予想でもよいでしょうか?
創始者がコンスタンティノポリス総主教との事なので、
聖書はギリシャ語であろうと思います。
ルネサンス期に活版印刷が発明されるより以前は、書物は全て手書きでした。
なにぶん分量がありますので、
聖書に限らず手書きで書き写すしかない書物というのは貴重品だったわけです。
だから平信徒がそれを手にする機会はまず無かったと思って良いです。
また、魔女狩りや異端審問などを駆使しても
宗教改革が押さえ込めない段階へと至るまで、
西のローマカトリックではヘブライ語、ギリシャ語、ラテン語以外の言語への
聖書の翻訳を禁止していました。
その禁を破って聖書翻訳なんてしようものなら即火炙りです。
東のギリシャ正教でも状況は似たようなものであった可能性はありますし、
なんといってもギリシャ語は母国語ですから、
他の言語に翻訳されずとも不自由はしなかったでしょう。
一応、それらの影響から離れたところでは
ペシタ訳という古いシリア語翻訳もあるにはあるのですが、
それはシリア正教内で使われていたものでしょうからちょっと関係ないかな…。
現代では2000以上の言語に翻訳されているといわれる聖書ですが、
基本的に古い時代の翻訳聖書というのはそれほど種類が豊富ではないんです。
では仮に他の国に広まったとしたらどうなのかというと、
それを手にするのはやはり聖職者であって平信徒ではありません。
聖職者の地位を得る者ならギリシャ語くらい基本教養の範疇でしょうから、
やはり聖書がギリシャ語であろうがラテン語であろうが
何ら不都合が生じなかったのではなかろうかと思います。
典礼についてはさすがにわかりかねます。