> 人によって苦手な音があると思うんですが、これってなぜそうなっているんでしょうか?
苦手な仕事、苦手なデザイン、苦手な音、苦手な相手、苦手な科目、苦手な運動が、ヒトによって異なるのは、ままあることです。
同じ人物でも、苦手であったものがソウでもなくなったり、特に苦手ではなかったものが苦手になったりという変化もあります。
個人別ではなくて、ある程度の集団でも、その人々の生活環境や文化状況が違うと、快不快の受け取り方は異なることがあるのは知られています。
https://science.srad.jp/story/16/07/14/192207/
http://bossanovaday.hamazo.tv/e4688242.html
https://youtu.be/7vmoP-kE-bQ
音を検知するのは一次聴覚野ですが、記憶には扁桃体が関係します。
不協和音というのはうねるよう音で音の高さや大きさの検知に一次聴覚野は多くの活動をせざるを得ないし、その過程で扁桃体と信号のやりとりが活発になります。
不協和音ではなくて、言語でも日常ほとんど聞かない言語を外国人が側でしゃべっていると、自然に聞き流せずに、??と聞き耳を立てるような無意識の反応が起きるのはそそうした事情です。ホワイトノイズや単純な繰り返し音、聞き慣れた音では脳の一次聴覚野や扁桃体はそれほど活性化しないのに、不規則に構成が変化し同定しにくい音、聴き取りにくい低周波や高周波の音も同定しにくい音です。
脳が単純に認知しやすい音ではないことが、一次記憶と情動に深い関係をもつ扁桃体を盛んに刺激してしまうことが、バックグラウンドにあって、社会的あるいは文化的になされた(心理学で言う)学習で、快/不快を切り分けることになるのでしょう。
個人的に慣れてしまったり、職場や生活環境にそうした音が頻繁に流れていれば単純なバックグラウンドになってしまい不快には感じなくなるし、音楽経験によって快/不快の認知や価値観が変われば不快から快にも変化するのでしょう。

ADHDなどを抱えているヒトは、普通のヒトに比べて音に敏感で、苦痛に感じる音が多いことが多いそうです。 学習の成果として「この種の音でも」不快に感じなくなるというコントロール能力が高まるようです。
もっとも、特定個人から圧迫を受けた経験が特定の恐怖を引き起こし、その特定個人の顔や声、匂いを感じるとそれで不安や恐怖を引き起こすこともあるので、学習は(生活に都合が良い方向にだけ働く)のではなく、(生活に不都合を起こす方向にも働く場合もある)ということなのだと思います。
不快音は、はるか昔の人間の先祖が身の危険を音で察知していたときの学習成果が遺伝的に現在の我々にも組み込まれたというのは、根拠のない想像だと思います。