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夫婦別姓制度ですが、昔は、妻と夫が同じ姓(苗字)を名乗ることはなかったと思いますが、明治の日本は、どうして、同姓になることを採用したのでしょうか。経緯を知りたいです。


苗字が違うのは、①西欧化に反する(清や李氏朝鮮のやり方に似ており、アジアの旧弊であるとか。)、②戸籍を制定して、国民と把握するに不便とか、いろいろ理由は考えられます。また、③当時すでに、妻が夫の苗字を名乗る風習があったのかもしれないですけれど。


橘三千代を、藤原美千代だとか、北条政子を、源政子であるとか、阿野廉子が、姓なし廉子だとか、日野富子が足利富子だとか、皇女和宮が徳川和子だとか、聞いたことないです。しかし、江戸時代は、一般武士階級では、妻が夫の姓を便宜上、名乗っていたのでしょうか。江戸時代直前の細川ガラシャでは、夫の苗字ですから、江戸時代にはそういう例があるのでしょか
庶民は江戸時代、苗字を名乗っていなかったと思いますが、村の有力者は、正式には名乗らずとも私称はしていたといわれるところ。妻が夫の苗字を習慣として、名乗っていたんでしょうか。

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登録日時
2015-10-18 00:21:45
終了日時
2015-10-25 00:25:03
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李氏朝鮮16北条政子7夫婦別姓16江戸時代235庶民12風習14明治195アジア463戸籍124足利15

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