日清戦争の引き金となった、甲午農民戦争(こうごのうみんせんそう)と東学党の乱について質問です。何十年か前の山川の日本史教科書や用語集には、甲午農民戦争という用語、記載は全くなくて、東学党の乱と記述されていました。 ところが、最近の教科書(中学受験 シグマベスト社会)には、東学党の乱という記述はなくて、甲午農民戦争と記載があります。甲午農民戦争と東学党の乱が同じ事柄を指していること、そのおおよその内容は知っております。 どうして、記述用語が変わったのか、いつごろから変更になったのか、背景などをご存じの方教えて下さい。
どうして、については名称が事象を適切に表していないからという事のようです(東学党信者は反乱のきっかけこそ作ったものの、反乱の主体はそれとは無関係な農民である)。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/2844420.html
いつごろ、については昭和から平成へと変わった頃に、教科書の記述が変わったとのコメントがあります。
http://ameblo.jp/gold-eagle/entry-11499051013.html
こちらにはその背景について
http://www.koubunken.co.jp/0525/0516.html
この歴史的事実は、実は韓国でも、長い間、沈黙の底に封じられてきました。日本による植民地時代はいうまでもなく、解放後も長く独裁・軍事政権が続き、「民衆の運動」を掘り起こすことはタブーとされてきたからです。
1980年代後半に入り、民主化運動が進展するなかで、ようやくこの東学農民戦争に光が当てられるようになりました。
とあります。したがって、いずれの理由にせよ、80年代後半から90年代前半頃にそうしたシフトが起こったとみて間違いなさそうですね。