前半の部分は理解できるのですが、後半のa wonderful smile of delighted understanding spreading over his faceはどのような構造になっているのでしょうか?
「a wonderful smile of delighted understanding」主語節です。理解したことの喜びの、すばらしき笑みが
spreading over his face. 彼の顔いっぱいにひろがっていた。Vにあたる動詞はspreadなのですが、これがspreadingと現在分詞になることにより、後ろの節が前の節にかかってるよ。と示しているだけです。その他の部分は普通のSVC構文です。
直訳すると
「唐突に医者は私をサッと見上げた、その顔には喜ばしき理解の、すばらしき笑みがいっぱいにひろがりつつ。」
とみょうに文語っぽくなります。修飾節を前置する日本語ルールを固守するのなら「~顔に~~笑みをひろがらせつつ~~見上げた」となりますが、それを観る側の時系列としては「見上げ(てき)た→ひろがって(るのをはっけんし)た」が絶対的に正しい。見上げるまえのうつむいている人の顔の様子を予め把握できていたら順序がおかしいのです。
ですから小説の日本語にするなら、分詞のつながりをあえてブチ切ってやって、2文として訳した方が手短でわかりやすいあたりまえの文章になります。
「唐突に医者は私をサッと見上げた。その顔には喜ばしき理解の、すばらしき笑みがいっぱいにひろがっていた。」(とはいえまだ各単語が直訳調ですが)
文脈が強い日本語では、分詞を敢えてつかわなくても内容がつながっている(見上げたからこそ、その瞬間に笑顔が見えた)ことは理解されます(なんといっても、主語さえしばしば省略される言語ですから)。 ただ日本語側では「ひろがっテイタ」と過去完了っぽく補うことで、「見上げる前後から顔が笑ってたらしい、それが顔をあげたから見えたのだな」とみちびいてやりましょう。spreadingをつかって原文が表現したかった時系列は、日本語の自然な表現のなかでも極力読みおとしにくくする必要があります。
元の英文にくらべて、だらっと長い文の感じがすこしぬけ、歯切れが良くなるくらいしか差し支えはありませんので、切ったほうがよいです。
英文の小説では連綿とつながるストーリーを順序よく語るにあたって、分詞でチンタラつなげる構文はよくあります。
以前私は、asで2文つなげた文の訳し方の質問にも似たことを回答しています。
http://q.hatena.ne.jp/1441790847#a1251445
「(連用形)、」だけでいいのだと。
こうしてみると日本語の文脈力はいろんなことを吸収してうけとめていますね。