もともとは、黒川だったと思います。
戦国の雄といえば、葦名氏。
葦名盛氏の基盤のひとつに、山塩があったのかもしれないと思いました。
鎌倉幕府の有力御家人である三浦氏の流れでした。
また、戦国末期には、佐竹氏が抑え(葦名氏に養子を送り込み)、
・・・その後、紆余曲折を得て、一時は蒲生氏が治めました。
蒲生氏郷は武勇だけでなく、治政にも長けた名将です。
氏郷公によっても、山塩は注目されたのではないかと。
旧石器時代から利用されていたとも考えられている。
常識として文字文化が追いつける程度の歴史ではあり得ない。
山塩生産について語る際、
江戸時代の会津松平藩ばかり称揚するのは、いかがかなものかということですね。
もちろん、会津藩の殖産興業としての山塩は特筆すべきものということは
否定できないのだと思いますが。