(なお、「公爵から男爵」になった大名の家臣でも、身分が低いと、士族になっていないこともあると思います。いまは、例は思いつきませんが。)
大名の家臣と公家の近習とでは全然違います。大名の家臣の主立った者は、それぞれが一族を構え、財産と兵力を持っていました。公家は薩長土肥の都合により担がれた皇室の家臣ですから、謂わば勤め人のようなものです。元々、朝廷にしても公家にしても、幕府の捨て扶持で養ってもらっていた存在ですから、さらにその従者ともなれば身分は低いのです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%AF%E6%97%8Fによれば華族(かぞく)とは、明治2年(1869年)から昭和22年(1947年)まで存在した近代日本の貴族階級のことである。公家に由来する華族を公家華族、江戸時代の藩主に由来する華族を大名華族(諸侯華族)、国家への勲功により華族に加えられたものを新華族(勲功華族)、臣籍降下した元皇族を皇親華族、と区別することがある。この後も新たな華族が加えられた。奈良興福寺の門跡や院家だった公家の子弟が還俗して新たな華族となった26家は奈良華族と総称された。・華族令は大政奉還後できた華族制度をととのえるためのもので、大政奉還後20年くらいあとと、皇室令と合計2回発布されている。あなたがおたずねになりたいのは大政奉還直後、華族令前のいわゆる旧華族のことなので、時代がまざっている。
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