「庶幾(ちか)からん」は、どういうニュアンスでしょう。
ネットで調べてみたのですが(漢語のようですが)、意味がつかめませんでした。
該当する単語が使われているのは、漱石の『余が一家の読書法』(『世界的青年』第一巻第一号、明治39年9月1日)です。
「及(すなわ)ち余の所詮暗示を得んとする読書法に依る時は、如上の平凡に堕することを免れ且つこれを活用することを得て、乱読家たるの謗(そしり)を受けざるに庶幾(ちか)からん」です。
・意味としては、かなの読み方のように、「近からん」つまり、「近いだろう」。
全体としては、「乱読する人といわれても近いだろう、乱読する人といわれても
あたっているだろう」
・「庶幾」は漢和辞典でひくと、(1)希望する、(2)近い。で、「庶」自身が「希望する」
と「近い」の意味があるようです。それがなぜかまではわかりません。(2)の意味は
孟子に出てくるようです。
・漱石がなぜ使ったかはわかりませんが、あの時代、孟子の訓読あたりはインテリの
素養だったのでしょう。
http://www.ic.daito.ac.jp/~oukodou/kuzukago/kundoku,2.html#48
とても、分かりやすい文で解説して頂き、ありがとうございます!
当時の出版物や原稿などに使ってある漢字やヨーロッパ諸国語など、常識的な教養の範疇からはみ出している語彙が頻出している。
当時の作者の現在出版されている書籍は、読者に合わせてかなり変更が加えられていると思った方が実情に近い。
ここの解説が丁度それっぽくて、これを参考に中段部分に肉付けすると、
> 及(すなわ)ち余の所詮暗示を得んとする読書法に依る時は
すなわち余のいわゆる暗示を得んとする読書法に倣うとして、
> 如上の平凡に堕することを免れ且つこれを活用することを得て
前述の如く、(暗示のみを捜し求めるような)形式的な読書法を避け、
なおかつ得られた暗示を活用していることをも余人に示せるならば、
> 乱読家たるの謗(そしり)を受けざるに庶幾(ちか)からん
恐らくは乱読家との謗りを受けずに済むであろう。
だいたいこんな感じでしょうか。
「暗示」は「インスピレーション」とでも置き換えて考えると、
意味の通りが良さそうです。
コメント、ありがとうございます。
ご紹介いただいたウエッブサイトは、、、なんと、私のウェッブサイトですぞ。
「暗示」という言葉には、漱石は、丁寧にルビをふっていまして。。。
さて、それは、なんでしょう。インスピレーション、うーん、どうだろ、近いのかなぁ。。
けっこうお高い本のようなので、
そういうのホイホイ買える人がけっこういるのね~と思ってしまいましたよ(笑)。
ちなみに、秦に滅ぼされる前の晩年の斉というのは、
稷下に全国の知識人が集まってきており、孟子もそうした食客の1人であったようです。
稷下で頭角を現し、周囲の知識人からも一目置かれる存在であった荀子ならばともかく、
斉王にとって孟子は単なる遊説士の1人に過ぎなかったであろうという事です。
だから、積極的に儒教の教えを王に説く機会は得られたものの、
王の関心を儒教に向けることができないと悟った孟子は、
確か稷下を離れて別の国へと放浪を続ける決断を下したような気がします(うろ覚え)。
そうした浅薄な関係で「心から願っていた」と訳すと、
「王にへつらっていた」という意味になりはしないかと…
漱石のこの文章は「漱石全集」に収納されています。
ちなみに、当方、図書館で借りて読みました。
孔子が各国を放浪したことは承知していますが、孟子もそう。。。ですか。
孟子が「王にへつらっていた」というのは、間違っているんじゃないかなぁ。
先の「暗示」について。
漱石は、「暗示」にサゼツション(suggestion)というルビを、ふっています。
そう、孔子と同様、孟子もやはり孤高の士というイメージなので、
「心から願っていた」という訳は成り立たないのでは?という事です。
「もし~を行うならば、~となるであろう」という徳治政治の勧め…
(勧めるからには徳治政治が行われていない証拠でもある)でしょうから、
こちらも文意としては推量形で、「恐らく~であろう」の意味であろうかと。
漱石は確かイギリス留学していたんでしたっけか。
suggestionの訳の1つが暗示ですね…
心理学用語として用いた場合のようですけれども。
(日本語の意味を深く考えずに直訳しただけかぁ)