もあり、一定の格式が定まるのは徳川家綱の時代とされている。

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登録日時
2013-07-22 22:01:01
終了日時
2013-07-26 21:24:17
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