どなたかからか、「あなたは、読書の習慣がないね。読書の習慣を身につけなさい」と意見されたのでしょうか。
今までは、購入したらそれでなんとなく満足して買った本はそのまま放置し読まない、あるいはさわりだけ読んだところで自分の世界に飛んで読書は中断してしまう、なんてことが多々あったけれども、上司か先輩かから、知識不足、技能不足、突っ込み不足、常識の不足などを強く問題にされて、「生活習慣の改善」、せめて読書の習慣を身につけるようなことから始めるようにでも、勧告されたのでしょうか。
それで、「どうしても読書を習慣付かせたい」と、考えているのでしょうか。
もしもそうした事情ならば、発想を「どうしても読書を習慣付かせたい」ではなくて、「とことん突き詰めて追う」ことを自分に課すのがいいと思います。
「なんとなく楽しみを感じるままにいる、飽きたら次に向かう」という態度でいると、探究心は身につきません。考察力も身につかないし、技術や知識を学んでも、応用につながる力がつきません。
憲法を改正するのかしなのかが争点になっているとき、自分自身、全く憲法というものを理解していなかったことに強い恐怖心を抱いて何冊か買ったが、池上彰の憲法入門と産経新聞の国民の憲法を読んだことで満足してしまい、そこで終わった。恐怖心、焦燥感が消えたので、その後は本は読んでない。
上記の記載を読むと、自分で興味をもって何かをするということもなく、周りからのけ者に扱われるのだけを避ける傾向が強いヒトに思えます。
人生は自分のものですから、どのような道を選び進もうとも、個人が好きにしていいとは思いますが、その選択によっては、周囲から嫌われたり、相手にされなくなったり、尊敬されたり、気持ちよくつきあってもらえたりというようなことがついて回ります。
成人して社会の一員として仕事をするような場合には、その周囲のヒトが持っている常識とかは必要です。その常識がないと仕事もできません。仲間として扱ってもらえなくなります。
恐怖や焦燥感をさしあたりトリガーにして読書をするのも一つのやり方でしょう。
テレビや映画を観るのもいいです。芸能関連、スポーツ関連でもかまいません。
他の人たちはそうしたものを読んだり、みたり、楽しんだりしている過程で、その中に登場する人物や心理、演技、構成、選択について‘思いを馳せている’ということです。羽生は、イチローは、平田は、有村は、この曲のこのフレーズは、このシナリオでは、この場面ではここが狙いだったんだな、ここでこういう構成にしたのはこういう思いがあったんだろう、きっとこうした練習をしてきたに違いない、このコマンドを考えて作ったひとの狙いはこうなんだろう、だったらこういうこともあるんじゃないか、そういえばあのときは、、、、、そうした突っ込みを、テレビを観ながら、小説を読みながら、アニメを楽しみながら、プログラム言語の学習をしながら、料理を味わいながら、カラオケをしながら無数に繰り返しているのが、周囲の人たちだと考えたらどうですか。 そうした突っ込みは個々にはたいしたことはなく、やってもやらなくても変わりません。 しかし、その突っ込みが重ねられ、繰り返されると、突っ込みが深くなり、絡み合ってきます。 思考が連関するようになり、気づきがネットワーク化されます。 だんだんと、一を見、一を聞くと、いろいろな状況がぱっと思い浮かんだり、チェックすべきポイントにも気づくようになります。
そうしたヒトが実は、ごく普通の存在です。 だから、常識的判断、常識的な行動ができるのです。
一方、ただなんとなくその場その場をポヤっと過ごしていると、常識的な判断や行動ができる力がつきません。 仕事を頼まれても、それに伴う当然のことがわからず、役に立つことができません。 かえって手足まといの人物になってしまい、邪魔にさえなってきます。
このように考えれば、恐怖や焦燥感は持てるでしょう。
憲法を理解してないこと以上に、現実の職業生活で相手にされない、戦力外通告、契約更改しない通知をうける可能性が高い状態になってきているのかも知れないです。
読書するなら、手っ取り早く自分の仕事に関係ある技能関係の専門書を基礎からしっかり読みましょう。そして業界や対象事業に関わる経済や業界動向の書籍を読みましょう。社会で流行のことや周りの人が話題にしていることならば、アニメでも、週刊誌でも、ドラマでもしっかり見ましょう。
立ち後れている立場の危険に恐怖を感じ、焦燥感をもって、しっかり内容を把握し、考え、自分のものにするように意気込んでやりましょう。