詳しい説明は避けますが、「銀魂」最新回(ジャンプ2016年47号)にそういう設定が登場しました。
ほかにも、それぞれちょっと性質はずれるものの
ミノフスキー粒子(ガンダムシリーズ)
ゼッフル粒子(銀河英雄伝説)
絶対魔法防御(BATARD!)
ゴエモンの超能力(小松左京「明日泥棒」)
などに登城したこういう設定、剣や格闘技のアクションを描く必然性も生まれ、なかなかあると思いますが、これに似た発想お他作品や何が元祖かを探しています。
他の作品を、できれば初出年もつけてお願いします。
この質問は、ブログ記事
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20161025/p2
とも連動しています。
「飛び道具無効でチャンバラ」自体はパルプマガジン時代のスペオペから既に良くある設定ですね。
自分がさっと思い出せるのでは
E.E.スミスの「レンズマン」(1937)
でしょうか。ただこの頃は「チャンバラの方便」の色が強いですね。
(「明日泥棒」の奇想とは別の意味で)たいした理屈は無く、まあ
お約束みたいなもんでしょうか。
現代日本のもう少しリアルな「飛び道具無効戦闘」の系譜の先祖というなら、
当時で既に使い古され、しばしば「陳腐で子供騙しな設定」と看做されがちだった
(60年代には既にそういう認識になっていたからこそ小松左京氏がパロディ化できたわけです)
「未来世界で肉弾戦」にもっともらしい理屈をつけて「大人向けの物語でも
チャンバラやってもいいんだ」という現代に続く潮流を作ったのは
フランク・ハーバードの『デューン/砂の惑星』(1965年)
では無いかと思います。
日本での知名度はいまひとつですがアメリカでは今でもオールタイムベストの
上位常連なくらいで影響は大きかったと思います。
この作品では個人用携帯バリヤが普及していて、そのバリヤが
「高速の物体を防ぎ」「エネルギー兵器とは反応して核兵器級の爆発を起こす」
性質を持つため、刀剣の類が対人での主兵装になってます。
銃やその他近代兵器も存在し描写されますが、あくまで刀槍戦が勝敗の要という扱いです。
スター・ウォーズなんかはデューンの作った新たなスペオペのお約束に則って
作られてる面が多々あります。
銀英伝のゼッフル粒子なんかもデューンの設定の出来の悪いパクリ、と言うより
「当然デューンくらい読んでるよな」という前提でのお約束として書かれてるかと。
ブラウンの「闘技場」は知名度も高い古典名作SFですが「(強制されて)一切の道具なしに戦わせられる」なので
「飛び道具無効」とはちょっと外れるような?
「近代兵器(飛び道具)を無効にする手段がある。ただそれは敵味方無差別に発動する。だから、勝負の手段は肉弾戦やチャンバラになってしまう」
真っ先に思い出したのは、フレドリック・ブラウンの短編「闘技場」です。(『スポンサーから一言』所収)
面白そうなお題ですね♪ も少し探してみようと思います。
ジャンプ系とかある有名なラノベとか、多数作品において「個人的に、半径○メートル内にいる他人の必殺技を根本的に無効化するという技」がつかえるキャラが1人まざっている場合があります。
その人がいるだけで周りが現実的な策をとらざるを得なくなる中での戦闘シーンというのはけっこうある気がするんですよね。
たとえば「魔法使いの娘(那州雪絵)」の6巻あたりからと、その続編シリーズに出てくるある人。
銃は持ってるんですけど、
当たっても痛いだけなので、
手っ取り早く殴り合いをしてます。
映画では死にまくってるけど・・・。
銃火器のような構造が簡単なものはある程度残るし、それほど古くもないんだけど。