①将軍が兼務していたというよりも、将軍に遠慮して、所司代という名称にしたような印象を受けましたが、いかがでしょうか。
それとも、
②徳川将軍の肩書きになかったというのは、将軍が京都所司ではなかった証拠にはならない。なぜなら、京都所司というのは幕府という徳川幕府の中の私的な役職なので、正式な役職には加えていなかったというだけでしょうか。
どっちだと思われますでしょうか?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1165359741
江戸時代の「京都所司代」は直接的には信長が村井貞勝を「天下所司代」に任命したことに由来していると思います。
その時点で既に侍所はなくなっているはずで、所司「代」だけ居るのもおかしい話なのですが、名前はなぜか「所司代」です。
村井貞勝やその後の秀吉政権での浅野長政らの活動内容から考えて、「京都(天下)所司代」の中心的な任務は朝廷との折衝であり、そのため公家衆に通りのいい「所司代」という名前を使ったのではないでしょうか。
実務官僚(の代表)として任務に適し、かつ相手(公家衆)がわかりやすい名称を選んだのだと思います。
で、江戸幕府もそれを継承した。
…史料の裏付けは全くないですけどね。