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聖徳太子は、遣隋使に持たせた国書で、日本の天皇を「日の出づる所の天子」と称し、隋の皇帝の臣下ではない、冊封を受ける立場ではない、ことを示したとされていますが、その後どうなったのでしょうか。

①まず、そもそも、隋からの返書にはどう書いてあったのでしょうか。
②次に送った使節の国書(遣隋使の国書、遣唐使の国書)には何と書いてあったのでしょうか。

>遣隋使においては聖徳太子が「天子の国書」を送って
>隋の煬帝を激怒させたといわれていますが、
>結局は隋からは倭王として臣下の扱い(冊封国)を
>受けるとされています。   http://web.joumon.jp.net/blog/2009/05/815.html

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登録日時
2016-08-12 15:57:24
終了日時
2016-08-19 16:00:06
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聖徳太子32遣唐使6天皇144皇帝78天子7

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