もちろん、猟師の人は、全国的に、動物の肉を食べていたでしょうし、江戸の町人は、薬喰いと称して食べていたと思いますが、一般的ではなかったと思うのですが・・・・・・・
そういう中で、熊本は馬を、一般的なレベルで食べていたんでしょうか。お侍が結構、馬肉を食べていたんですか? 城下町の町人が食べていたんですか? 農家の人もなんでしょうか。
以上、よろしくお願いします。
先ず、かなり誤解されているようですが、肉食はどの地方でもそれほど一般的ではありません。
肉を生産するにはより多くの作物や人手が必要で、効率が悪い。
もっと言えば、大多数の「百姓」は「米」が主食です。
当時の一般的な食事は一汁一菜。
米は粥にして、味噌汁と言っても出汁が入ればご馳走の部類。
菜は普通は漬け物です。
皿に盛って一家で奪い合うようにして食べた。
当時の食糧事情は必要最低限の量を分け合えれば上等で、食糧事情は常に存在した。
飢饉で飢え死にするのも口減らしも珍しいことではありませんでした。
では、時々発生する肉類はどうだったか?
もちろん余すところ無く消費されました。
謂わば晴れの日のご馳走だったのです。
熊本には阿蘇の草千里があって、広大な牧場では当時の軍用である「馬」が大量生産されていました。
草千里は水田にはしにくかったので、牧場として利用されたようです。
販売される分は別格ですが、生産過剰や事故死などで馬肉が発生することが時々あったと見るべきです。
もちろん、当時の限界社会では全て無駄なく消費されます。
上等な肉は役付きの侍が取って、くず肉や脂身は下働きの百姓などに下げ渡してもらえたかもしれません。
調理加工も百姓がやったと考える方が自然です。
保存のためのノウハウも必要になる。
結果として調理加工のノウハウが少しずつ蓄積されただけでしょう。
なお、牛などの家畜は普通に使役されていましたし、取引市場が存在しました。
もちろん事故などで動けなくなった家畜は屠殺して消費することもありました。
家畜は使役するのが第一の目的だったのです。