こんなのがありました。
http://www.geocities.jp/kiebine2002/hamada.htm
濱田耕作というのは、明治時代の考古学者だそうです。
なので、文章が古くて読みづらいですが、質問に関係しそうなところを抜き出しました。
六、発掘の遺物
前年石室を清掃した際に、その内部から素焼の土器多数、及び稍々後世の祝部風土器、其他、永楽通宝・元豊通宝・寛永通宝等の古銭を発見し、是等の或者は石舞台古墳築造当時副葬せられたものであり、或者は後世石室開口後、或いは内部に神仏を祭祀し、或いは民人の出入居住するものがあって残されたものと推測せられたが、今次の発掘に際しても、濠内其他の部分から土器はじめ各種の遣物が若干出土した。而して、是等の多数は古墳築造以前、若しくは、当時使用されたものが、封土中に混入したものであり、中には或いは古墳築造に従事した人の使用したものがあるかも知れぬ。
# 赤い色は、ぼくがつけました。
この古墳は、墓荒らし(盗人)にあって、入口が開いた状態になってて、江戸時代に、そこに人が住んでたんじゃないか、って。
文章で赤く色を付けなかったところに「内部に神仏を祭祀し」というようなことも書いてあります。
何か神様なんかが祭られてて、寛永通宝などは、お賽銭(さいせん)のつもりだったのかもしれません。