匿名質問者匿名質問者回答ポイント なしウォッチ 2

絶句(五言絶句や七言絶句)、律詩(五言律詩や七言律詩)は、日本ではいつごろからいつごろまで作られていたでしょうか。

室町時代の僧侶や江戸時代の儒学者は結構作る人がいたように思うのですが、どうでしょうか。明治時代も文人の一部では作られていたように思いますが、実際、いかがでしょう。
また、李氏朝鮮ではいつごろまで作られていたでしょうか。日本に併合された後も、しばらくは作る人はいたでしょうか。


PS ; 漱石詩注という岩波の本もあり、当時も盛んだったと思います。
      富岡鉄斎などの絵にも、画賛が書かれたりしており、
      盛んだったのかなと思いました。
      しかし、宮中行事で、和歌は盛んでも、漢詩はそれほどでもない、
      そこが戦後は致命的だと思いました。

ログインして回答する

みんなの回答

この質問へのコメント

コメントはありません

この質問への反応(ブックマークコメント)

質問の情報

登録日時
2015-06-06 20:32:03
終了日時
2015-06-13 20:35:03
回答条件
1人5回まで

この質問のカテゴリ

この質問に含まれるキーワード

李氏朝鮮16漱石15漢詩12室町時代18文人9江戸時代235和歌18岩波11明治時代61

人気の質問

メニュー

PC版