室町時代の僧侶や江戸時代の儒学者は結構作る人がいたように思うのですが、どうでしょうか。明治時代も文人の一部では作られていたように思いますが、実際、いかがでしょう。
また、李氏朝鮮ではいつごろまで作られていたでしょうか。日本に併合された後も、しばらくは作る人はいたでしょうか。
PS ; 漱石詩注という岩波の本もあり、当時も盛んだったと思います。
富岡鉄斎などの絵にも、画賛が書かれたりしており、
盛んだったのかなと思いました。
しかし、宮中行事で、和歌は盛んでも、漢詩はそれほどでもない、
そこが戦後は致命的だと思いました。
漢文が盛んな時はいつでもでしょう。
明治でも結構作られてたかと。