德川綱重は薨去後に征夷大将軍が贈られました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E7%B6%B1%E9%87%8D
その理由を推測すると、德川綱重がもう少し長く生きていたら、5代将軍になっていたからだと思います。
同様に、徳川家基ももう少し長く生きていたら、11代将軍になっていました。
しかし、徳川家基には薨去後に征夷大将軍は贈られていません。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E5%AE%B6%E5%9F%BA
この違いは何故でしょうか?
同様に、徳川家基ももう少し長く生きていたら、11代将軍になっていました。
こちらの状況が違うのだと思います。
綱重のときは嫡流が将軍を継承していた時代です。
四代家綱よりも先に死去していなければ綱吉の兄であった綱重が五代将軍を継ぐのは確実でした。
八代吉宗のときに将軍家の血筋が絶えます。
御三卿といわれる田安・一橋・清水からも将軍家に跡継ぎがいないときには将軍候補が出るようになりました。
それまでの継承順位だけでは決まらなくなったということがあります。
と申しますか、綱重の場合が特殊なのでしょう。
位階としては正一位太政大臣はどちらも叙されています。
家基は子をなす前に死去しましたが
綱重の場合はその子家宣が将軍職を継いだということもあると思います。