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【大臣達の定員】幕末頃の朝廷の議政官の職位ごとの定員について伺います。太政大臣から参議までですが、それぞれ定員があったと思うのですが、江戸時代以降ですと、武家諸法度により、武家の任官は公家とは別の定員枠であったと思います。

すると、①太政大臣も公家と武家から一人ずつ、②左大臣・右大臣も公家と武家からひとりずつ、ということも理論的には可能だったのでしょうか。
③内大臣も。
④大納言と⑤権大納言、⑥中納言と⑦権中納言、⑧参議と⑨権参議も、やはり、公家と武家でて定員がそれぞれ別に決まっていたおかげで、総定員が大幅に増えていたということで正しいでしょうか。
(なお、准大臣というのはなかったと思っています)

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登録日時
2014-05-03 15:11:41
終了日時
2014-05-10 15:15:03
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中納言6太政大臣10左大臣13武家諸法度6武家12右大臣12内大臣7江戸時代235朝廷42幕末63大納言12公家29

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