匿名質問者匿名質問者回答ポイント なしウォッチ 1

木下延由は、交代寄合だということですが、正式には、1664年からだと判断してよいでしょうか。Wikipediaで、「寛永19年(1642年)5月9日、父の遺領のうち速見郡立石5,000石を分知された(実際に許可されたのは寛文4年(1664年))」と書いていましたので。・・・ということは、幕府からの立場では、1642年から1664年までは、日出藩(木下藩)の中の、家臣という扱いなのでしょうか。そして、1664年からは、将軍の直臣として旗本になったということでしょうか。


1664年以前は、将軍家から朱印状を直接頂くのは日出藩主のみ(3万石としての朱印状)であったが、1664年からは、朱印状は、日出藩主が2万5千石で頂き、それとは別に、木下延由自身が別途、5千石として朱印状を頂く立場となったと、私は勝手に想像しております。

ログインして回答する
回答がありません

この質問へのコメント

この質問への反応(ブックマークコメント)

質問の情報

登録日時
2014-08-03 23:46:21
終了日時
2014-08-10 23:50:03
回答条件
1人5回まで

この質問のカテゴリ

この質問に含まれるキーワード

Wikipedia596朱印21幕府53旗本16藩主14

人気の質問

メニュー

PC版