フィリピンにて、到着したまるゆに対し日本の軍艦が「汝は何者なるや?潜水可能なるや?」と電文を打った話があります。これに対しまるゆは「帝国陸軍の潜水艇也。(潜水の可否については)返答の要を認めず」と返しています。
それでこのまるゆに対し電文を打った日本の軍艦が球磨型軽巡の木曾か大井なのか曖昧なのです。以前まではWikipedia等では木曾説を有力としていましたが、数週間前からWikipediaの「木曾」と書かれていたところが「日本海軍の軍艦」と変わっていました。海軍の記録ではこのころ木曾は横須賀にて修理中であり、大井はフィリピンにいたそうです。それならば何故これまで木曾説ばかり出ていたのでしょうか。また、実際にはどちらの説が有力なのでしょうか。
回答お願いします。
三式潜航輸送艇「まるゆ」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%BC%8F%E6%BD%9C%E8%88%AA%E8%BC%B8%E9%80%81%E8%89%87