東京女子大学で、女学生のリボン ―― 服飾に見る近代女性モラルの変容 ――」という論文があります(書いたのは学外の方らしい)。
P292 (PDF 3ページ目) の下部から引用です。
リボンがファッションとして流行した最大の理由は、女性の髪形の変化にある。
https://opac.library.twcu.ac.jp/opac/repository/1/5311/YukikoKAGAWA20100315.pdf
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結うのに時間がかかり、油で固めて何日もほどかない従来の髷と違い、束髪は簡易で衛生的であった。
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髪型の変化は、女性たちにリボンという新たな装飾品を与えることとなった。前出の「束髪図解」にも既にリボンは「細長き小切れなり」と紹介され、結び方が示されている。
こちらは、国会図書館 近代デジタルライブラリーにある明治45年出版の「少女家庭物語」にある「赤いリボン」という短編からの引用です。
けれども、学校でお友達が皆、きれいなリボンを掛けたり、新しい袴をはいたりしているのを見ると、自分の哀れな姿が悲しくなることもありました。せめてお正月には、赤いリボンをかけて見たいと、前から僅かばかりのお金をためておきました。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1168389/11
「留める」ではなく「かける」なので、少なくともピンで留めているような感じではないです。
はっきりと「髪に」とは書いてないですが、「袴」とあるので髪につけるのだと思います。
同じく近代デジタルライブラリーの「東京小間物化粧品名鑑(明治44年)」というカタログ本。
こちら、「りぼん之部」。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/901311/64
布としての商品ばかりで、現在あるような結ばれた形のものをピンで留めるようなものがありません。
こちらは、「髪止之部」。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/912728/131
ヘアピンは普通に売られています。
バレッタはないと思いますが、ローマ留めは売られていたのが分かります。
# 「ローマ留め」という言い方は初めて聞きました (^^;
因みに、「東京小間物化粧品名鑑」でリボンの値段を見ると、1巻なんぼの廉価版を除けば、1本で1円~5円くらいという値段のようです。
明治40年ころだと、企業物価指数基準で1000倍ちょっと。
ということは、一本で1000円~5000円くらい。
(参考)昭和40年の1万円を、今のお金に換算するとどの位になりますか? :日本銀行 Bank of Japan
おしゃれにお金を使うのが一般的ではなかったような時代と思われるので、それなりに気張って買ったものなのかなと。
# 前で引用した「赤いリボン」の情景も分かります
そういえば、畠中恵の「アイスクリン強し」は、舞台が明治初期でメインキャストのひとりに成金のお嬢さんが出てくるのですが、つけているリボンが洋菓子の包装に使われていたものでした。
まあ、成金でも高くて気軽に買えない、とか、そういう描写ではないんですけれど。
でも、おしゃれとしてのリボンが、買うのが当たり前のもの、ということではなく、リボンとしてではない布や端切れを使うことも行われていたんだなあ、と思います。
# 昔の時代を舞台にした本が多い方なので、その辺りの調べはきちんとしてるのだと思ってます
私も「普通に結んでいた」に1票ですが、
そもそも髷の技術もけっこうすごいんですよ。
髷の図解をみていてもこの髷はどこからどういう向きで毛束を導いたのかわからないとおもって明治生まれの人や美容家に尋ねたら当時から普通にツケ毛する髪型だった、とか。
そこで、元結いという下結びの白いコヨリヒモと飾り用布ヒモであるちんころ・鹿の子の使い分けも当然していたのです。
この鹿の子・ちんころは「結ぶ」のではなく「かける」という言い方をしていたので、リボンも、実際は結んでいたのですが、蝶結びにすることを含めて「かける」との表現をとっていたのでしょう。
(というか、今の「結ぶ」が「束ねて」「結び目をつくる」の二動作を含んでいるのに対して、むかしは「結び目をつくる」ことだけが「結ぶ」だったので、「かけて」「結んで」いたわけですな)
着物の帯を飾る布ヒモの帯締め(硬い)帯揚げ(やわらかい)とともに、女性のドレスアップの重要要素だったんで、リボンは受け入れられやすかっただろうとおもいます。