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江戸時代の寺の創建と衰退について

江戸時代は寺請制度で寺が急増したとのことですが、その状況などを知りたいです。
江戸時代に400石程度の武士が菩提所(一種の氏寺)を作り、その寺が現在も曹洞宗などの寺として残っているケースがありますが、そのような菩提所を設け維持した一家(一種の開基檀那)が没落あるいは転封に伴い転地した場合など、寺は経営維持出来ず、無住化することが多かったのでしょうか。
江戸時代にも既に無住になった寺が数多くあったように思うのですが、ある宗派あるいはある地域で寺の内、無住、留守居、住職が居る寺の状況を調べたものはありますか。
寺請制度が出来たとき、もともと開基檀那として自家の菩提寺を持っていた武士や公家達、あるいは自家の墓を持っているが僧まで抱えてはいない中下級の武士たちとその使用人達は、寺請の寺をどう選んで寺請証文を得ていたのでしょう。
江戸時代でも人口移動はあるのですが、人口減少や地域衰退で寺が経営的に成り立たなくなって無住あるいは廃寺状態になったときには、その地域の農漁民樵夫猟師などはどうしていたのでしょうか。

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登録日時
2016-07-15 19:45:03
終了日時
2016-07-29 19:50:04
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