その後、どのような変化を示したのでしょうか(犬養内閣で金本位制から離脱するまでの間)。
対・金で何オンスか、というふうに質問するのが、建前としては正しいと思いますけれどよろしくお願いします(対・金や対・ポンドが本筋かもしれないですが、よろしくお願いします)。
うろ覚えですが、1897年の金本位制では、
1円あたり金0.75g
1米ドルあたり金1.5g
の含有量だったと思います。
なので1ドル=2円。
その前の新貨条例のときは円の金の含有量は1.5gで、1897年のときに半分にしたと覚えた。
当時は輸入品が高かったので、円の価値を高くしようとしたらしいんだけど、結果は各国に食い物にされて終わりだったらしい。
日清戦争終結時を考えると、ドルは世界通貨ではなかったと思いますが、日本の主要な貿易相手国のひとつであり、第二次大戦後は完全に世界通貨ですから、時系列で比べてみてどうなんだろう、ということで、ドルを意識しました。
金本位制スタートのころから、一時的な金本位制からの離脱(一時的というつもりでの離脱)、そして、金解禁という束の間の金本位制復帰、そして、再び離脱して、主戦までの、流れです。
「当時は輸入品が高かったので・・・」ですが、そうだったのですね。経済力以上に円を高めに設定(金との関係を設定した)したということなのですね。貴重な情報をありがとうございました。
「結果は、各国に食い物にされて終わり」とは、対金で、円の切り下げになったということですね(いつごろ?)。その後もずんずんと切り下げさせられたのなら悲しいと思いました。
特に武器は高価だった。
必需品だったけどね。
日清戦争当時の清軍の「高遠」はイギリス製だったし、日本の戦艦もイギリス製が多かった。
当時買い付けて決戦に間に合わずに沈んだ「畝傍」もイギリス製だったが、大砲の搭載量を欲張ってトップヘビーだったので転覆したというのが定説になっている。
必需品である軍用の機械製品を輸入して、代わりに輸出していたのは女工哀歌とかで作った繊維製品とかになる。
竹槍思想になるわけだな。